第6話 四年ぶりの再会

 ひじりを後にしたカーミリアが、自身の研究室に戻ってすぐのことだった。

 内線が鳴っていることに気づいた彼女は、煩わしげに受話器をとり、


「…………は?」


 四年ぶりに海形大地の名を聞いて、ひどく間の抜けた声を漏らしてしまった。

 荒波のように乱れる内心をどうにか押し殺し、連絡してきた医師から一通りの話を聞いた後、生体サイボーグ化手術を行なうかどうかは直接本人と会って判断するとだけ伝え、研究室を飛び出した。


 タチの悪い冗談だ。

 同姓同名の他人に決まっている。

 そう自分に言い聞かせるも、かろうじて冷静さを保った思考が、海形などという珍しい名字だけでなく、下の名前まで一致する偶然などあり得ないと断じてくる。

 断じてくるからこそ、胸が押し潰されるような想いだった。

 その海形大地が、アンブレイカーとの戦いで重傷を負い、下半身不随になったと聞かされたから。


 通路を行く足はどうしてもいてしまい、早足を通り越して小走りになってしまう。

 そうこうしている内に医療区画の近くまでやって来たので、カーミリアはどうにかこうにか平静を取り繕い、小走りからいつもどおりの早足に切り替える。

 三幹部という役職に就いている手前、無闇矢鱈にいている姿を下の者には見せたくなかった。


 ほどなくして医療区画に到着し、連絡してきた医師に海形大地オーガがいる病室に案内してもらう。


「話が済んだらまた呼ぶ」


 暗に海形大地オーガと二人だけで話をさせろと言い、医師が離れていくのを確認してから病室の扉を叩いた。


「入っていいぜ」


 返ってきた声は、四年前よりも気持ち低くなっているが、間違いなく海形大地のものだとわかる声だった。

 瞳の奥から込み上げてくるものを感じるも、ここで感極まってしまってはなんとなく負けた気分になりそうなので、無理矢理にでもこらえて瞳の奥の奥まで押し戻した。

 一つ息をつき、心の準備を整えてから扉を開いて中に入る。


「……本当に、君だったか」


 ベッドを椅子代わりにしてふんぞり返るように座っている、包帯とガーゼに覆われてなおはっきりとわかる悪人面の男を見て、なぜか、思わず、頭を抱えてしまった。

 一見して重傷だとわかる有り様を心配してやりたいところだが、悪人面が無駄にドヤっているせいで、どうしてもそういう気にはなれない。

 それどころか、本当に下半身不随なのかと疑いたくなるくらいだった。


「ご期待どおりオレだったってわけよ。それより、で呼べばいい?」


 勉強嫌いゆえにがくがあるとは言い難いが、細かいところまで思考が行き届く抜けの目のなさが相変わらずだったことに、カーミリアは知らず微笑を浮かべる。


「勿論コードネームでだ」


 答えながらベッドに歩み寄ると、白衣の下から取り出した円筒状の装置をベッド脇のサイドテーブルに置き、起動させる。


「と、言いたいところだが、さすがに積もる話が多すぎる。この遮音装置で半径二メートル外には音が漏れないようにしたから、好きな方で呼ぶといい」

「そんじゃ椿で。にしても、置くだけで音が漏れないとかいったいどういう理屈だよ、それ?」


 そう言って、遮音装置を顎で示した。

 カーミリアこと椿は、挑戦的な笑みをオーガこと大地に返す。


「聞きたいか?」

「……いや、やっぱいい。オマエがそういう顔をする時は、決まって小難しいどころの騒ぎじゃねぇ話になるやつだからな」


 大地は、微妙に顔を引きつらせながらかぶりを振った。

 それから「それにしても……」と呟きながら、マジマジとこちらを見つめ、


「オマエ、また一段と綺麗になったな」

「はぁっ!?」


 あまりにもストレートすぎる褒め言葉に、頓狂な声を上げてしまう。


(こういうことを恥ずかしげもなく直球に言うところまで相変わらずか……!)


 心の中で呻きながらも、大丈夫だ、落ち着け、と己に言い聞かせた。

 顔は……特に熱くなっている感じはしない。

 ということは、この程度のことで赤面するという醜態は晒していない……はず。


 だから大丈夫だ。

 落ち着け。

 四年前のわたしとは違う。

 冷静に、大人に、今の話を脇に流せばいい。


 繰り返すように自分に言い聞かせてから、椿は「そんなことよりも」と、口を開くも、ちょっとだけ声が裏返ってしまい、石像のように固まってしまう。

 大地がこちらを見ながら嬉しそうにニヨニヨしているのが、なんだか無性に腹立たしい。


 ……大丈夫。大丈夫だ。

 落ち着け、わたし。

 ここは、どう足掻いても真面目にしかなりようがない話を振ればいい。


 しつこいくらいにそう自分に言い聞かせると、「コホン」とわざとらしく咳払いをしてから、真面目な話を切り出した。


「そんなことよりも大地、どうして君が《ディバイン・リベリオン》にいる?」

「勿論、オマエに会うためだ」

「……ッ!?」


 またしてもド直球な言葉をぶつけられ、椿は咳き込みそうになった口を押さえた。


「き、君は! 真面目に答え――」

「大真面目だっての」


 言葉どおり真剣な目を向けられ、口ごもる。


「椿。オマエが《ディバイン・リベリオン》に入ったのは、やっぱ復讐のためか?」

「……本当にどこまでも直球だな。君は」


 どこか疲れたように応じながらも、傍にあった椅子を引き寄せ、腰を下ろす。少し話が長くなるから。


「否定はしない。わたしの父様と母様は、が、実際は殺されたも同然だからな」

「アンブレイカーが、当時関東最大と言われていたエネミーの組織――《プルガトリオ》との決戦の際に、住民の避難が進んでいたからって理由で椿の家がある地域に戦域を移した結果、おじさんとおばさんが戦いに巻き込まれて死んだって話は、オレも知って――……あぁ、わりぃ」


 なぜか大地が、途中で話を切って謝ってくる。


「別に、オマエを泣かしたくて訊いたわけじゃねぇんだ。つらいってんなら、これ以上はもう何も訊かねぇよ」


 言われて初めて、自身の目尻から涙がこぼれていることに気づく。

 再会してすぐに涙を見せてしまったことを気恥ずかしく思いながらも、目元を袖で拭って「気にするな」と言い、話を続けた。


「大地……生前、父様と母様がやろうとしていたことについては知っているか?」

「貧困とかが理由で社会に適合できずにエネミーになった連中を救済する、社会的システムを構築する必要があるって世間に訴えたことだろ。ガキの頃はさっぱり理解できなかったが、今ならよくわかるよ。そうやって声を上げることが、どれだけすげぇことなのかってのはな」

「そう、凄いんだ。わたしの父様と母様は。だが、父様と母様がやろうとしていたことは、今という社会を生きる奴らにとっては許されないものだったらしい」


 憎悪を吐き出す椿を見て何かに気づいたのか、大地は目を開く。


「まさか、おじさんとおばさんは戦いに巻き込まれて死んだんじゃなくて、そのドサクサに紛れて一般人に殺されたっていうのかよ!?」

「いや、

「そりゃ、どういう――……」


 言葉の意味をただそうとしていた大地が、またしても唐突に言葉を切る。

 すぐにその理由に気づいた椿が左の目尻に指を当てると、まさしく今こぼれ落ちた涙滴が指先を濡らした。


「……わりぃ椿。こっちから話を振っといてなんだが、やっぱオレ、これ以上話を続けるのはしんどいわ」

「……すまない」


 どちらが悪いというわけでもないのにお互いに謝ったせいか、妙に気まずい沈黙が二人の肩にのしかかる。

 その重さに耐えられなかったのか、大地が先程までよりも露骨に明るい声音で、全く明るくない話題を振ってくる。


「そりゃそうと。オレの両脚が動かないって話は、もう聞いてるよな?」

「勿論聞いているが、よくそんなあっけらかんと言えるな」

「いやいや。両脚が動かねぇってわかった時は、さすがのオレも一分くらいはヘコんだぜ?」

「たった一分か」

「だらだらヘコんだところで時間を無駄にするだけだからな。それに生体サイボーグ化手術を受ければ、脚が治る上にパワーアップまでさせてもらえんだ。そう悪いことばかりでもねぇさ」

「簡単に言ってくれるが、生体サイボーグ化手術がどういうものなのか、わかっているのか?」

「概要くらいはな。通常のサイボーグ化手術は今ある肉体を機械のものと組み替える手術なのに対し、生体サイボーグ化手術は今ある肉体の筋肉やら骨やらから細胞を採取し、強化培養したものと組み替える手術だろ」


 それだけでも答えとしては充分だと言うのに、大地はさらに補足まで加える。


「で、こっからは私見だが、生体サイボーグ化手術が通常のサイボーグ化手術よりも明確に優れている点は、後者は機械の体だから定期的にメンテナンスをする必要があるのに対し、前者は元々が自分の細胞だったものと組み替えただけだから、メンテナンスをする必要がない。あるいは、その負担が少ない……といったところだろ?」

「……概ね正解だ」

 

 認めつつも、軽く頭を抱える。

 そういえばそうだった。

 理解の及ばない技術を前にしても、正鵠に近いところを射抜く知性と感性を持っているからこそ、子供の頃の椿は大地となら友達になれると――いや、大地と友達になりたいと思ったのだ。


「生体サイボーグ化手術の被術者は、筋肉や骨格などの強化培養が終わるまでの半月間、各種細胞が採取されたことに伴う身体機能の低下に苛まれる。培養が完了して施術できる段階にこぎ着けても、術中は被術者に相当な負担を強いることになる。被術者の体力如何によっては、命を落とすこともあり得るくらいにな」


 だからわたしは、余程のことがない限り生体サイボーグ化手術は行なわないようにしている――と付け加えてから、大地に問う。


「大地。今の話を聞いてなお、君は手術を受けることを望むのか?」

「おうよ」


 即答だった。しかも、やけに返事が軽かった。


「……本当にいいのか?」

「良いも悪いも、受けなかったら最悪ずっと歩けないままだからな。受けねぇ理由がねぇよ」

「だが、だからこそ今の君は常人よりも体力が落ちている。手術に耐えられずに命を落とす可能性は……あまりはっきりと言いたくはないが、高いと言わざるを得ない」

「それはつまり、オレのことを心配してくれてるってわけか」

「違……っ」


 否定しようとするも、実際その通りだったので口ごもってしまう。

 少し、顔が熱くなってきた気がする。


「心配してくれるのは嬉しいが、あえて言わせてもらうぜ。舐めんなよ椿。その程度でくたばるほど、ヤワな鍛え方はしてねぇよ」


 そう言って、大地は凄絶に笑んだ。

 よく見れば、四年前よりも精悍になった顔つきで。


「……なるほどな。だから君のコードネームはオーガなのか」


 得心した途端、精悍だった大地の顔が嫌そうに歪んだ。


「言っとくが、好きこのんでそんなコードネーム名乗ってるわけじゃねぇからな」

「だったら、どうして自分で考えなかったんだ?」


 何とはなしに聞いてみると、大地の顔が魂が抜けたように呆けていき、さしもの椿も頬を引きつらせる。


「ど、どうした?」

「自分で考えてよかったのか? コードネーム?」

「あ、ああ。グランドマスターのことは尊敬しているが、ネーミングセンスに関しては少々情緒に欠けていると言わざるを得ないからな。だからわたしは、自分の名前にあやかった椿カーミリアをコードネームにしてもらった」

「あぁ……だからオマエのコードネームは他とは微妙にセンスが違ってたのか……つうか、コードネームはグランドマスターが考えてたのかよ……確かにオマエの言うとおり情緒もへったくれもねぇな……」


 遠い目をしながら、うわ言のようにブツブツと不平を言う。

 どうやら大地はかなり――いや、だいぶオーガというコードネームを嫌がっているようだ。


 ちなみにだが《ディバイン・リベリオン》では、余計な混乱を招くという理由により、一度決定したコードネームを変更することを禁じられている。

 そのため、今さら自分でコードネームを考えてもよかったという情報を知ったところで、後の祭りでしかなかった。


「……まぁいい。今さらウダウダ言ったところで、どうにもならねぇしな。それより椿。オマエの方こそ手術を引き受けてくれるんだろうな? ちなみにだが、引き受けなかった場合は、オマエが実はホラーものが苦手なことを組織中に言いふら――」

「脅している時点で『イエス』以外の回答を聞く気ないだろ君!?」

「そんなこたねぇよ。『はい』とか『喜んで』とかなら聞く気はあるぞ」

「言い方が代わっただけで結局『イエス』だろうが……! それから一つ言わせてもらうが、怪談のたぐいが苦手だったのは昔の話だ。今はもう別になんともない」

「ほんとか~?」


 ニヨニヨしながら、懐疑的な目を向けてくる。

 そんな反応をされると、実はまだちょっと……いや、けっこう……いや、かなり苦手だとは口が裂けても言えない。


「本当だ。だから、そんなことを言いふらされても痛くも痒くもないが……君のことだ。どうせ断ったところで、あの手この手でわたしに施術させようとするだろう?」

「当たり前だろ」

「誤魔化す気すらなしか」


 心底呆れたため息をついた後、椿は観念したように了承した。


「わかった。引き受けよう。下手に断ると、あることないこと吹聴されそうだからな」

「心配すんな。そこはあることしか吹聴しねぇよ。例えば、小学校の時に散歩していたでかい犬にびびって泣い――」

「アレは泣いてないっ! ちょっと目にゴミが入っただけだっ!」


 思わず声を荒げるも、例によって大地がニヨニヨしているのを見て苦い顔になる。


「と、とにかくっ。生体サイボーグ化手術をやるなら早い方がいいっ。今から準備に取りかかるから、今日のところはもう話は終わりだっ」

「おっと。ちょっと待ってくれ。最後に一つだけオマエに言っておきたいことがある」


 椿は遮音装置を停止させようとしていた手を止めて「なんだ?」と訊ねると、大地は先程までとは打って変わった真剣な声音で言った。


「オレの気持ちは五年前から……いや、たぶんもっと前から変わってねぇから」


 オレはまだオマエのことが好きだ――大地にしては珍しく直球ではない言い回しだったせいか、五年前の雑な告白に比べたら格段に気の利いた言い回しだったせいか、椿は今度こそ顔が熱くなっていくのを自覚する。


 ……駄目だ。

 こんなの無理だ。

 耐えられない。

 しかもなんで大地は、こういう時に限ってニヨニヨ笑いを向けてこない。

 わたしが顔を赤くしてるんだぞ。

 頼むからニヨニヨ笑ってくれ。

 そうしてくれたら、怒って誤魔化すことができるのにっ。


 顔はおろか耳まで真っ赤にしたまま、《ディバイン・リベリオン》を足元から支える頭脳をフル回転させて導き出した答えは、


「……そうか」


 味も素っ気もない、ひどく間の抜けたものだった。

 正直な話、自分で言っておいて何が「そうか」なのか、さっぱりわからない。

 こちらの心中を察した大地が、しょうがねぇなと言わんばかりに苦笑しているのを見て、ますます顔が熱くなっていくのを感じた。


 そこから先はもう無言だった。

 無言で機能を停止させた遮音装置を懐に仕舞い、無言で踵を返し、無言で病室を出て、無言で医療区画から逃げていく。

 大地のことを連絡してきた医師に、「話が済んだらまた呼ぶ」と言っていたことはもう綺麗さっぱり忘れてしまっていた。


 研究室に戻ったところで、閉めたばかりの入口の扉に、力が抜けたように背中を預ける。


「もう四年だぞ……」


 雑な告白をされた年月ではなく、大地の前から黙って姿を消した年月を呟く。


「もう四年も経ってるのにまだわたしのことを好きでいてくれて、わたしに会うためにわざわざ《ディバイン・リベリオン》に入って…………阿呆が」


 力なく罵りながら、片手のひらを顔に当てる。

 言葉にすればするほど熱くなっていく顔を隠すように。

 心の奥底では、大地が四年前と変わらず好意を抱いてくれていたことを嬉しく思っている自分がいることを誤魔化すように。


「……阿呆が」


 今度は自分を罵ってから、頬を両手で思い切り張る。

 あっけらかんとしている大地を見ていると、たいした怪我ではないのではないかと錯覚しそうになるが、両腕を骨折し、脊髄を損傷して下半身不随になった彼の怪我は、あまりにも重い。


 そもそも大地のあの態度自体、今にして思えば、こちらを心配させまいとしてとったものである可能性が高い。

 なぜなら、海形大地とはそういう男だから。

 がさつに見えてその実、細やかな気配りができる男だから。

 彼のそういうところが好きだから。


「……勿論、友人としての話だが」


 誰に言うともなく言い訳してから、研究室の奥にある細胞培養室を目指して歩き出す。

 まさしくその友人を救うために。絶対に手術を成功させると誓って。

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