迷走

第45話:森に惑う

既に日は落ち、辺りは月明かりも届かないうっそうとした森の暗闇である。その中で俺たちは火を囲み、周囲の暗闇にも見劣りしないほどの沈んだ表情で身を寄せ合っていた。


重い、息苦しい空気の中俺は切り出す。


「さて、行けども行けども森が終わらないわけだが」

「……」


俺の発言に誰も反応しない。ただ虚ろな表情で、皆火の揺らめくのを瞳に映していた。


おかしいな、聞こえなかったのだろうか。


「今日の昼には街道に出てるはずだったんだけどな」

「……」


リンが顔をそらした。


彼女が顔を向けた方向には、ただ暗闇が広がっているだけだ。その先に一体何を見ているのだろうか。


フェイリオは変わらず、ただボーっと火を眺めている。彼はそんなに火が好きだっただろうか。


「これってさ、完全にあれだよな」

「ごめんなさいなの……」


ポツリとつぶやいたのはミュンだった。揺らめく炎を映していた瞳がくしゃりとつぶれ、閉じられるのと同時に涙がポロリとこぼれる。


それを皮切りに、涙は次から次に溢れて、堪らずミュンは嗚咽を漏らし始めた。


「う、うえっ……ご、ごめ、ごめんなざ、なのおっ……ううぅぅぅっ」

「ちょっとルー! ミュンちゃん責めるのはやめようよ!」

「ええ!? どこが!?」


急に復活したリンが立ち上がり、なぜか俺を糾弾し始める。先ほどまで虚空を眺めて黙りこくっていたというのに大した変貌ぶりである。


しかし、やはりつい先ほどまで意識が彼方に飛んでいた代償なのか、とんちんかんなことを言っている。


俺はもう一人の方に助けを求めた。


「フェイリオ、俺責めてないよな!?」

「……」


だが、フェイリオは変わることなく虚ろな瞳に炎を映したまま何も反応することはない。


「……フェイリオ?」


いや、違う。よく見ると、口元が少し動いている。


不思議に思い、その口元に近づき耳を澄ませる。……何か言っている。


「愚鈍な妹を連れてきてしまったばっかりにああ俺は何ということをいきなり獣神様にご迷惑をどうかおゆるしください俺は一体どうしたら誰か教えてくれ火だけが俺をいやしてくれる火だけが俺を導いて火だけが火火火ひひヒヒヒ」

「フェイリオ帰って来ーーーーい!!!!!」


こいつが一番ヤバかった。


リンは泣き止まないミュンの肩を抱き、俺は虚ろなまま笑い声すら上げ始めたフェイリオの肩を揺らす。


ほらやっぱり、全くと言っていいほど予定通りにいかない。予想通りに。


俺たちは道に迷っていた。それはもうあっけなく、自分たちの位置を全く把握することができないほどに。





事態は、村を出てしばらくしてから遭遇した魔物との戦闘後に起きた。


出て来た魔物はゴブリンと虫の魔物が一匹ずつ。俺がゴブリンを即殺し、フェイリオは虫の魔物を担当した。


「フンッ!!」

「おお~」


ブンブンと飛び交う虫の魔物をフェイリオが横なぎに両断する。素早い魔物の動きの先を読んだ、見事な一撃だった。


「よくあの速さを捉えられるな。コツとかあるのか?」

「恐縮です。いえ、獣神様に申し上げられるほど大したものでは……」

「そんなこと言わず教えてくれよ」

「で、では……羽虫の動きには特徴がありまして」


実際に剣を振るって動きの実演をしてくれるフェイリオ。


それを見ていたミュンが、ご自慢の木の棒を見よう見まねで振るっていたらしい。


俺は見ていない。リンから聞いた話である。


「ミュンちゃん可愛いー! お兄ちゃんの真似が上手ね!」

「むふー……ふっ、ふっ、……あっ」


調子に乗ったミュンが思いっ切り振り上げた瞬間、木の棒が森の奥へと飛んで行ってしまった。


それを彼女は、餌を放り投げられた飢えた獣のごとく一目散に追いかけて行った。


「ミュンのエクスカリバー!!」

「ミュンちゃん!? ダメよ勝手に行っちゃあ……きゃあああ!?」


俺が気付いた時には凄い勢いでミュンが坂を下っていき、それを追いかけるリンが森の底へと滑り落ちて行ってしまっていた。


今思えば、俺もこの時には冷静さが足りなかったと言える。一旦落ち着いて、対策を考えるべきだった。


「リン!? ちょ、どうした!!」

「獣神様、フェイリオもお供します!!」


俺も坂を下っていき、フェイリオも俺に着いてきてしまった。誰かが誰かを追いかけ、右に左に森の中をさまよい……。


そうして全員が何とか合流するころには、もう完全に俺たちは元の道に戻れなくなってしまっていたのだ。





ミュンが泣き止み、リンが認識を改め、フェイリオがうわ言をやめるまで、ずいぶん時間が経ってしまった。夜は更け行き、日中を拠点とする俺たちのような生物が活動を続けていられる時刻ではなくなってきた。


「はぁ……、いい加減明日からどうするかを話し合うか」


少し勢いが弱まって来た火に薪を追加しつつ、ため息をつく。このまま全員床に着いてしまっては、先行き不明の最悪な雰囲気の中朝を迎えてしまう。


それを避けるため、俺たちは今後の進退を決めなくてはならなかった。


「あ、ルー。それなんだけど」


重苦しい空気にそぐわず、あっけらかんとリンが手を挙げて発言した。


「私さ、何となくだけど分かるんだよね。どっち行けばいいか」

「え、どういうこと?」


リンの発言の真意を俺は掴めなかった。


今日一日、全員で一緒になって元の道を探して、結果更に深みにはまって今の状況に陥っている一団の一員の発言とは思えない。


もし最初から道が分かってたのに「何か言うタイミング逃しちゃった、テヘ!」とかいう事情だったとしたら、流石にもうちょっと言い出しづらそうにしてもらわないとフォローしきれないぞ?


そんな不審がるような雰囲気が俺から出てしまっていたのだろう。リンは慌てて手を振り、言葉を付け足した。


「え、あ! いやいや、元の道は全然わからないけど! オルノーへの方向だったら何となく分かるの」


リンの言うことはにわかには信じがたく、その内容をかみ砕くのに苦労する。


ええと、つまりどういうことなんだ?


「東がどっちか分かるって言うことか? 風の向きとか、日の差す角度とかで?」

「うーん、そう言う理屈っぽいことじゃなくて……何となく「こっちの方!」って分かっちゃうというか」

「帰巣本能というものですね」


突然フェイリオが喋りだしたものだから、俺もリンも目を剥いて顔を向けた。未だに火の方に視線を向けたままのフェイリオは、しかし確かに俺たちに向かって淡々と語りかけているようだった。


「俺も分かりますよ。何となくですが、『この方向に向かえば故郷の地に帰れるような気がする』といった感覚は常にあります」

「そうそう、それよ!」

「そんなもんなのか」


賛同者を得たリンが激しく頷き喜びを示すが、俺はそう言われてもさっぱりだった。試しに瞳を閉じ意識を集中してみるが、入ってくる情報は聴覚によるものばかりで、そんな第六感的なものは全く感じられない。


これもまた、記憶喪失と関係しているのだろうか。


「なんかこう、歩いてたり景色を眺めてたりするとファーと浮かんでくるのよね。『あーこっちの方かな?』っていう感じ」

「個人的には、何か大きな分かれ道とか、遠目に巨大な山や川が見えて来た時に感覚が強まる気がしますね」

「あーーー! 分かるー!」


フェイリオとリンが、俺のよくわからない感覚のあるあるで盛り上がっていると、何となく疎外感だ。若干気分がうらぶれた俺は、フェイリオに対する口ぶりが少し意地悪くなってしまう。


「……だったら、その感覚を信じて故郷に帰った方がいいんじゃないか。俺たちと旅なんかしてないで」

「とんでもありません! 私は獣神様のお供をさせていただく中で、自らを鍛え、そして俺の力を獣神様のために役立てたいのです!」


フェイリオはブレない。もう何度目になるか分からない、俺たちに着いてくる理由を早口で一気にまくしたてる。


聞くたびに思う。いい加減に獣神様呼びはやめてほしいし、俺のために役立てたい理由がよく分からない。コイツの思い込みは一体いつまで続くのだろうか。


いつも通りの言い回しが終わった後に、フッとフェイリオが表情を暗くさせたのを俺もリンも察知し、首をかしげた。


つい気になり声をかけてしまう。


「どうした?」

「いえ……それに、恐らくですが俺の故郷は既にもう無いと思いますので」

「え……」


いかん。余計な傷跡をつついてしまった。


そうだよな。こいつも元は奴隷として捉えられていたんだ。何かしら壮絶な事情を抱えているであろうことは予想できたはずなのに。軽率だった。


「すまん、もうちょっと考えて発言すべきだった」

「い、いえ! 私はもう、獣神様のためにこの身を捧ぐことを決めておりますので、お気遣いなさらず!」


うええ……重いよー。しかも俺の失言がきっかけになっちゃってるから文句も言いづらい。気まずい。


少しでも気分を紛らわすため、話題を元に戻す。


「それじゃあ明日からはリンの先導で、元の道は諦めてとにかくオルノーを目指すってことで」

「了解、任せて!」


リンがこぶしを前に突き出しガッツポーズをとると、そのすぐ横にあったミュンの頭がコツンとリンの体にもたれかかった。


「ミュンちゃん?」

「ああ、リン。たぶんだけど」


実はつい先ほど意識を集中させたときにはもう聞こえてきていた、小さな体から漏れ出る静かな吐息。


「スー……スー……」

「……今日、たくさん歩いたもんね」

「そうだな」


瞼を閉じ、小さく胸元を上下させるその体を、リンはそっと自分のひざ元を枕にして横たえさせた。


静かな、静かな夜風が流れていく。この辺りには魔物もいないのか、微かに聞こえてくる虫の声だけが俺たちの意識を心地よく震えさせた。


「俺たちも寝るか」


ガレの村からもらってきた寝具を、影の中から取り出す。容量は未だ未知数だが、実は奴隷商からかっさらってきた馬車も何かに使えそうだと思って入れてきてしまっている。この魔法本当便利。


見張りの順番を決め、俺たちは床についた。


これから先どうなるのだろうか。考え事が頭の中を渦巻いて、眠りに落ちる直前までなかなか気分は落ち着かなかった。

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