第22話:追跡者との戦い②

「ゴーズ何をモタモタしている。冒険者Aランクの称号は飾りか」

「あァん!?」


奴隷商人の言葉に、ゴーズと呼ばれた鉄球の男が唸り声を上げて睨んだ。すると、奴隷商人を含め周りを取り囲む兵士たちが一斉に悲鳴を上げ、腰を抜かして怯え始めた。


これは……さっきのリンやオプールの反応と同じだ。まるで、目に見えない何かとても恐ろしい力に気圧されているような。


「き、貴様っ! わしらにまで『威迫』を使ったな!?」

「ハハァッ、わりィわりィサムガンの旦那ァ。偉そうなブタが何かうるさかったからよォ……」

「何をっ……!」

「ほォれ、まずは一匹だ」


腰を抜かしたまま唾を飛ばす奴隷商人に向かって、男はこともあろうにリンを雑に放り投げやがった。


奴隷の紋が光り身動きが取れないリンは、空中で身を固めたまま声にならない声を上げた。


「ひぃっ……!」

「リンっ!!」


助けに行きたかったが、やはり俺の体も全く俺の意思に応えてくれることはなく、地面に杭で打たれたかのようにビクともしなかった。無理して動こうとするたび、首元が熱くなり全身を縛り付けるような力が強くなるのを感じる。


これさえ何とかすることができれば……!


「おいお前らっ!」

「へ、へいっ!」


指示を受け、奴隷商人の周囲にいた兵士たちが慌てて腕を伸ばし、リンを受け止めた。リンをいたわる様なその手つきは、彼女のことを「商品」として取り扱っているからだと分かってはいるが、にしても放り投げた男の扱い方よりは随分マシに映ってしまう。


「ゴーズ! 貴様いい加減にっ」

「オイオイ……いい加減にすンのはアンタの方だぜェサムガンの旦那ァッ」

「ヒイェッ……!?」


男は、肩に担いでいた鉄球を思いっきり奴隷商人のすぐ前の地面に叩きつけ、そのまま圧倒的上から目線で睨みつけた。奴隷商人は腰を抜かし、口をあんぐりと開けたまま男を見上げる格好になっている。


男は、その内心のイライラを全く包み隠すことなく怒鳴りつけた。


「余計な横槍入れヤがって……せっかく、ちったァ心躍る狩りができると思ったのによォ」

「な、何を言うか! お前を金で雇ったのはわしだ、お前は依頼された仕事をさっさと済ませればいいんだ!!」

「あアァんッッ!?」

「ヒイィ……!」


情けない姿勢のまま食い下がってくる奴隷商人に対し、男が再度にらみを利かせると、奴隷商人はさらに情けなく地面にへばりついた。


男は、しばらく奴隷商人に鋭い視線を向けていたが、やがて堰を切ったように笑い声をあげると再び俺の方を向いた。


「ゲアッハッハッハッハァ!! そうだなァ、俺はさっさとヤることヤりゃあいいんだ。何をこだわってたんだかァ」

「そ、そうだゴーズ……!」

「オメェの声ァ聞きたかねぇよ、そのメス連れてさっさといっちめェなァ」


再び鉄球を担いだ男は、奴隷商人に向かって視線も向けずに手でシッシッと追い払うような素振りを見せた。それを受け奴隷商人は、これ以上男を刺激しない方がいいと考えたのか、周りの兵士たちに指示を出し素直に引き下がる姿勢を見せた。


兵士たちが縛られたままのリンを連れて、森の陰へと消えていってしまう。リンが悲痛な面持ちで、何かを訴えるように俺を見つめているのが分かった。


クソっ待て……! 


手を伸ばそうとした。だが、ほんの指先を動かそうとするのさえ、全身が軋むほどの全力を出してもなお難しく、もはや首の模様は焼けるような熱さを伝えてくるようだ。 


この体が動きさえすれば!!


すぐにでもあの奴隷商人の顔面に飛びかかって、その忌々しい表情を苦痛にまみれたものに変えてやれるのに!!


「ゴーズ、お前だけで大丈夫なんだろうな」

「黙れって言ったよなァ……? 動けもしねェメスガキ一匹に手間取るようだったら、俺ァ今すぐ冒険者を辞めてやるよォ」


それだけ確認すると、奴隷商人たちは町の方へと姿を消していってしまった。リンは最後まで俺の方に視線を向け続けていた。


結局俺は、何もすることができなかった……!


無力感に全身が苛まれていく。まるで最初目覚めた時の、檻の中の奴隷だった頃に戻ってしまったようだ。


いや、俺は根本的にはあの頃から何も変わってなどいなかったのだ。昔も今も、人間に一つ命令されただけで何もできなくなってしまう、みじめな奴隷のままだ。ちょっと強くなったからって、何も変わってなどいなかった……!!


「さァて、さっさと終わらせるかァ……」


男はゆっくりと近づいてきた。先ほどまでよりは覇気がなく、だが未だ圧倒的な存在感を放つその巨体が地面を踏みしめて迫る。


しかし俺はそれを、呼吸を荒げながら見ていることしかできない。


「何もできねェんだなァ。ほんっとみじめなモンだぜ奴隷ってェのは」


もう後2・3歩の所まで男が来たときに、横から俺の前に立ちふさがる人影が現れた。


「止めろ! も、もう……止めてくれよ!!」


ずっと男に怯え蹲っていたオプールだった。尻尾をおっ立て爪を尖らせ、戦う姿勢を男に見せている。


しかし、その全身至るところがプルプルと震えてしまっていて、恐怖心が全く隠せていない。


男は大して驚きもせず、面倒くさそうに頭を掻いた。


「何だァ、オメェまで動けんのかァ? 俺様の『威迫』も大したことねェなァ…………フンッッ!!」

「オプー……っ!」


一瞬のことだった。片目を閉じていた男が急に腕を振り上げたかと思うと、オプールの頭めがけ鉄球を振り落としたのである。


凄まじい勢いで地面へと落ちた鉄球は、大地に巨大なクレーターを作る。だが、そこにオプールの姿は既になかった。


男が、横を向きながら感心の声を上げた。


「ほォ、結構早ェじゃねェか」

「はっ……はっ……はぁっ……!」


オプールは荒く呼吸を繰り返しながら、少し離れた地点に片膝を立ててしゃがみこんでいた。慌てて飛びのいたからだろう、体は土埃にまみれ膝には擦りむいた後すらあった。


俺も、オプールがここまで素早く動けるなんて知らなかった。やはり、獣人はその種族ごとに特性が大きく異なっているのだと、こんな状況ながら感心してしまう。


「はぁっ、はぁっ……! ネズミの獣人は、すばしっこいのさっ」


オプールは立ち上がり、息を荒げながらも自慢するように宣言する。まるで、お前なんかには負けないと息巻くようだ。


だが、だからといって状況はまるで好転してはいない。


「なるほどなァ……! だったらこういうのはどうだァ?」

「……っ、てめえっ……!」


男は今度は、目の前で動けないでいる俺の丁度真上に来るように、鉄球を高く振りかざした。ただ鉄球を振り落とされただけでは、俺は「頑丈」の効果で致命傷には至らないだろう。そもそもコイツの任務は俺を倒すことじゃない。捕まえて連れていくことだ。


だから、コイツの狙いは……!


男のニヤついた表情からその魂胆を察し、俺はすぐオプールへと叫んだ。


「オプール来るな! こいつは……っ」

「さァッ! また逃げんのかよォ、ドブネズミ!!」


男は俺の言葉を遮るように、すぐさま鉄球を落とした。


俺は何とかオプールを止めようと、その目に向かって視線を向けた。だが、オプールの怯えたように見開かれたその瞳の奥に、後悔と懺悔と、そして強い決意の色を俺は見てしまったのである。


もう次の瞬間には、俺を庇うためオプールが鉄球の前にその身を投げ出しているところだった。刺さった棘がオプールの肌を裂き、衝突した鉄球がその体を歪ませ、骨を粉砕する。その場面は嫌にスローモーションに見え、砕かれる骨の音まで聞こえるようだった。


「ぐはァッ!」

「オプールッッ!!」


オプールの体は、そのまま勢いを失って地面に崩れ落ちた。


何で、何で……!?


冷静に考えればわかるだろう、罠だと。なのに何で飛び出す。どうして俺の思ったように動いてくれない?


「グッ……うぐぅ、ご、ごめんよ……巻き込んで、しまって」


オプールが地面に顔を突っ伏して痛みに悶えながら、なぜか俺に対しての謝罪を口にしていた。


「ち、違うっ……俺たちが」

「守り、たかったんだ。今度こそ……みんなを……」


なぜだ、どうしてそうなる。お前が守りたかったのは、自分の村の人たちだろう?


どうして俺を守るんだ、どうして謝る、どうして自分のせいにする!?


そんなの、決まっている。コイツが優しいやつだからだ。


臆病で、通りすがりの俺たちに声をかけるのさえ躊躇うほどのへっぴり腰なのに、それを乗り越えようとしてまで敵城に乗り込もうとする馬鹿野郎だからだ。


そんな馬鹿に、こんな無茶をさせてしまったのは俺だ。敵の手にかかって、一歩も動くことができない間抜けな阿保だ。


痛みにもだえるオプールと、必死に呼びかけつつも動けない俺を見下しながら、男は甲高く笑った。


「ゲアッハッハッハッハァ!! 確かに奴隷ってのは便利だなァ、小うるさいネズミ一匹あっさりおびき寄せちまう餌になるんだからなァ!?」

「……っ」


男の笑い声が聞こえてくるたびに、気持ちが暗く深く沈んでいくのを感じる。


ああ、また俺は見下されて……利用されている。憎くて、今すぐ殺してやりたい相手がいるのに、動き出すこともできずに立ち尽くしている。


許し難いことだ。


力が欲しい……ヤツらに復讐する力が……。


自分の意識の遥か下層、深い、深いところまで探っていく。そうしていると、底から立ち込めてくるものがあることに気が付いた。


俺はそれを掴む。


その瞬間、湧き上がってくる圧倒的なエネルギー。黒く激しく渦巻く、力の奔流。かつて感じた、あの力だ。


その力の荒ぶるままに、体を動かそうとする。


指先が動いた。


「ぐっ、ぐっ、ぐがッ……!」

「んん? ……おいおいぃ」


だが足りない、全然足りていない。俺を縛るものを跳ね除け、目の前の男を屠るためにはまだまだ足りない。


もっとだ。もっと深くから……いや、違うな。


もっと憎むのだ。


目の前の男を、俺を見下した奴隷商人を、リンを連れて行った兵士たちを……人間たちを憎む。殺してやりたいと願う。そうすればそうするほどに、力が湧きあがってくるのを感じていた。


腕が動いた。だが、動きが鈍い。やはり俺の首で熱を発している、さっきからうっとおしいこれのせいだ。


ならば、俺を縛り付けるものなど必要ない。


俺は爪を立てて喉を掻きむしった。


「ガッ、ガアアアッ! ウグガァッッッ!!」

「こいつ、やべェぞォ……ッ」


男が鉄球を振り上げるのが見えた。だが俺は、防御よりも先に喉を引き裂く方を優先する。


首の熱くなっている部分をひっかき、裂く、裂く、裂く。血が飛び散り、そのたびに痛みが走る。


だが、あのうっとおしい熱さに比べればだいぶマシだ。


一際大きく血しぶきが舞う。


――「奴隷紋」の術式を吸収、その効果を打ち消しました――


視界の端に、いつもの画面が表示されていた。

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