二節 堕天使、天使に合う

 恐怖、畏怖、尊敬。

 彼の目によって与えられたものは、瞬時に膝を折るに十分だった。

 使えなかったら使えなかったで、重力魔法で動けなくしたのだが、魔力消費のない技能(所謂スキル)で済んだのならこれは僥倖ぎょうこうだと思えた。

 羽翼隠蔽魔法を解除しその姿を見せつけると全員平伏してしまった。


「いい訳はありますか?」


 とか聞いておきながら、聞く気はない。なぜなら彼らは過呼吸と思考封鎖で喋れないことを分かっているからだ。

 一種の恐慌状態である彼らに与えた感情は恐怖、畏怖、尊敬であっても、その実は思考封鎖で、自分がどういう状態になっているのかも分からない状態にしてある。


「いいですか?あなた方が行った行為は、拉致誘拐です」


 とは言えだ。完全封鎖ではないので多少の思考能力は残っている。


「もしあなた方の、親兄弟姉妹、妻子、あるいは恋人が、我々のように突然異世界に連れていかれてしまったら。異世界ですからね、事実関係の確認はできません。失踪ですよ」


 思考能力が多少残っていたところで、これが響いているとは思っていない。

 それにだ。彼の眼の技能、威光の目はその一瞬だけのことなので、強力であっても精神力次第では元に戻るのが早い。


「もし我々があなた方だったら、どう思うのでしょうね」

「も、もうし、わけ、ございません」


 謝罪を述べたのは王妃だった。『母は強し』とはこのことだろう。


「それは誰に対する謝罪なのですか?」

「あなた、がた、です」


 王族の直系はもしかすると、王妃の方かもしれないと思い至った。実際の執政も彼女の可能性がある。

 その言葉を受け取って、メガネをかけると実際に召喚された二人に目を向ける。まだしばらくは動けない。


「災難だったな」


 と声を掛けると、二人は安堵の表情を浮かべた。彼の言葉を聞いて味方だと思ったのだろう。


「隷属魔法を解除するからじっとしててくれ」


 片膝をついて二人の額に手をかざし、解析魔法を起動する。

 隷属魔法や『威光の目』の効果は、実質呪いなのだ。本当に隷属魔法だけなのか、隷属内容の詳細、それが分からないまま解除すると、組み込まれた対抗魔法で跳ね返されたり、呪いの深化を招いたり、最悪はどちらも死に至る場合もある。

 また、呪いのかかり方も人ぞれぞれだ。その体質によって抵抗したり、より深くかかってしまったりする。

 幸い、二人とも多少抵抗していたようで、呪いのかかりが浅く、魔法自体もだいぶ稚拙なものだった。解除魔法を瞬時に組み立てると、二人にかかっている隷属魔法を解除した。


「よし」


 この『よし』という言葉、彼にとっては特別な意味をもつ。

 使った魔法も技能も少ないが多少は自身がいた世界のそれらがある程度は通用するという事が確認できたという事なのだ。ある程度だけならそれはそれで面倒なのだが。

 種族についても然り。彼の背中のまっさら、真っ白の六枚三対の翼、それは種族の頂点に君臨する天使の中でも上位に位置する意味を持つのだが、それと同等の存在がこの世界にもいるという証でもある。

 威光の目で折れるのは膝が限界、単に無意識下に恐怖、畏怖、尊敬の感情を植え付けるだけだからだ。彼らが平伏したのは、意識下に、目で彼の姿を見てしまったからに他ならない。

 似ている部分がある世界だという事だ。


「解除はできたから、もう少し待っててね」

「はい、ありがとうございます」「ああ、ありがとう」


 礼が言えるとなると、二人の育ちはいいように思えた。待てとは言ったが、何の為に待つのか言っていない、説明も面倒だからと、彼はそれを告げなかった。

 そうして立ち上がろうとした時だった。自身の確保していた制空権に盛大な干渉を受けた。

 空間魔法はその性質上、非常に強力であり、絶対防御、優位フィールドの形成ができるほどだ。なので、戦闘中でなくとも、使えないにしても、制空権、即ち、空間魔法を使う為の空間を確保しておくことで、相手の空間魔法を封殺する基本戦術であり、基本戦略である。

 戦争では空を確保されると戦略的敗北となる。空は遮るものがなく開けすぎている為、攻撃通するのも偵察を行うのも空からが楽で確実なのだ。いかに制空権を確保するか、航空戦における重要事項であることと、空間魔法の制空権確保は同義なのだ。

 彼は空間魔法を用いて軍人として常用装備を携帯している。その為、それに必要な制空権を常に確保し続けている。

 その制空権に干渉されたという事は、この場の近くで空間のゆがみが発生し、何かが突如現れる可能性を示唆する。この可能性の示唆も、例え空間魔法が使えなくても制空権を確保する意味があるのだ。その戦術の多くが奇襲なのだから。防げるかどうかは別の話だが。


「やってくれましたね」


 透き通るような声とともに、後光が射すかのように、彼女らは現れた。

 彼と同じ真っ白の六枚三対の翼を持つ臈長ろうたけた女性と、二枚一対の翼を持つあどけなさが残る女性だ。

 とっさに起動した転移阻害魔法をねじ伏せるように二人は現れたのだ。何らかの道具を使ってないのなら、使用したのがどちらであろうと勝ち目がない。

 冷たい汗が頬を伝う。


「他世界から人間を連れてくるどころか、同族を連れてくるなど言語道断」


 あどけなさの残る女性は怒気を含む声でしゃべりだした。


「人間共!ミカエラ様が直々に動かなければならない事態を引き起こし、どうするつもりだ!」


 それは怒鳴り声に変わっていた。


「アルマエラ、そのくらいでいいでしょう。私は彼らを保護しますので、この国の人間たちは任せましたよ」


 聞き惚れそうなほど透き通った優しく美しい声、隠そうともしない強者のオーラ、彼の心を折るには十分だった。彼は構えることを止めた。


「かしこまりました」


 二枚の翼を羽ばたかせ、アルマエラは王の方へと飛んでいき、ミカエラは六枚の翼をゆったりと動かしながら彼の目の前に降り立った。


「聞こえていたでしょう。あなた方を保護します。それと、あなたの名前を教えてくださいますか?」


 そう言って、左手で彼を指した。


「名乗る前に、私をどうするのか教えてくださいますか?」

「そうですねぇ」


 指すのをやめて右手を頬に当てた。

 名前を名乗るという行為はかなり危険な行為で、一定の信用がないと名前を教えてと言われて教える者は、元の世界ではほぼいない。名前を知っていて顔が一致していれば遠隔から効果的な魔法攻撃を一方的に行う事が可能だからだ。


「確かに、どうなるのかも分からずに真名を・・・」


 考え込んでいるところを見るとこちらの世界も同じようだ。


「はい、保護するだけですよ。そして、元の世界に返すだけです。私は熾天使の一人ミカエラ、この世界の管理代行者です」


 しぐさから嘘がないことは分かる。

 それに、彼女らが現れた時に、加速度的に恐慌状態に引き戻されている彼らの様子から、その存在がいかに大事なのか分かる。だから、素直に応じることにした。


「名は、パウル・ユンカースです」

「ではユンカース様、あなたのおかげで手間が省けました。お礼申し上げます。それから、二人にあなたの魔力の残滓ざんしがあるのはなぜですか?」


 変異マナから使用者を割り出せることに驚いた。解析魔法が起動した様子はないのでおそらく技能だ。

 そもそも解析魔法はそう便利な魔法ではない。例えそれが魔法でなくても解析結果を読み取る技術がいるのだ。しかも魔力制御をしっかり行えば、魔法は使用者を偽ることも可能だ。


「それは・・・二人に隷属魔法が掛けられていたので解除したのです」

「そうだったのですね。これは、本格的にあなたにはお礼をしないといけません。が、ここで話をしても仕方ありませんから、先にあなた方を保護します」


 そう言って彼女がほほ笑むと景色は一変した。

 灰色の石造りだった先ほどの部屋に比べれば、真っ白な、大理石でも使っているのかと思えるほどの石造りの部屋は異常に明るく感じる。明かりが現代的なので歪さすらある。


「ここは天の神殿の一室です。ユンカース様の世界で言えば衛星、お二人の世界で言えば月、そこにある建物です」


 彼の世界で彼が住んでいたのは二連星であるので、概念として衛星という言葉は存在するものの、月という言葉は存在しない。


「さて、すぐと言っても、多少時間がかかります。不便になるのでお二人の名前を教えていただけますか?まずはそちらの男性から」

「佐々木勇成です」

「佐々木様ですね。ありがとうございます。そちらの女性は?」

「吉沢優那です」

「吉沢様ですね。ありがとうございます。それでは、ルマエラ、ルムエル、彼らを客室に案内してもらえますか。疲れもあるでしょうから、今日のところは休んでいただきましょう」

「「かしこまりました」」


 元々いたのか、転移を察知して入ってきたのかは分からないが、見たところ双子のような美少女と美少年がそこにはいた。まるで絵にかいたような姿に危うく目を奪われそうになった。


「では、ついてきてください」


 そうして別々の部屋に案内され、ようやく息をついたのだったが、ソファに座ってすぐに追い浮かんだのが妹の顔である。自分がどれだけ妹に依存しているのか自覚した瞬間でもあった。

 依存とは言っても、生きる目的が妹と言う存在に依存しているだけだ。

 年がどれだけ若かろうと、戦略兵士が担う仕事は重いものばかり。だからこそ、将官優遇であり、お金の面を見れば、妹には何も不自由させないし、やりたいことをやらせてあげられる。感情が戻ってもそれを盾にして戦略兵士を続けられるわけだった。

 一瞬こそ絶望したのだが、元の世界に返すと言われれば、あの場の意味も出てきた。

 感情が欠落していた期間があったせいで、感情の制御がうまくない。元々怒りっぽいせいか、あの場はほぼ絶望の感情を怒りに変換して、八つ当たりしていただけなのだ。

 八つ当たりに意味を求める当たり、自分のことが恥ずかしくも感じる。

 気持ち悪い、かったるい、うざい、しばらくは感情制御の訓練をしなければと、思い立ち、ソファに横になるとそのまま眠ってしまった。

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