聖女になりたかったシャルロット~監禁歴400年以上の人外に恋した結果~
水町 汐里
第1章 シャルヴェンヌ女子修道院の少年幽霊
第1話 幽霊探し
「ねえ、やっぱりやめにしませんか?」
暗闇に沈む食堂で、シャルロットは周囲を見回しながら言った。
彼女の周りには、同じ修道服を着た少女が四人佇んでいる。その内のひとりが手にした燭台の灯りが、ぼんやりと辺りを照らしていた。
「ここまで来ておいてなに言ってるの、シャルロット」
燭台を持つ娘が口を尖らせた。灯火に照らされているおかげで、彼女の表情だけははっきりと見て取れる。
「いえ、私は参加しようと思って来たわけではないんです。レリア、あなたを止めようと」
「さすが良い子ちゃんは言うことが違うわね」
今度は別の少女が、皮肉たっぷりに口を開いた。
「止めようと思うなら、さっさと修道院長にでも告げ口しておけばよかったじゃない。本気で止める気はないってことでしょ? あんたみたいに乗り気じゃない奴がいても邪魔なだけだから、さっさと部屋に戻ったら?」
暗がりに立つ彼女の表情はうかがえないが、刺々しい口調から、シャルロットを冷ややかに見ていることは想像がついた。
「ヴァネッサ、すぐそうやって突っかからないの! シャルロットが告げ口してたら、あんたたち皆聖女候補から降ろされてたかもよ。黙ってたことに感謝こそすれ、文句は言わない!」
灯火を持つ娘・レリアがぴしゃりと言い放つと、ヴァネッサは鼻で笑った。しかし、それ以上口を開くことはなかった。
レリアはにっこりと笑うと、シャルロットの腕を取った。
「さ、行きましょう。幽霊を見つけ出せたら、なにかいいことがあるかもよ」
「……悪いことなら聞いたことがありますが」
「私の勘が告げているのよ、きっといいことだってね!」
シャルロットが首を捻ると、レリアは灰色の瞳をきらめかせ、片目をつむった。
レリアに引きずられるようにして食堂を出たシャルロットは、こんなはずではなかったと嘆息した。
レリア以外の少女たちは、皆<
<剣の聖女>とは、聖剣ルテアリディスを管理する役職名である。任期は三十年と長いが、このユディアラ王国では非常に名誉ある職とされている。
聖女選定のため、候補たちはここ、シャルヴェンヌ女子修道院で半年間生活する。修道女たちと生活を共にし、彼女たちの目から見て最も信心深い少女が<剣の聖女>に選ばれるのだ。
この修道院はユディアラ王国建国時辺りに建てられ、聖堂に至ってはユディアラ王国の前身、シルトレン王国時代にまで遡ると言われている。そんな歴史あるシャルヴェンヌ女子修道院だが、レリアによると「出る」そうだ。
レリアは三か月前から修道院で暮らし始めた見習い修道女で、シャルロットたちとは立場が異なる。
つい先日、先輩修道女から幽霊の話を耳にしたレリアは、好奇心を抑えきれず幽霊捜索を決意。ひとりでは心細いので、年頃の近い一部の聖女候補を巻き込み、今夜決行したという次第だ。
レリアと親しくしているシャルロットも当然誘われたのだが、彼女に参加する気はなかった。就寝時間に修道院を歩き回るなど、明らかな規律違反だ。<剣の聖女>を目指す身としては、修道女たちからの心証が悪くなるようなことは極力避けたかった。
しかし見て見ぬ振りもできなかったため、シャルロットはなんとかレリアを説得しようと集合場所である食堂まで足を運んだ。
――結果としては、レリアは聞く耳を持たなかったし、なぜかシャルロットまで捜索に加わることになってしまったが。
「どの辺から探そう」
「決めてなかったんですか?」
「うん。実は出没場所もわからないし」
回廊を歩きながら隣のレリアに尋ねると、彼女は幽霊のことを話し始めた。
現在、幽霊を見たと話す者はいない。レリアが老齢の修道女に聞いたところによると、彼女の娘時代には、幽霊を目撃した修道女がいたという。しかしその修道女はとうの昔に亡くなっているため、詳細を知る者はひとりとしていなくなってしまった。
ただわかることと言えば、この修道院に幽霊が出たということ、そしてその幽霊が少年の姿をしていたということのみだとか。
「少年の幽霊、ですか」
「変だよね? ここ、女子修道院なのに」
「そうですね……。ですが、この修道院は元々あった聖堂から発展したものだと聞いています。聖堂時代は男女の別なく出入りできていたでしょうし、その頃亡くなった霊なのでは?」
「なるほど、言われてみればそうかも」
レリアは「さすがね」とシャルロットを褒めてから、ふむ、と考え込む素振りを見せた。
「それじゃあ、まずは聖堂に行ってみましょうか。皆、聖堂に行こう!」
後ろを振り返って残りの三人に声を掛けるレリアを、シャルロットは諦念の気持ちで見やった。ここまで来たら、とことんまで付き合うしかない。
レリアが早く飽きてくれることを祈るばかりだった。
聖堂、塔、写本制作室、図書室、厨房など思いつく限りの場所を見て回ったが、それらしき影には出会わなかった。
シャルロットたち以外の人間は既に就寝しているため、修道院はどこも静まり返っている。今夜はあいにくと曇天で、外からの明かりは期待できそうもない。レリアの持つ灯りでは進む先もほぼ見えず、暗闇が四方からのしかかってくるようだった。
だんだんと怖くなってきたのか、レリアとシャルロットの後ろを歩いていた面々も、今やふたりを囲むように歩いていた。
「大体のところは調べ尽くしたよね。後は――」
「まさか、別館にも行くつもりですか?」
回廊に戻ってきた彼女たちは、いったん立ち止まった。
まだ捜索する気満々のレリアに、シャルロットはぎょっとした。
「え、駄目?」
「駄目ですよ。何棟もあるでしょう。しらみつぶしに探していたら、夜が明けてしまいます」
シャルロットたち聖女候補が寝泊まりしているのも、客用の別館となる。その他、レリアたち見習いが住む館や巡礼者用の館、施療院など、数々の別館が存在する。
シャルロットがたしなめると、レリアは不満げな表情を作った。
「でも、まだなんの収穫もないじゃない」
「そんなに幽霊が見たいんですか……?」
「そうじゃなきゃ、最初からこんなことしてないよ」
「それはそうですけど」
「あの……」
背後からか細い声が聞こえ、ふたりは振り返った。聖女候補のひとりが、不安げな表情でこちらをうかがっていた。
「さすがにもう、これ以上は……。よ、夜の修道院ってかなり怖いし、明日起きられなくなると困るし……」
「私も、いい加減飽きてきたわ」
ヴァネッサがうんざりした顔で賛同したために、彼女に寄り添っていた聖女候補も大きく頷いた。
自分に味方する者がいないと知ると、レリアは肩を落とした。
「それじゃあ、しょうがないか。あーあ、残念。見てみたかったんだけどな」
「レリアはこれからもここで暮らすんですから、運がよければ出会えるかもしれませんよ」
まるで幽霊が稀少な動物かなにかのような言い草である。自らの発言に引っ掛かりを覚えながらも、シャルロットはしょげるレリアの背を撫でた。
さあ帰りましょう、とレリアを促し、回廊を歩き出した時だ。
シャルロットの視界に、なにか白いものが過ぎった。
「……?」
「どうしたの、シャルロット」
足を止めたシャルロットに、レリアは不思議そうな顔を向けた。
「いえ。……今、なにか白いものが見えたような」
「え!?」
目を見開いたレリアは、燭台を掲げて素早く辺りを見回した。
「うーん、暗いせいかわからない」
「脅かさないでよ!」
背後で文句を言うヴァネッサに謝りながらも、シャルロットはゆっくり
回廊の列柱を挟んだ右手には、方形の中庭が広がっている。先ほどまでは天体の明かりがなかったため、そちらの様子をうかがい知ることはできなかった。
しかし、雲に切れ間ができたのか、今はわずかに月明かりが差し込んでいる。
シャルロットは今度こそ、中庭を移動する白い影をはっきりと目にした。
「レリア。あそこにいるのって」
「え、どこ?」
眉をひそめるレリアに、シャルロットは中庭を指さした。
「あれです。見えませんか?」
「見えないけど……。え、ちょっと待って。シャルロットにはなにが見えているの?」
「白いなにか、ですね」
誰かが息を呑む音が聞こえた。場の空気が、一瞬にして張り詰めたものとなる。
「つ、つまりそれって」
「少年かどうかはわかりませんが……あれが、お探しの幽霊じゃないでしょうか」
しかも、こちらに近づいてきているような。
シャルロットがそう言った瞬間、彼女以外の四人は、耳をつんざく悲鳴を上げた。
背中をはたかれたかのように、彼女たちはいっせいに駆け出した。またたく間に回廊の角を曲がると、娘たちは足をもつれさせながら去って行った。
置き去りにされたシャルロットは、ぽかんと口を開けた。
「……幽霊を探していたのに、どうして逃げるんでしょう」
他三人はともかく、あれほど張り切っていたレリアまで逃げるとは。
土壇場で恐ろしくなったのだろうか、と首を傾げながら、シャルロットはとりあえず中庭に出てみることにした。
なんとなく言い出せずにいたが、シャルロットは昔から霊が見える。見慣れているせいか、彼女はそれほど幽霊を恐れていなかった。
入り口のアーチをくぐり、十字に走る道に足を踏み入れる。すると、こちらに近づいて来る白い影が、くっきりと人の形をしていることがわかった。
シャルロットの目前までやって来たのは、長い白髪に白い衣をまとう、少年とも少女ともつかぬ人物だった。年頃は十代半ばほどであろうか。
ばちりと音がしそうなほどしっかりと目が合うと、その人は信じられないものを見たかのように愕然とした表情になった。
「……君、僕のことが見えるの?」
話し掛けられたシャルロットは、びくりと体を揺らした。
――霊が言葉を発するのを、初めて耳にした。
声の低さからして、この霊は少年なのだろう。
鏡に映したかのように、シャルロットは少年と同じ表情を浮かべて彼を見返した。
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