第三章 天使と双子
一節 暗と明
ルシフェルが子供たちを助けている間、ラジエラたちは伯爵と面会していた。
イネスの立場を利用し、聖国プリミティブとアージェ教の代表としての面会だ。アポなしであっても、聖女を無碍に扱えないのだ。集団同士の関係性で言えば、聖国プリミティブとアージェ教共に不利になり兼ねないのだが、民衆の目には関係がないのが原因だ。
「ご用向きは何でしょうか?」
不細工を詰め込んだような男、ジーノ・ダッダーリオ伯爵はソファに座りながら対面に座るイネスに言った。
「先日、聖母が天啓を得ました。私たちはその天啓に沿って行動しています」
「ほう、これはおめでたい事です。ここにいらしたという事は、私めも関係しているという事ですね」
白々しいとはこの場の事を言うのだろう。
天啓ではなく降臨、しかも行動を共にさせていただいているのが正解だ。また今回の場合は託宣と言うのがまだ正しい。天啓と言うのは喜ばしい事を言うのであって、託宣はその逆なのだ。
ジーノも本来はそのあたりを疑わなければならないのだが、真に受けた上に、自分もそれに関している事を疑っていない。後ろ暗い事があるからこそなのだが。
まぁ、関係していることに間違いはない。
「ええ、関係しています」
内心は怒り心頭状態なのだが、それを表に出すほど馬鹿ではない。
「つきましては、この町の結界を一時的に無効化していただきたいのですが、いかがでしょうか」
「ふむ・・・そういう訳には参りませんなぁ。当領の政策は結界を中心としておりますから。子供たちや親にいらぬ不安を与えるような事はでき兼ねますな」
ニヤニヤしながらそう言った。いや、ブヒブヒと言った方がいいか。
「アージェ教の聖女として、そこを何とかお願いできませんでしょうか」
「でしたら、天啓の内容を教えていただかなければなりませんな。一時的であっても結界を解除するとはそういう事なのですからな」
よく舌の回る狸だ。アージェ教としては特に問題なくとも、聖国としては武器になりえるのでそうはいかないのだ。聖女は外交補佐でもあるのでこういう判断を間近にしており、こと彼女は実質外交官のような事もしていたので、彼の返しで動揺することはない。
「やぶさかではありませんが、あなたの立場が悪くなってしまうことになりますがよろしいですか?」
「どういうことだ」
敬語が抜けた。乗ってきた。
「天啓とは言いましたが、あなたにとって喜ばしい事だとは一言も言っていませんよ?」
「何を言っているのかね」
「そのままですよ。アージェ教には利益のあることなのですがね」
ここで初めてイネスは笑顔を消した。その顔は真顔と言うよりは怒り顔だった。対するジーノは苛立ちを顕わにして、イネスを睨み付けている。
二人の睨み合いのさなか、イネスの肩を触った。兄から連絡が入りましたよ、と。
「ラジエラ様、技能を解いていただいてもよろしいですか?」
「はい」
「ラジ、エ・・・ラ・・・」
天族隠蔽の技能を解いた彼女の姿をみてジーノは慄き、様を付け忘れてしまった。
ここでレイモンが低い声で吠える。
「おい!天使様に向かって敬称を抜くとは何事だ!」
そう言われて初めて気づいた。天使がここにいるという事は、降臨しているということ自体が十中八九いい事ではないのだ。隠されていたとは言え、傍から見ると立たせていたのもまずい。
ラジエラは内心動ける豚だな、と冷ややかに思った。ジーノがその巨漢では想像もできないほどに早く動いて平伏してしまったからだ。
こういう人物はさらにミスを重ね、レイモンに向かって平伏していた。
「たたた、た、大変、失礼致しました」
「相手が違うだろう」
低い声であったが、レイモンは呆れてしまった。
「もも、申し訳ございませんでした」
「別に構わないのですが」
この辺りは、平民感覚が抜けないラジエラらしい言葉なのだが、二日で抜けと言うのが酷な話で、対応しているルシフェルの方がおかしいのだ。まぁ、将官待遇で一部から閣下と呼ばれていたので、ある程度慣れていたのもあるのだが。
「これからの聖女様の言葉は、私の言葉であると思ってくださいね」
そう言って聖女にバトンを渡した。こういうやり取りをラジエラはできないので、初めから申し合わせていたのだ。
「ははー」
「一つ聞きますが領主館に地下牢はありますか?」
「ございません」
「おかしいですね。この地下に男が倒れていると、兄から連絡があったのですが」
示し合わせていた通り、ラジエラは合いの手を入れた。
「あ、に?」
「ラジエラ様のお兄様です。熾天使ルシフェル様ですね」
この一言で、ジーノは恐慌状態に陥った。
ただ天使、と言うだけならまだ躱せたのだが、最上位となるともう何も通用しないのだ。
第六位である能天使になれば当たり前のように嘘を見抜いてくる。それ以上の上位天使であれば嘘の内容まで見抜かれてしまうのが当たり前になっている。そして、それは広く知られている。
主天使、力天使、能天使は共通して『真実の目』と言う技能を持っており、嘘を見抜く能力を持っている。ただ、嘘をついていることしか分からないのだが。
熾天使、智天使、座天使のもつ『威光の目』は『真実の目』の上位互換であり、無意識下に恐怖、畏怖、尊敬を植え付けるだけでなく、嘘をついていることから、その内容までが分かってしまうものだ。
「因みに、ラジエラ様は智天使です。この意味が分かりますよね」
「はいぃ」
「領主館に地下牢がありますね」
「はい」
「何を閉じ込めていたのですか?」
「奴隷となった子供たちです」
「何の為にですか?」
ジーノは答えられなかった。答えないことで逃げようとしたのだが、もう遅い。
「子供の奴隷は例外なく非合法です。更に、エイナウディ共和国では、それを見つけた場合、開放の義務付けがあったように記憶しています。しかし、なぜ地下牢なのですか?」
イネスは答えられないことが分かっていてわざと聞いている。
「その沈黙が答えですね。レイモン、お願いします」
ただ、これはイネスの優しさでもあった。
ここで答えていれば、アージェ教からの追及はなく、そのままエイナウディ共和国へと身柄が引き渡される。つまり、少しだけ早く楽になれたのだ。これによって、ジーノは余計な責め苦を味わうことになるのである。
レイモンが器用にジーノを縛り上げ、彼を先頭にして部屋の外に出て行った。
職員から何事かと聞かれたが、後で分かると言って答えを濁した。
ここからは電光石火だった。教会はイネスとレイモンとともに、領の政治を安定させ、伯爵一家の逃がさないように、自警団と傭兵団、領軍、領主館職員を使ってガッチガチに固めていった。
神殿騎士が到着すると修道女たちも一緒に子供たちを移送する。これは、神殿でないと隷属魔法を解けず、子供たちが途中で逃げださないようにする為である。
一方、ルシフェルとラジエラは町の宿に留まって、セレとイムの体力回復を待っていた。
合流したころには、二人はルシフェルの腕の中でぐったりと眠っており、動かすのがかわいそうだったからだ。
また、転移してもよかったのだが、第三者を伴う転移には実は問題があった。
寝ている、あるいは気絶している状態で転移すると、防衛本能によって魔力暴走を起こす恐れがあるのだ。環境の所為でほとんど魔力が回復していない二人を寝た状態で転移すると、また命の危険にさらす可能性がある。たとえ死ななかったとしても、後遺症を残す恐れも高い。
ルシフェルからすると、今二人が生きていることは奇跡なのだ。裏では、見目のいい双子を死なせないために商人があらゆる手を尽くしている上に、双子の価値を正確に把握していたから助かっている。それを知ろうとも思っていない彼は頭を抱える事象が減ったので、奇跡として片付けている。
とは言え、短期間に二度というのは、死亡率が跳ね上がる。魔力暴走は子供の、とりわけ赤子の死亡率が病気よりも高く、彼らが元居た世界でも対策しきれず依然として高い。その為、ある程度安定するまでは、留まるという選択をしたのだった。
「軽い・・・」
移動の為にセレを抱いたラジエラが思わず口にしてしまった言葉だ。見て分っていたのだが、前時代的であってもやせ方は異常だ。まるで自分のことのように目尻を光らせていた。
彼女は前の世界の職業体験で同じくらいの子を抱いたことがある。だからこそ出た言葉であった。
目を覚ました二人がラジエラを見て一瞬怯えたのだが、背中の翼と頭の輪をみて安心したのかまた泣き出した。泣き出した二人を彼女が抱きしめると、彼女にすがって大泣きに変わった。
宿の女将が心配になって部屋に来たのだが、様子を見て「仕方ないね」とほほ笑んだ。
謝罪してから音響遮断結界を張って迷惑が掛からないようにすると言ったが、あんくらいの子はまだまだ泣いてなんぼだから心配するなと言い返されてしまった。そんな客を止めるような宿ではないと。
宿は教会の紹介だから当然だろう。だからと言って張らない理由ではないが。
事情を話すと部屋に食事を持ってくることに二つ返事で答え、女将自身が、できないときは女性に持ってこさせるという事になった。後に引くかどうかは別として、一時的な男性恐怖症になっていてもおかしくないからである。
机も椅子も特別に用意してもらって、いざ夕食を取ろうとすると問題が起こった。二人が食べようとせず、じっとルシフェルとラジエラを見ているのだ。
ルシフェルはそれに気づいて食器を置くと、席を立って二人の間に入り目線を合わせた。
「どうしたの?おいしいよ」
「うん、おいしいよ」
ラジエラも笑顔を見せるのだが、二人は食器を持とうとしない。
「同じ机に座って食べたらダメだって」
「終わるまで待ってからじゃないとダメだって」
蚊の鳴くのような、泣きそうな声でそう言った。奴隷教育まで仕込まれていたらしい。
「もうそんなことしなくてもいいんだよ」
二人の頭を撫でながらルシフェルは言う。
「一緒に食べよ、その方がおいしいよ」
「「う・・・」」
戸惑った反応に業を煮やしたようにラジエラは立ち上がると、セレの後ろについて目線を合わせる。ルシフェルは同じようにイムの後ろに移動する。
二人して半ば強引にスプーンを持たせると、馬鈴薯のスープを掬って口元に運ぶ。
「ほら」
急かすだけでラジエラはそれ以上を自分の意思でさせようとする。
最初こそ強引だったが、今はスプーンを持つ手を優しく包み込まれ、優しい笑顔を向ける二人を二人して目に涙を溜めて交互に見る。
そして、観念したかのようにイムが口を開いた。
「いいの?」
「いいんだよ。もう二人は奴隷じゃない。俺とラジエラは、本当のお兄ちゃん、お姉ちゃんだと思っていいからね、ね」
そう言ってラジエラに振る。
「うん、セレちゃんも、いいんだよ?」
「ほんと?」
セレは彼女の言葉に応えるように聞いた。
「ほんとだよ」
「「うそじゃない?」」
声をそろえて聞いてきた。
「ほかの天使様に言われたんでしょ?助けてくれるって」
「「うん」」
「だから、もう、大丈夫なんだよ」
二人同時に嗚咽しだしたので、スプーンをスープの皿に置いて、ルシフェルはイムを、ラジエラはセレを抱きしめた。
「もう、大丈夫、お兄ちゃんとお姉ちゃんが絶対に守ってあげるからね」
堰を切ったように泣きじゃくった。
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