第四章 幸せは思い出に

第39話 兆し


 冷たい風が吹いて冬がやってきた。


 街も人も眠りにつく深夜、遥はカーディガンやブランケットに埋もれ、机に向かっていた。


「おい、風呂」

「うん、もうちょっと」


 扉の向こう、聞こえる声の先をちらりと見てまた視線を戻す。


 遥は没頭していた。


 自らの手でタマを直すためエンジニアになる事を決めた彼女は、大学の通信講座で学び始めたばかり。


「もう1時だぞ」


 入ってきたのは兄の和樹。面倒くさそうに苛立ちを遥にぶつける。


「もう少し……きりがついたら入るから」

「父さん、心配して待ってるぞ。こもってないで顔見せてやれよ」

「うん」

「ったく。少しは人の迷惑ってものを考えろよな」

「ごめん……」

「は!? 」


 いつもなら言い返してくる生意気な妹の言葉に、和樹は変な声を出す。


「ごめんなさい、すぐ入る」


 どこかぼんやりした様子の遥はカーディガンを脱いで、シャツのボタンに手を掛ける。


「お、おいバカ……俺の前で脱ぐなよ」

「なんで? 」

「もういい、部屋行くから……あんま無理すんなよ」


 焦った和樹は部屋を出ていく。しおらしい様子の遥、家族の心配が届いているのだろうか。


「ごめん……」


 目には涙が溜まっている。


 

 遥は、少し前までごく普通の女性だった。家族や友人を大切にし、夢もそれなりに持って……子供の頃、買い与えてもらったタマを大切に、穏やかに暮らしてきた。


 楽をする為、大切にされたいが為に人々がロイドを求め始めても風潮になびく事もなく。


 でも海斗に出逢い、惹かれ、偶然に違法ロイドという存在を知ってしまった。そしてそれが、とても恐ろしい存在だという事も。







 “違法ロイドは主に産業スパイなど様々な犯罪の為に使われ、その多くが人間と同じように暮らしています。人前で食事をしない人や容姿が極端に均整のとれた人には注意しましょう”



 さっき見た動画の内容が頭から離れない。


 違法ロイド、犯罪、産業スパイ……学んだばかりの単語達がグサグサ刺さるように襲ってくる。

 

 シャワーを浴びて部屋に戻ってきて、ごろんとベッドに横たわる。


 “ハルちゃん、髪乾かさないと”


 そう聞こえる気がしても、結局ただの幻で。またタマと暮らしたい……その一心で始めた講座なのに、気づけば海斗の事ばかり気になっている。


 エンジニアになれば、ロボだけでなくロイドも開発できてしまう。だからコンプライアンスは大切……わかっているけれど、法律やモラルばかりの動画やテキストは、海斗への想いを否定されているようで……苦しい。


 “違法ロイドは開発者だけでなく、関わった人間や家族、友人まで全て処罰対象となります。残酷な罪が課され、生きて社会に戻れる事はまずありません”


 タマならなんて言うだろう……応援はきっとしてくれない、大切な家族や友達の人生まで狂わせてしまう……迷惑じゃ済まない。


 海斗君はだめ……そう言うよね。


 ロイドじゃなかったらいい……あの日起きた事、全部夢であってほしい。


 もし、本当に海斗が違法ロイドで何か悪い事をする為に存在するとしたら……どうなるんだろう。


 海斗も私も……みんなも。


「はぁ……」


 ため息をついて端末を見る。


 こんな時間に来ているわけないのに……海斗からの返信を待ってしまう。昨夜の別れが気になって、何かあったのか心配で、メッセージを送ったのに一日待っても返事はなかった。


 放置しているだけならいい、でももし……海斗に何かあったら……もう……会えなかったら。


 眠れない夜、諦めてベッドから這い出る。もう一度、机に向かう。今の私には不安を忘れて没頭することしか出来なかった。




「遥……」


 海斗の声で目覚めた朝。


「海斗……」

「おはよう、遥」


 いつの間にか机に突っ伏して寝てしまっていた。寝ぼけた頭に優しい声。


「ごめんね、連絡出来なくて」

「ううん、いいの」


 ありきたりなやりとりがうれしくて、心の奥が喜んでいる。


 やっぱり私は、今日も海斗が好きだった。




 


「いいなぁ、朝から彼女と電話ですか」

「うん、まあね」

「お、遂に彼女だって認めましたね」


 朝の職員室、まだ寝ぼけた顔で珈琲をすする教師が多い中、田原と海斗は徹夜明けの高いテンションで浮かれ顔だ。


「まだなんだけどさ……今度、ちゃんと告白しようと思って」

「絶対うまくいきますって! 」

「そうかな? さっき約束したばっかりなのにもう緊張してきた」


「やめといた方がいいんじゃない」


 子供のような戯れに葵が鋭く水を刺す。


「ちょ、葵先生、そんな言い方しなくても……」

「海斗、思ったより冷たいし振られるかも」


 葵は続けざまに刺すような言葉を海斗に投げつけると立ち上がり、部屋を出ていった。


 追いかける田原。


 どうしてこうなったのかわからない海斗はただ二人の背中を見送るしかなかった。




「あいつはやめとけ」


 追いついた田原は腕を掴み引き寄せ、強引に葵を抱きしめる。


「やだ! 離して、離しなさいよ! 」


 拒絶する葵を説き伏せるキス。頬、耳元、首筋へと降りていく優しい動きに葵は自由を奪われる。


「や……人が来たらどうす……ん……」


 思わず出る甘い声さえ、戻って来た唇に塞がれてしまう。


 やがて葵の瞳がとろけたのを確認すると、田原は嘲笑うように肩を撫でる。


 葵の上着がはらりと落ちた時、チャイムの音が二人を止めた。


「続きは今夜」


 葵の耳元で囁き去っていく田原、背中を見送る葵。


 学校では気の強い上司と情けない部下のままの二人……でも実際にはその関係性は変化しているようだ。







「あいつがやらなければお前がやれ」


 涼しい顔で羽島は男に指示を出す。


「はっ!! 」

「親が息子に手を掛けるとはさすがに思えん」

「ですが……本当に海斗は人間なのでしょうか。我々の銃弾をはねのけ逃げた過去もあります」


 なぜか羽島は笑う。


「お前は言われた事だけやればいい」


 笑いが止まり、その瞳はなんとも冷酷な輝きを見せる。


「では、早速向かいます」


 怯えて逃げる捜査員、その背中に羽島は言葉を投げる。


「田原には言うなよ」


 何かは、既に始まっているのかもしれない。







「遥が動きました」


 水野は帰るなり捜査員から報告を受ける。


「エンジニア志望者リストに名前が」

「他には」

「英嗣が戻っているようです」

「そちらの動きは」

「ありません。あとは海斗が……」


 言い淀む様子の捜査員。


「警察に連行されたのでしょう」

「ご存知なのですか」


 各方面に協力者を配置している水野にはどの情報も既に最新ではない。


「雇い主がかばい、署に着くまでに解放されています。あの校長……海斗の正体を知っていますね」


 水野は何が起きているか、掴みかけていた。しかし、思ったよりそれは早いかもしれない。


「すべての調査を終了し、突入準備を」

「かしこまりました」


 頭を上げた捜査員は硬直した。笑顔を見せない氷の女神の笑みに。


 水野は、嘘をつくとき微笑む癖がある。しかし本当の彼女を知っている人はこの世にはもう存在しない。


「船を一艘用意してください。えぇ、小さくて構いません。はい、お願いします。操縦は……こちらで人間を用意します」


 人払いをした暗闇、水野はどこかへ電話をかける。








 そして、やってきた運命の朝。


 海斗は珍しくパジャマ姿でキッチンに立つ。


「遅いな」


 英嗣が戻ってきてから慌ただしくて、ゆっくり珈琲を飲む時間も取れなかった。


 頭の片隅、ずっと父親を気にかけていた海斗は英嗣の歩いてくる先をちらちらと覗く。


 持っていこうか……そう迷っていたところでサンダル履きの足音が聞こえた。


「父さん、おはよう」


 海斗は安心したような笑みを向けるが、英嗣は視線を避ける。


「はい」


 出された珈琲を一口飲む英嗣。


「熱い」

「え? そうかな……」


 飲んでみてもわからない海斗。返事を待たずに立ち上がる英嗣。


「お前にはわからん」


 そう言い残し、出て行った。


 珈琲のカップだけを手に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る