三節 天使、巫を得る

「・・・それで、顔色が悪かったのか」

「防衛本能は二ヶ月も続きません。最悪を確認しに行ったら、最悪を引いてしまいましたか」

「どうするの?」

「俺の魔力を渡して夜間もやりたいんだが、条件が足りない」


 恒星の光を反射している天の形は半分と言ったところ、星明りは全く頼りにならない。暗視眼鏡もあるがルシフェルの分だけだ。

 明かりを得る魔法はあるが、魔力を考えると夜間持っても突発的な戦闘に対応できなくなってしまう。相手に自分の位置を視覚的に知らせることになってしまうので、それ地互いよろしくない。

 また、特定物探索型超広域索敵魔法は、特定物を探すことに特化させているその性質上、敵性存在等は引っかからない。その為、ラジエラの索敵魔法とは別にルシフェルも索敵魔法を展開しているが、ルシフェルの索敵魔法がなくなると奇襲を受ける可能性が高くなる。

 ルシフェルの魔力を渡しつつ、捜索を行ってもいつか疲労を回復しなければならない時間が来るので、そこまでする必要があるのかどうかと言う問題もある。


「二次災害を考えるのなら夜間は駄目ですね」


 捜索において最も重要なのは二次災害を出してはいけないことである。捜索の手間を増やしてしまうと、生存の絶望性が増してしまうわけだ。


「不明者、不明者を呼ぶ、だな」


 ミイラ取りミイラになると同じ意味のことわざだ。ルシフェルがいた世界でも同じ言い回しが使われている。


「精霊の里に行く必要はなくなりました。明日からは励起魔素の痕跡を重点的に追います。しっかり休んでください」


 状況になれていないイネスとラジエラは天幕に消えていき、レイモンは焚火の前で腕を組んで寝てしまった。闇に火の粉が消えていく、パチパチとむなしく音が鳴り響く、夜行性生物の鳴き声がうるさく感じてしまう。

 しばらくして天幕からラジエラが出てきた。彼女はルシフェルの隣に体を寄せて座ると頭を肩に預けようとした。


「夜間警戒中は駄目だ」


 無論、それを拒否した。家なら何も言わずに好きにさせるのだが、生物は跋扈ばっこする夜の外で命を危険にさらすような真似はできないのだ。

 長椅子の端に詰めて、その横で寝るようにさせる。

 ユニゲイズたちを除けば全種族の最高峰たる天使中でも最上位たる熾天使、その熾天使のルシフェルがここまで警戒する理由は、この世界の獣魔の強さを知らないからだ。

 更に、立場上、元の世界で三日三晩の四十八時間に及ぶ死闘を十数回経験しており、同等の強さを持つ獣魔と会敵してしまった場合を考えているわけだ。この前の天使になったからと言って、自分の強さの変化を感じていないのも原因で、実際に変化していない。


「気持ちは分かるから、傍で寝ていい。ただ、警戒中に膝枕も肩枕もできない」

「ん、ありがと」


 と寂しそうに言った。そんな彼女に長外套を毛布代わりに着せると笑顔を見せてくれた。

 彼女曰く、いなくなってから三日ほどしかたっていないのだが、調査で次元境界送りに巻き込まれた可能性が知らされており、覚悟しておくように言われたらしい。

 自身が拉致されて二年、再会して二年で唯一の身内のことを覚悟までしろと言われれば、その心労は計り知れないだろう。それも、まだ十五の少女が負っていい心労とは到底言えない。

 育児放棄気味の両親が早くに亡くなっていることでブラコン気味だったのが、拉致で悪化しており、昨日は結局同じ寝具で寝ているのだ。また、重症化の心配をしなければならなくなっている。

 ラジエラが寝てしまって半刻、天幕からイネスが出てきた。


「こちらにいらしたのですね」


 隣にラジエラがいなかったのを心配したのだろう。その寝顔を覗き込んだイネスは笑みを浮かべた。

 安心しきった寝顔から、二人の関係性が容易に察することができる。

 兄弟姉妹のいないイネスからしてみると、ラジエラがうらやましくてしょうがない。


「色々、苦労していますからね」

「そうだったのですね」


 イネスはレイモンの横に腰を落ち着ける。


「そう言うイネス様は、心配されて?」

「いくら天使様とは言え、私より年下の子がこんな状況で隣からいなくなれば、府警だと分かっていても心配はします。精神状態もよくありませんでしたから」


 どうやら見抜いていたらしい。


「イネス様、私の巫になる気はありませんか?」

「よろしいのですか?!」


 レイモンを気遣いつつも彼女は前のめりに答えた。


「こちらとの繋ぎを置いておきたいと言うのと、妹の友人になってほしいのですよ」

「ゆう、じん、ですか・・・」


 ラジエラの頭を撫でながら言うとどこかいぶかしげに返された。


「あなたには難しいのは分かっています。頼んで友人になるというのは、本当の意味で友人なのかと言う命題もあります。おかしなことを言っている自覚はありますが、兄として、心配なのですよ」


 ルシフェルにとっては少し考えれば分かることだ。そもそも、前時代的だと言われた時点で、この世界の教育体制や方針は察しが付くのだ。縦社会のきつさと洗脳的というのが。


「私としては構いません。寧ろルシフェル様の方から言っていただけるとは思ってもいませんでしたから。本当に私でよろしいのかという疑問があるだけですね。愚問でしょうが」

「その気持ちは分かりますよ。これに限らず何かで誰しもが思う事ですから」


 特に謙虚な人間なら思う事が多い疑問である。これは自信のなさからくる不安でしかない。


「不安を払拭できるのか分かりませんが、一つ話をしましょうか。私は熾天使という階級にあるのは聞いているかと思います。そもそも、私もラジエラも天使になったのは昨日なんですよ」

「新参という事なんですね」

「ええ、そして元は堕天族と呼ばれていました」

「つまり、元悪魔という事ですか?」


 わかっていないとでも言うのか、だからどうしたと言うのか、きょとんとして返された。

 この世界では、天族が何らかの重大な罪を犯せば堕天状態になり、悪魔に身をやつすことになる。

 悪魔と天使の決定的な違い、それは翼の色だ。

 翼の羽の色を決める色素を持っていないので、天使の翼は純白以外にあり得ない。罪を犯すことで頭上の光の輪は本来の白から黒く濁っていき、最終的に熾天使ラファエルにより堕天と判断されて、光の輪の色を翼に定着させられて翼が黒くなる。

 光の輪の本質は濃密な魔力の塊で何もしなければ白く淡い光を放っている。罪を犯すことで魔力がもつ波長が変化し、その影響で黒く濁っていくのである。これは天使が輪を作り出す機能を持っており、ユニゲイズたちが見て分かるように作り出した機能である。

 その悪魔になっても罪を重ねると、熾天使ラファエルによる断罪により存在を消されてしまう。逆に罪を償い天族全員に認められれば昇天状態となり、堕天前に戻るのである。

 このことに関してはラジエラと再会した時にミカエラから聞いていた。だからこそ、懸念事項として成り立ちを伝えておくという判断を下したのだった。


「いいえ、ただの天族と他種族の混血です。ですが堕天族と呼ばれていました。食事前に見せたものは純粋な天族の技術で作られたものではありません。何か気づきませんか?」


 先祖返りの彼が『ただの』といっても説得力が皆無なわけだが、事情を知らないのでそれは伝わっていない。そんな彼女はうつむいて思案し始めた。そして、


「まさか、異世界の」


 これを思いつくのはそう難しい事ではない。


「ええ、先日、どこかの王国で天使が降臨する騒ぎがありませんでしたか?」

「ありました。異世界から人をさらう禁忌を犯して天使から罰を受けている最中だと聞いています」


 この辺りの情報の伝達は早い。神殿を中心とした国に暗部がない方がおかしく、通信魔法はある程度長距離でも使えるわけで。


「私はそれに巻き込まれたんですよ。おかげで命拾いしたんですが」

「そうだったのですね」

「なので、そう言う意味では、あなたの経歴に傷をつける結果となるでしょう」


 懸念されるのはこのことだ。これを後から伝えてろくでもないときに降りてもらっても困るわけである。


「いいえ、天使の経歴がいかなるものであろうと、『天使の巫』を冠すること自体の栄誉が大きすぎるので無視されますね」


 これは天使という存在が神よりも身近であったことが原因によるものだ。『神の巫』と宣えば、天使を差し置くことになり、総スカンを食らうことになる。それによって何もせずに消えていった宗派や宗教は多い。

 天使という存在が確認されているこの世界では、確認のできない神という存在はより格上の存在となっている。なので、『天使の巫』を冠することは絶大な効力を持っているのである。

 さらに、悪魔の昇天が浸透していることも大きく、アージェ教の経典にしっかりと記されていることだ。


「では、異教徒の場合はどうでしょうか?」

「それもあまり気にするほどではありません」


 イネスの言うとおり、天使を差し置くことがこの世界ではできない。なので、宗教の共通点として、天使という存在は絶大なのだ。


「政治利用や狂信者とのいさかいは避けられませんが、私はアージェ教の第二聖女ですから、元からですね。私がもっと別の、例えば王国の貴族令嬢であれば、諸手を上げて喜べることではなくなりますね」


 これもイネスの言うとおりだ。ルシフェルの巫となろうと、彼女にとっては今までの延長線上にしかない。寧ろ、発言力が強くなるので大歓迎だ。

 聖国プリミティヴにとって聖女と言うのは、王族の姫とほぼ同じだ。ただ、聖女は選ばれるのであって、姫のように王家の直系とは違う。また、親が枢機卿とも限らない。そこには政略結婚も絡んでくると言う、かなり面倒な立場だ。

 聖女は時代の聖母候補という側面もあり、それは一般人でも目指すことが可能な地位だ。

 なので、聖女だから特別ではあるが特段という訳でもなく、宗教も絡んでいる為に政治利用や狂信者とのいさかいはよくあることなのだ。そもそも、彼女は聖国においては外交補佐官と言う肩書を持っている。

 これが別の国の姫や貴族令嬢となると話は違う。教会や聖国プリミティヴとの摩擦があれば、それは悩みの種となってしまう。端的に言ってしまえば敵側の人間が突然現れてしまう訳だからだ。


「なるほど」

「何か引っかかりがあるのなら私から申し上げます。私を熾天使ルシフェル様の巫として頂けますでしょうか?」

「分かりました。アージェ教の第二聖女イネス様を、熾天使ルシフェルの巫としてここに宣言します」


 すると彼の力が流れていくかのように、光の粒子が彼から彼女へと向かって包み込む。まさか座って話している状態のまま宣言されるとは思っておらず、イネスは焦ってしまったが、光の粒子の流れで跪くことを忘れてしまった。


「これが、巫になるという事なのですね」


 彼女を包む光の粒子は彼女に吸い込まれるようにして消えていった。ルシフェルもこの出来事には驚かされた。一切顔に出ていないが、本当にただ宣言しただけでこうなるとは思っていなかった。同時に、やはり技能かと思い至る。


「何か変化がありましたか?」

「まず、私の魔力が大きく変化いたしました。量が増えたと言った方がよいでしょうか。その分魔力制御を細かに行わないといけなくなったようですね。後はルシフェル様とのつながりのようなものを感じます」

「つながりに関しては私も同様ですね」


 これは魔力の同質性が高くなったことで、身近に感じるようになっただけである。通信魔法にかかるコストが下がっているなど、恩恵はいくらかあるのだが、自覚はできない。


「では、妹のことに関して少し語っておきますね」

「はい」


 これまで妹の身に起こったことを彼は包み隠さず話した。

 ハンカチを出す程、イネスはその話に同情してしまっていた。


「妹の事、頼みましたよ」

「はい、友人になれなくとも、良き隣人としてラジエラ様をお支えすることを誓います」


 その宣言に微笑みを持ってルシフェルが答えたころには、天が沈み込んで星の瞬きが一層美しくなっていた。

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