アイスクリームが溶けたなら

如月アクエ

アイスクリームが溶けたなら

 溶けたアイスクリームが手元まで垂れていた。

 僕はそれを見て、ため息をついた。

 溶けだしたアイスクリームはスティックを伝い、少しづつ手首から先へと進出しようとしていた。

 夏の暑さというものは、ここまで人をダメにするものなのか。

 僕は3分の1くらいまでなくなっている棒状のバニラアイスを持つ手から視線を上げた。

 黒いTシャツの袖からのびる白くて細い腕、そして、ぼんやりと半開きになった薄い桜色の唇、小さいながらすうっと通った鼻筋、気怠そうだが優しい雰囲気を持った目元と黒い瞳。ひとつにまとめられた黒髪。

 暑さにだれている1人の女性が、ソファの上でぐったりとしていた。

 暑さのせいかも知れないけれど、ここまで外とうちでの印象がガラリと変わるのも、どうなんだろう。

 普段、外で働いているこの人は、すこし柔らかいがそこそこしっかりと大人の女性なのだが、家にいるときは一言でいえば「ポンコツ」だ。

 その「ポンコツ」女子の名前は、明智美空さん。

 僕の従兄妹だ。

 歳は僕と6つか7つ離れているこの人は、仕事の都合で彼女の妹、明智陸玖と一緒に我が家にやって来た。

 僕の家族は、父親が海外に転勤することになり、母親まで付いて行ってしまい、そのまま、僕は一人暮らしになった。

 いわば、両親からすれば、従兄妹達に生活の場を貸してあげたようだ。

 だが、実際は違った。

 とにかく、この2人は家事がダメだった。

 自分の部屋の掃除はしているようだけれど、その他のことはまったくやらない。洗濯や食事は、僕任せだった。

 料理はともかく、年頃の男性に自分の衣類を洗濯までさせるのは、どうかと思うけれど、とにかくここ何か月は問題なく過ごしている。

 そして、この夏の休日には、この有様だ。

 僕はもう一回だけため息をついて、キッチンから皿を取り出した。

「美空さん、アイス溶けてるよ」

 その声に当の本人は「あ……」と声を出しただけで、動こうとしない。

 僕が美空さんに近づくと、汗とシャンプー、バニラの入り混じった、ほのかな甘い匂いがした。

「あー、もうこんなにして……暑ければ、エアコンいれればいいでしょ」

「……エアコンの冷気は苦手……」

 と言って、溶けかかっているアイスを一口食べる。

 化粧っけのない顔でも可愛い美空さんが、唇でアイスを掬うと、まるで子供みたいに見えた。白い小さな塊が、口の端についている。

「ほら、手汚れてるから、拭いて」

 まるで母親みたいだと思いながら、僕は美空さんに言った。

「えー……」

 汚れている本人は子供のような感じで応える。

 まるで、「僕に拭いて」というような心の声が黒い瞳から放たれていた。

「あー、はいはい……」

 僕は仕方ないといった感じで、溶けて原型を留めるのが難しくなっているアイスを美空さんから取り上げると、持ってきた皿へ移した。

 そして、バニラアイスで白く汚れた、その手を拭きやすいように支えた。


 イタズラしてやろう。


 僕の中にいる少し意地悪い心が、ポッと表面に浮かんできた。

 美空さんの手首から少し流れ落ちて、ややドロリとしているアイスへ……そっと舌を伸ばした。

「ん……!」

 思いもしなかった感触と行為に、美空さんは違和感と驚きが一緒になった声を漏らす。でも、それを嫌悪感で、やめさせようとはしなかった。

 僕の舌が美空さんの肌にへばりついたアイスを拭うたび、汗のしょっぱさと溶けたバニラの薄い甘さ、美空さんの優しい匂いが混じった味を感じとっていた。僕は溶けたアイスだけを見て、肌に舌を這わす。

「ちょ……たっくん、なんか……へんだよ……?」

 僕のことを「たっくん」と呼ぶのは、小さい頃から現在まで美空さんだけしかいない。

 この美空さんという女性は昔から変わっていない。

 癒しのような柔らかい優しさも、純粋さ、そして、その奥にある想いも。

「ねぇ、たっくん……?」

 そのとき、僕と美空さんの視線が合った。

 彼女の瞳は少し潤み、気温の暑さとは違う熱で、微かに顔が上気していた。心なしか、汗もじんわりとにじむ量が増えてきている……気がする。

 それでも、彼女の手を綺麗にしようと、僕は舌と唇でアイスを丁寧に舐めとってゆく。

 その時、ふいに彼女の脈が速くなってるのに気がついた。

 彼女自身もあまり声を出さず、気恥ずかしさを隠すように空いている手を口元に当てている。

「ちゃんと自分で拭かないからだよ、これからは自分でやる?」

「……はい……」

 美空さんは恥ずかしそうにかすかに首を動かして、答えた。

 改めて見ると、だいぶアイスはなくなっていた。我ながら、よく舐めた。

 が、てのひらや指には、まだ残骸がこびり付いている。

「じゃ、あとは自分で……」

 僕が離れようとした時、美空さんの手が僕の手を掴んだ。

「今日だけは……たっくんが……」

 消え入りそうな声と力で、僕の手を引っ張ろうとする。

「続けてもいいの?」

 僕の問いに、小さく頷いた。

「じゃ……」

 それ以上を語るのは野暮と言わざるおえない……のかな?

 そんな夏の一日だった。  

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アイスクリームが溶けたなら 如月アクエ @d1kisaragi

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