第193話 魔術師リアムの中級編二日目の始業開始

 すっかり忘れていた。


 あ、という顔で斜め向かいの席の祐介を見ると、視線に気付いた祐介がにこにこと笑う。怒ってはいない様だ。だが手紙のことを綺麗さっぱり忘れていたのはリアムである。折角祐介がリアムの練習に付き合ってくれているというのに、これではいけない。


 リアムはこっくりと祐介に頷いて見せると、祐介が分かっていなそうな表情を浮かべた。昨日で大分理解した様な気がするこのメールなる代物。これで返信をしてみてはどうだろうか、そう思ったのだ。手で書く練習も必要だが、キーボードで打つ練習も大事だ。丁度祐介からメールが送られてきているので、これに返信すればよかった筈だ。


 リアムは返信ボタンをポチッと押す。マウスの移動だって、一日で大分慣れた。魔術師とは求道者である。となれば、これも鍛錬の一つである。必ずや完璧なまでに自分のものとしてくれよう。


 リアムはキーボードを見ながら打ち始めた。木佐ちゃんの様に恐るべき速さで打つことは敵わないが、日々練習だ。きっと近々、目標とする木佐ちゃんの様になってみせる。目指すべきお手本がすぐ近くにあるというのはいいことだ。


『祐介へ』


 えとへの違いに始めは戸惑ったが、規則さえ覚えてしまえばこちらのものだ。それに漢字だって、変換ならいける。書くのは難しいが。


 リアムは続けた。


『今夜の映画が楽しみです』


 送信ボタンをポチッと押すと、暫くして斜め向かいの祐介がカチカチ、とマウスを鳴らして読み始めたらしい。カチャカチャと音がした後、またポチッと押した音がした。少し待つと、また祐介からメールだ。リアムが開くと、そこにはこう書いてあった。


『ご飯もお楽しみに』


 おお、今宵の晩飯の献立ももう決まっているのか。さすがは祐介だ。


『さすがは祐介だ』


 そう書いて送ろうとした時。


「こら」


 木佐ちゃんのチョップが脳天に軽く落ちてきた。


「あっ」

「あ、じゃない。なあにやってんのあんた達。ほら、もう九時だからいちゃつくのはおしまい」

「いちゃついてなど」

「スミマセン木佐さん、幸せ過ぎてつい止まらなくなりました」

「……どっちかっていうと……まあいいわ、さ、始めるわよ」

「はい!」

「今書いたのだけ送ってよサツキちゃん」

「あのねえ」

「優しい先輩ですもんね?」

「うっ」


 木佐ちゃんは何か恐ろしいものを見るかのような視線で祐介を見ると、仕方なさそうにリアムに頷いてみせた。送っていいということらしい。リアムはポチッと送信ボタンを押した。


 それにしても、祐介は木佐ちゃんのお気に入りではなかったのか。この様子を見る限りではどうも違う様だが。サツキに対して酷い態度を取っていたと聞いた割には、リアムには非常に親切である。もしかしたら、祐介の認識違いがあった可能性もあるな、とリアムは思った。


「じゃあ今日もメールから片付けていくから」

「はい!」


 こうして、リアムの会社生活二日目が開始したのだった。

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