第35話 愛が進めば


 どれぐらい経っただろう。


 心地よい温もりに包まれたままずっと……離れたくない。


 ずっと……こうしていたい。

 

「遥」


 耳元で聴こえる囁き、かすれた声に切なくなる。


 返事をしたら消えてしまいそう。


 もう……失いたくない。


 タマも……海斗も。


「……なく……ないで」


 声にならない。


「遥? 」

「いなくならないで。もう……耐えられない」


 反応のない海斗、沈黙で我に返る。


 また変な事を言って困らせて。


「ごめん、私……」


 身体を起こし顔をあげる。


 離れようとしたその時、視界が揺れてぐいっと身体が引き寄せられた。


「いなくなったりしない、側にいる」


 強い力と言葉に抱きしめられて、きっともう海斗を……失えないと思った。

 






 何があったのだろう……遥と別れた帰り道、坂を上がりながら考えていた。


 落ち着いたら話すねと言ってくれた遥は涙を溜めて、とても悲しそうで思わず、抱きしめてしまった。


 “いなくならないで”


 か細く震える声、小さな肩、遥の全部を守りたい。望んでくれるのならいつまでも側にいたい……離れたくない。


 こんな気持ちになるのは、初めてだろうか。


 坂を上り切ると公園が見えてくる。


 夜の公園は不気味だけれど、近道するためには通り抜けないといけない。


 ライトに照らされて浮き上がる黒い木々、人影のない道。


 ただひたすらに歩く。


 でも池の上の一本道を真ん中まで歩いて来た時、どうしても右側が気になった。


 嫌なのに足が止まる。


 “お前を……許さない”


 憎悪が、溢れてくる。


 これは俺の声……立ち上るビジョン、池の真ん中にいるはずの俺に見えているのは、あのベンチから見える夜の公園……背後から衝撃、痛くて揺れる頭を抱えてうずくまった。


 俺を襲ったのは、父さん。



 思い出した……こんな風に遥と会った帰り道、行き場をなくし公園に来て、なぜか父さんに。


 謎だらけの記憶の切れ端、どう処理すべきかわからない。ふらふらと立ち上がってどうにか歩いて、なんとか家に辿り着いた。


 裏口から入ってすぐリビングの椅子にへたり込む。


 暗くて、誰もいない部屋。


 この場所で名前を告げられ、あれからもうどれだけ経った……どれだけの時を重ねてきたのか。朝の珈琲、催眠療法、硬すぎるハンバーグ、騙されていたとしたならあの時間は、何だったのだろう。


 リンと跳ねるような鈴の音。


 こんな時に……仕方なく病院側に向かうと、扉の向こうに人影が見える。


「どのようなご用件でしょう」

「遅くにすみません、薬を処方して頂きたいのです」

「すみません、医師が不在で……」


 言いながら扉を開けると、そこにいたのは黒いスーツの女性。


 この人どこかで……もやがかかったように思い出せない。記憶がない頃だろうか。


「一般的な頭痛薬です。お願いします」


 沈んだ瞳、動かない表情、まるで幽霊か……映画に出てくるスパイみたいだ。


「少し、待ってください」


 誰だ……薬と記憶を探しながらのろのろと準備する。女性も特に慌てる様子はなさそうだ。


「院長はどちらに? 」

「さぁ……学会で発表する研究だとか言ってどこかに籠もってます」

「研究……」

「診察受けたいですよね……すみません、いつから再開出来るかわからなくて」

「いえ……どこかお具合でも悪いのかと心配していたのです」


 あの無愛想な父さんでも心配してくれる女性がいるのか……薬を手渡しながらさり気なく観察する。


「伝言あれば伝えましょうか、メールは読むと思うので」

「いえ、お気になさらず。ありがとうございました」


 丁寧な会釈に慌てて頭を下げる。


「え……? 」


 さっきまでそこにいたはずなのに姿はなく、とっさに追いかける。


「待って! ちょっと待ってください」


 外に出て車に乗ろうとしていた所を呼び止める。


「何か? 」


 俺はこの人を知っている……なのに言葉が出てこない。


「薬……」

「薬が何か? 」

「強いですから、常用は危険です。必ず何か食べてから、二日続けて飲まないように」

「わかっています」


 さざ波のような、でもよく通る声。


「お父様からも、ご忠告頂いています」


 遠くにいるのに耳元で囁かれているよう……動けないでいるうちに、その人の姿は消えていた。


 どういう知り合いか、俺の事を知っているのか……何も聞けないまま家に戻る、今夜も父さんは帰ってこなさそうだ。公園での出来事もあの女性もどこか不気味で後味が悪い。


 失くした記憶と父さん、そしてあの女性は何か関係があるのだろうか。


 “お前を許さない”


 怒りというより強い憎しみ……父さんと俺の間に何があったのか、どれだけ考えても思い出せそうにはなかった。







「なるほど見事だ。まさか本当に1000体やってのけるとは」

「ロイド開発に必要なのはモノとカネだ、それさえあればこの程度大した事はない」


 倉庫のような雑然とした空間に並べられたたくさんのベッド、異様な光景を満足げに眺めるのは羽島と英嗣だ。


「ただの町医者と見くびっていたが、能力は確かなようだな」

「それにしても一体何に使う気だ。この時代に旧式の軍隊でも作るのか」

「命が惜しければ聞かない方がいい」

「なら提供はしない」


 羽島のバカにするような笑いが気に障ったのか、英嗣は苛立ちを見せる。


「冗談だ、真に受けるな」


 そう言うと、羽島は得意気に話しだす。


「成功すれば功労者だからな、特別に教えてやろう。このロイド1000体を使って目指すのは世界征服だ! 」

「世界征服……」

「そうだ、世界征服だ。何度も綿密に計画を練ったんだ、聞いて驚くなよ」


 もったいぶらせるような羽島に、普段は無表情の英嗣も呆れた態度を示す。金持ちの馬鹿でわがままな道楽息子……それが英嗣の羽島に対する評価だ。


「まずはロイドのいない業界に一定数放り込むんだ。医療、教育、警察、司法……人間社会を牛耳っている所に忍び込ませ実権を握る。そして精鋭部隊にある組織とそのボスを壊滅させる。気に入らない男がいるんだ、あちら側に」


 素晴らしい計画だろうと自慢する羽島に英嗣はニコリともせず淡々と言葉を返す。


「叶うといいな」

「あぁ、これだけいれば思ったより早く叶いそうだ。操作方法を教えてくれ、指示は、制御はどうすればいい」

「人間と同じだ、命令すれば動く。好きに使ってくれ、羽島総帥」


 英嗣は白衣を翻し、部屋を出ていこうとする。その背中に向けてニヤリと不気味に微笑みを浮かべる羽島。


「まだあるぞ。計画通り捜査が失敗に終われば、あの女が手に入る。水野沙奈だ、知っているだろう……お前と昔、関係があったあの女だ」


 にやつく視線に英嗣は眉一つ動かさない。


「あのいけ好かない女がとうとう俺にひざまずくぞ。少しぐらいならお前に貸してやってもいい。でも連れて逃げたりはするなよ」

「好きにしろ、人間に興味などない」


 抑揚のない機械的な呟き、眼鏡の奥潜む怒りに、羽島は気づく事もない。


「用が済んだなら行く、忙しいんだ」

「まぁ、待て。計画の実行は来月だ、後処理を済ませたら連絡してくれ。ある企業にお前との契約を打診しているから色々、世話をしてもらうといい」


 返事もせず、いつものように白衣を翻すと、英嗣は羽島に背を向ける。


「大したものだ」


 その背中に羽島は投げかけた。


「あちら側に渡せば息子はバラバラに分解され、遥とかいう娘は収容所送りだ。親の遺した病院は跡形もなく灰になり、水野は一生俺様の奴隷。お前と関わった人間は皆不幸になりお前を恨むだろう……そこまでして地位や名誉を得ようとは」


 嘲笑う口撃に動じることもなく、振り返った英嗣も嘲笑を返す。


「あんたも同じだ。何もかも手に入れないと気が済まないなどと……さすがいいとこのボンボンなだけあるな」


 言い捨て英嗣は姿を消した。


 二人は共謀しているらしい、でもあくまで己の利得の為、志を共にしているわけではないようだ。


「知ってるか? 俺はそれを言われるのが一番嫌いなんだ」

「始末してきましょうか」


 大きい独り言に反応し、物影から黒いスーツの男が現れる。羽島はふんと鼻を鳴らすと、ニヤリと不気味な笑いを浮かべた。


「まだ早い……奴の人生が絶頂に達したその瞬間、奈落の底に叩き落してやろう」


 端正な顔立ちをニヤリと意地悪げに曲げると、突如現れたスーツの男に笑いかけた。


「了解しました、その時が来ましたらその役目ぜひわたくしに」

「わかった、その時はお前に頼もう。俺は部下を大事にするからな、お前との約束は守ってやる。今回の大仕事で見事活躍することができたら、その時は何でも一つ願いを叶えてやろう」

「もったいないお言葉、光栄に存じます」

「それはそうと女は手懐けたか」

「はい、結局は誰でもいいようで素直に言う事を聞いています」

「女なんて所詮そんなものだ。あの町医者も昔女に裏切られ散々な目に遭ったらしい」

「散々な目……ですか」

「あぁ、情けない男だ」


 ひとしきり英嗣を嘲笑った羽島は女が持ってきた酒を飲み干す。


「田原、女をうまく使え。葵に海斗を殺させたらこれを飲ませるんだ、決行は来月……飛べるよう身辺整理をしておけ」

「はっ……」


 小瓶を受け取り一礼して去る田原を見ながら、羽島はまたうまそうに酒をぐいっと飲んだ。

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