オンリークルーズ

雨野 優拓

第1話 宇宙葬

 操作パネルを操ると、目の前の真っ白で無機質な箱は、内部の気体を音と共に吐き出した。吐き出された気体はわずかな時間、小さな雲を形成し、それから消えた。

 ピッピッピと音を立てて周囲の温度低下を伝えた宇宙服備え付けの生態維持システムには構わず、ルークはヘルメット越しに箱の中を覗き込む。

 白い箱の中に収められていたのは、遺体だった。

 ほんの数日前まで、それはルークの乗る宇宙船の一員だった。呼吸をして、体に熱を持つ立派な一人の人間だった。それが今では、体から熱は失われて呼吸も行わない、かつて人であったモノとなり果ててしまっていた。古代の偉人は、肉体を魂を縛る牢獄と形容したが、実際に生命活動を停止した人の姿を見ればそう考えるのも納得できた。

 箱の中で眠る遺体――ジョージとは生前、決して友好的な関係を築いていたとはいえなかった。しかし、だからといってジョージの死を悲しむ気持ちくらいはルークも持ち合わせていた。

――いまさら悔やんで戻るものではない。せめて、彼の死後が安らいだものであることを。

 ルークは心の中でそう祈ることで、死者に対する餞別とした。

 ルークにとってはそれで十分であったが、しかし、彼のように割り切ることができない者もいた。

「……エリ」

 ルークは通信装置越しに、彼と同じく箱のそばに立って俯ついたままの船員の名を呼んだ。返事はなかった。ヘルメットに隠れて表情は見えないが、それが明るいものでないことは言うまでもなかった。ルークと違って、彼女はジョージに対して思うところがあった。

「そろそろ送り出してやろう」

「…………」

 エリはその言葉にも沈黙を貫いたが、ルークが箱の中の遺体の上半身を抱え上げると、それにならって下半身を持ち上げようとした。が、遺体が持ち上がり箱の上から動こうとしたところでエリはその重みに耐えきれず手を離してしまった。支えを失った遺体の下半身は床に落ち、その衝撃でルークの方も手が離れそうになる。彼女は慌て、もう一度持ち上げようとするもなかなか上手くいかない。

「ああ、そうか。忘れてた……」

 ルークはゆっくりと遺体を下ろして壁に埋め込まれた端末を操作すると、室内に働いていた人工重力が弱まる。その途端、身体に感じていた重量感がほとんど消え去り、わずかな浮遊感が身を包む。

 ルークは足裏の装置を作動させ、磁力で足裏を床に固定した。エリもそれに倣って脚を固定し、二人はもう一度遺体を持ち上げる。重力の働かない遺体は軽々と持ち上がり、勢い余って危うく天井にぶつけそうになる。

「おっと……」

 すんでのところで遺体を引き戻すと、エアロックに通ずるハッチの前へと運んでいく。端末を操作してハッチを開き、遺体をエアロックに運び込むと今度は内側からハッチを閉じる。

『――減圧を開始します』

 機械音声がそう告げると警報音が響き渡り、エアロック内の減圧が開始された。

『――警告。周囲の気圧が低下しています』

 生命維持装置が警告を発する。宇宙服の外から空気を通じて聞こえていた警報音が小さくなり、やがて完全に聞こえなくなる。エアロック内の気圧が船外の宇宙空間と等しくなったのを確認すると、ルークとエリは自身の体をワイヤーで船につなぎ止め、それから外に通じるハッチを開放した。

 ハッチの外には、無限の宇宙が広がっていた。底の見えない黒を背景にして色鮮やかな星々が光を放ち、それらは統一的な法則に従って天体運動を続けている。ルークの目には止まっているようにしか見えないが、それらは確実に運動を行っているのだ。

 星々に思いを馳せるのもほどほどに、ルークとエリは、ジョージの遺体をゆっくりと押し出した。遺体は彼らの手を離れると、氷上を滑るようにして宇宙船から離れていく。そして、目に見えない何かに引かれるようにしてそのまま真っ直ぐと進み、あっという間に暗闇と星々の光に紛れて見えなくなってしまった。

 それからルークはハッチを閉ざそうとして、エリがまだ宇宙に意識を向けているの気がつく。彼女はその場から動こうとせず、直立不動で宙に顔を向けていた。

 彼女が何を考えているのはわからない。しかし、言い知れぬ不安がルークの内に芽生えた。

――エリは仲間のあとを追って、ワイヤーを外して宇宙に身を投げてしまうんじゃないか。

 ルークは自分のそんな考えを、馬鹿馬鹿しいと一笑に付すことができなかった。そう思わせる空気が、今のエリを取り巻いていた。

 ルークは慌ててハッチを閉ざした。目前で急にハッチがしまったことでエリは少し驚いた素振りを見せた。それから船内にもどり与圧が終わると、エアロックを出てルークはヘルメットを外した。

 開放感から肺いっぱいに空気を吸い込む。空調設備が地球の大気と似せて作った窒素・酸素混合ガスがルークの肺を満たす。そして大きく息を吐き出すと、横目でエリの方を窺った。

 彼女はヘルメットを外すと小さく頭を左右に振って長い髪をなびかせる。その拍子に二人の視線が交錯する。

「あ……」

 エリはルークの顔を見ると、すぐに目を逸らした。彼女のその態度に、ルークは思わず小さな溜息をついた。

「ご、ごめんなさい……私、そんなつもりじゃ……」

「いいよ。無理しなくて」

「ごめん……なさい……」

 エリはそう言いながら俯きがちに自分の肩を抱いた。

 ルークは彼女のその様子にいたたまれなくなり、彼女を置いて先に部屋を出た。

 部屋を出ると、大きな円を描くように伸びた真っ白な廊下が左右に広がっている。窓はなくまばらに扉があるのみで、自分たちはこの船に閉じ込められているのだと閉塞感を改めて肌に感じた。

 途中、食堂の前を通り過ぎる際、足を止め、ふと中に目を向けてみる。

 そこは複数人で食事を行うのに十分な広さを備えており、この船にもまだ船員が多数いる頃には毎日食事の時間には賑わいを見せていた。

 しかし、先日ジョージが息を引き取り、ルークとエリのたった二人になってしまった今、当然そこには誰の姿もない。使われなくなって久しいテーブルやイスが埃を被って佇んでいるだけだった。

「……随分と寂しくなった」

 そう独りごちると、ルークは食堂の前を足早に通り過ぎた。

 真っ白な廊下を歩き、船内に設けられた自室に辿り着くと宇宙服を脱ぎ、それからベッドの上に寝転び目を閉じる。閉じた瞼の裏に浮かび上がるのはエリの姿だった。

 少し前までの彼女はもっと活発的な少女だった。だが、今となってはその欠片も窺えない。彼女の人格に影響を及ぼしてしまうほど、アレは大きな事件であったということだ。そして、それはエリだけでなくこの船の事情も大きく変えてしまった。

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