第353話 魔術師リアムの中級編五日目の夕飯前

 祐介を悲しませてしまった。それはリアムの本意ではない。折角の楽しい温泉旅行が、これでは台無しである。


「祐介」

「……うん」


 祐介の首にしがみついたまま、リアムは言った。


「今日は、私が祐介の髪を乾かす」


 すると、祐介が驚いて顔を上げた。いや、これは驚いていない。慄いている。


「え、いや、吸い込まれそうだし」

「遠慮するな」

「どういった風の吹き回し? ほら言ったでしょ、今日はサツキちゃんを甘やかすんだって」


 そして及び腰である。どうやらリアムのドライヤーの腕前を不安視しているらしい。


「今日は私は甘やかされるなら、祐介も甘やかされるのだ」

「はい?」

「私も祐介を甘やかしたいのだ!」

「のだ、て言われても……ドライヤー、本当に髪の毛吸い込まない?」


 二回言われた。リアムは請け負った。


「問題無い! 祐介の髪は短いからな、届かない距離でやればきっと大丈夫な筈だ!」

「きっと」

「そう、きっとだ」

「うーん、じゃあちょっと怖いけどお願いしてみようかな」

「任せろ」


 二人は荷物をまとめると、貸切露天風呂の外に出た。やっぱり手を繋いで歩く。いつもは、手を繋いでも距離がある。でも、今日は温泉である。いつもと違う雰囲気、そして祐介を悲しませてしまった自分。腕にくっついたらどうだろう。嫌がりはしないと思う。とにかく人肌が恋しそうな祐介であるから、サツキの身体を使うのは少々罪悪感がなきにしもあらずであるが、それでもこの身体は今はリアムの物である。


 少し、くっついてみようか。そう思った時だった。


 くらり、と視界が歪んだ。頭からドッと血が降りる感覚がリアムを襲ったかと思うと、足の力が急に抜けた。目の前が、瞬時に白くなる。


 これは、拙い。


 何も考えられなくなり、リアムはその場にカク、と膝をついた。前に倒れそうだったが、祐介と繋いだ手に支えられ、何とか持ちこたえた。


「サツキちゃん!」


 へたりこんだリアムをさっと抱えると、祐介が壁際に設置されたソファーにリアムを寝かせた。


「お水があそこにあるから、持ってくる。ちょっと待ってて! あ、寝転んでていいから!」

「うむ……」


 正直、起きていられない。どうしてしまったというのだ、この身体は。リアムはゾッとした。元々自分でなかった身体だ。一体これが普段あったものなのかどうかすら判別がつかず、恐怖がリアムを支配した。風呂上がりだというのに、冷や汗が出て来た。


「サツキちゃん、お水飲める?」


 祐介が急いで戻ってくると、紙コップに入った水を差し出そうとし、起き上がれないリアムを見てリアムを抱き起こした。リアムが前後にひっくり返らないようにしっかりと肩を抱いて、リアムの口元に紙コップを持ってきた。リアムはそれをだるい手で持つと、一気に飲んだ。冷たくて気持ちいい。生き返る様な気分だった。


「落ち着いたら、部屋に戻ろうか」

「済まない……原因が、分からぬ」

「とにかく一旦ちゃんと横になろう」

「祐介……」


 祐介への愛情を自覚した即座に、身体の不調。これはまさか何かの符丁なのではないか。


 リアムは、恐ろしい想像をしてしまい、ブルリと震えたのだった。


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