おやすみループ
藤 夏燦
―――
スマホの買い替えは脱皮みたいだ。
私は携帯ショップのカウンターで、そんなことを考えていた。なかのデータはそのまま残って、外見だけが切り替わる。定期的に買い替える日用品でも、そうしたものは珍しい。他はパソコンくらいだろうか。
6年近く使ったスマホと、いよいよお別れのときがきた。充電ができなくなってしまったのだから仕方がない。
綺麗に磨かれた一枚の板のような新しいスマホは、6年越しの相棒より一回り大きかった。最近の機種は全画面でボタンがないのばかりらしい。
使い古した傷だらけの相棒と、黒い箱から丁寧に取り出された新しい相棒は、路傍の石と宝石くらいにギャップがあった。スマホを何度か買い替えているが、ここまで大きく変わったのは初めてだ。それだけ古いスマホのほうが、私の乱暴な使い方にもよく耐えてくれたのだ。
初期設定とデータ移行が終わり、相棒の魂は完全に新しいほうに移った。私は空っぽになった元相棒を手にとって、携帯ショップの店員さんに尋ねた。
「この子はどうしたらいいでしょうか?」
「古いモデルだし、状態が悪いので買取りはできませんね。ご不要なら、こちらで処分いたしましょうか?」
そのとき、何故か胸がざわついた。そして、
「すみません、やっぱり持って帰ります」
と断った。このボロボロのスマホが私の6年間の半身に思えたのだ。
「わかりました。お気を付けておかえりください。ありがとうございました」
私は真新しいスマホを入れた紙袋を持って、携帯ショップをあとにした。今日はこのあと親友のミホと一か月ぶりに会うことになっている。
乗り換え案内を調べようとして古いスマホをとりだすと、繋がっていないことに気がついた。
「あ、そっか。こっちか」
私は紙袋に入れられた新しいスマホを手にとった。保護フィルムを貼ってもらったので、落としても大丈夫だ。
「重っ……?!」
新しいスマホはガラス製みたいでずっしりと持った感触がした。最近のスマホは重い機種が多いらしい。
ミホとの約束の時間が迫っている。急いで電車に乗らなくては。
私は古い相棒を紙袋にいれると、新しいスマホをトートバッグに入れて歩き出した。
☆☆☆
新宿駅から笹塚駅の手前まで、少しのあいだ京王線は地下深くを走る。
私は向かい側に映る自分の姿を見つめながら、私も今まで脱皮を繰り返してきたんだなと思った。
小学生の私。中学生の私。高校生の私。大学生の私。そして今、キャリアウーマンとして働く私。誰もが自分という中身を残したまま、肩書という外見を書き換えて生きている。
それだけじゃない。お父さんとお母さんの娘という私もいる。ミホの親友という私もいる。私が私をやめたとき、私の殻は一体いくつになるんだろう。
そんなことを考えていたら、電車はトンネルを抜けて笹塚駅に停まった。
蘆花公園駅の近くで私はミホと待ち合わせた。ショートカットに涼し気なレースのスカートをはいている。この子は昔から変わらないな。
「ひさしぶりー」
「うん、ひさしぶり」
「スマホ替えた?」
「うん。やっとね」
駅前での会話はほどほどにして、私たちは二人でカフェに入った。手元にはもう新しい相棒がいる。このスマホだけにミホと会ったことが記憶されていく。それは不思議な感覚だった。
今日からは新しいスマホが私の相棒、そして半身となっていくのだ。
ミホが少しだけ新しいスマホの機能をレクチャーしてくれた。なるほど、随分と進化したものだ。コーヒーカップにカメラをむけると、一眼レフみたいにボケたりする。
「うわぁ、すごい」
「でしょ。インカメもめっちゃ進化しているんだよ」
携帯ショップの店員さんばりにミホは私に説明した。新機能は嬉しかったが、なんとなく紙袋のなかの古い相棒のことが思い浮かんでしまった。
ただの「機械」にここまで感情移入してしまうなんて、私はちょっと変なのかもしれない。
☆☆☆
夕方にはミホと別れて、一人暮らしの家へ帰ってきた。明日からまた仕事だ。ゆっくりお風呂にでも入って、ゴロゴロしようかな。
私は部屋着に着替えてから、改めて二つのスマホを机のうえに並べてみた。
6年間のデータは全て新しいスマホに移行されている。つまり今の2つのスマホは、外見は全く違うがほぼ同じ中身になっていた。
しかし古い相棒のほうには、今日のミホとの思い出はない。もちろんこれから先も、このスマホには何も残らない。バッテリーが壊れているので、電池がなくなればついに、この子はもう完全に抜け殻になる。
そして新しいスマホもいつの日か、抜け殻になるときがくる。
私は古いほうのスマホを、契約書と一緒に紙袋に入れてクローゼットの奥へとしまった。しばらく開けないだろうから、その上に空き箱や他の書類をのせる。
すっかり物置で眠っているものたちの、その一部になった私のスマホ。今朝までは肌身離さず持っていたのに、変な感じだ。
私はこの古い相棒に「さようなら」とは言いたくなかった。だから小さく、
「おやすみなさい」
と声をかけ、クローゼットの引き戸をゆっくりと閉める。
いつの日か、クローゼットのなかが抜け殻でいっぱいになったとしても、惜しむことなくその扉を閉じられますように。
とりあえずお風呂に入って、明日に備えよう。
おやすみループ 藤 夏燦 @FujiKazan
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