第31話 恋の終わり


「市街地を離れます、きれいな景色ですね」

 

 ナビの声で窓の外に目を向けると、そこにはたくさんの向日葵が咲いていた。


「きれい……」


 この景色を毎日見ているのかな……海斗の笑顔がふと浮かぶ。


 あの夜、樹梨亜と煌雅さんを見ていて、ごまかしきれない想いに気づいた。


 どうなるかはわからない。


 でも会いに来てくれた海斗の言葉に、私も向き合いたいと思った。デートロイドもパートナーロイドも断って、自分から海斗に連絡をして、待ち合わせのため彼のいる学校へと向かっている。


 許してもらえないかもしれない……あのきれいな瞳に企みや思惑なんてないのはわかっていたはずなのに、純粋な気持ちを疑うような事を言って、傷つけてしまった。


 “ちゃんと話そう”


 それでも会いに来て向き合おうとしてくれたのに、今日までちゃんと謝る事もせずに……もう10日。


 最初は、連絡を待ってそわそわしていた。会いに来てくれたことがうれしくて、何度も思い出したりして。


 でも一週間経っても海斗からの連絡はなくて、これでさよならになったら……二度と会えなかったら……いつの間にか不安で仕方なくなっていた。


 胸が苦しくて、心がざわついて居ても立っても居られなくて。


 海斗のいない日々……あの頃には戻りたくない。


 もう戻れない。



「到着しました」


 声で遮られ、現実に戻ってくる。


 車を降りると、野原の向こうに白い建物、丸い屋根のてっぺんが見える。ここが駐車場なのか、辺りには数台の車。


「待っててね」


 そう伝えて歩き出す。


 ここに海斗と戻ってくる時、どんな気持ちになっているだろう……ちゃんと謝って、想いを伝えられたなら……またあの横顔を見ていられるかな。


 まだ隣に、いてもいいのかな。


 大きく一つ、息を吸う。


 街とは違う、調整されていない自然の酸素。草や照りつける太陽の匂い。海斗と同じ心地よさに、ざわつく胸が安らいでいく。


 気がつけば空が一面に広がっていて、草はさわさわとそよぐ世界の中に私がいる。耳を澄ますとどこからか誰かの声……それに、とーんとボールを蹴るような音。


 一度、立ち止まった足は音のする方へ進む。見えてきた白いフェンス、中にはボールを蹴る子供達と併走する海斗。


「いけー! 」

「ボール、ボール回せ! 」


 コートの外で上がる声、攻撃を交わしながらボールを守る男の子は、何人もに囲まれて動きづらそう。


「リョウ、行け! 」


 海斗の声。


 一瞬の隙をついて抜け出し、ロングシュート。ボールはきれいな孤を描いてゴールネットに吸い込まれた。


「やったー!! 」


 試合終了の笛の音とともに、みんなシュートを決めた子に駆け寄って抱きつく。


 かわいいな……胸がじんわり温まるような光景、目を移すと海斗もその子達に優しい笑顔を向けている。


 あの頃より優しい表情の海斗。


「さぁ、挨拶するよー! 」


 その呼びかけにワーッと子供達が集まって、今度は海斗先生がもみくちゃに。戸惑いながらも嬉しそう……記憶をなくして苦しんでると思っていた海斗は、新しい場所で逞しく生きて笑っている。


 子供達と一緒にグラウンドを駆け、ふざけ合い、はつらつと笑う……新しい海斗に目が離せない。


 みんなの頭をくしゃくしゃっと撫でてる、ちょっといたずらっ子みたいな笑顔……あんな表情もするんだ。


「海斗せんせー、誰かいるよー? 」


 ふとこっちを見た子に気づかれてしまった。焦っていると海斗がこっちに駆けてくる。


「ごめん……ちょっと遅れてて」

「いいの……早く着いちゃったから」


 今日までたくさんシュミレーションしたのに、ぎこちない言葉。グラウンド中の視線が私達に集まっている。


「すぐ行くから、待ってて」


 結局、うつむいて何も言えないまま、海斗は走っていってしまった。






 海斗は生徒達の質問攻めを何とか交わし、帰らせると急いで職員室に戻る。荷物を持って着替えもせずに遥の元へ。


「海斗、どこ行くの? 英語教えてくれる約束でしょ」

「すみません、また今度! 」


 立ち止まりもせず走っていく海斗。


「会いに来たみたいですよ、彼女が」

「ふ~ん……」


 対する葵は不満げだ。


「英語なら俺も話せますよ。教えましょうか」

「海斗おとすために決まってるでしょ、あんたじゃ意味ないんだって。バーカ!! 」


 葵の苛立ちをへらへら顔で受け止める田原、何とも情けない雰囲気を醸し出す彼は、捜査員という身分を隠しうまくこの場に擬態している。


 田原は手首に埋め込まれたチップに触れ、誰にも気づかれる事なく海斗と遥の接触を本部に知らせた。







「ごめん、遅くなって」


 空を眺めて待っていると、後ろから海斗の声が聴こえた。


「いいの。私こそごめんね、忙しいのに」


 走ってきてくれたのか、息が切れて肩が揺れている。



「あのね……」


 先に謝らなきゃ、話を切り出そうと瞳を見つめる。あのくりっとした、大好きな瞳を見たら話せそうな気がする、でも……なんだか、やってきた海斗は。


「どうかした? 」


 くりっとした瞳が不思議そうに揺れる。こすったのかな……頬が土で汚れて、走ったせいか髪はくしゃくしゃ、おまけに葉っぱまで乗っている。


「葉っぱついてる」

「え、葉っぱ? どこどこ!? 」


 慌てる姿までかわいくて……めいっぱい遊んで帰ってきたちっちゃい子みたい。

 

「ほら、ここ」


 自然に触れていた。


 ふわふわの髪をそっと撫でると、葉っぱはさらりと落ちていく。触れる指先、緩む頬も、海斗が好きって言っているみたい。


 胸の奥までじんわり温かい、愛しいってこんな気持ちなのかな。


「顔もね。鼻こすったでしょう、土ついてる」


 頬もそっと撫でて土を落とす。すぐ側にある瞳、抑え続けてきた想いが溢れ出す。


 愛しい海斗……いつの間にか、前よりもっと好きになってしまった。


 驚いたように固まる海斗。


「行こっか」

 

 いきなり触られたら嫌だよね。我に返った私はいつも通りを装って笑い掛ける。


「うん」


 そうして私達は歩き出した。



「いつから見てたの? 」

「シュートのちょっと前くらいかな。みんなと一緒に走ってたよね」

「そんな前から? 恥ずかしいな」

「そう? 楽しそうだったよ」


 少しずつ溝を埋めるように重ねるやり取り、時折ちらりと横顔を覗いては微笑むような、くすぐったい時間が過ぎていく。


「みんなかわいいんだ。10歳までのチームなんだけど、みんなサッカーやったことなくてね、ルールとかトレーニングとか調べるの大変だったんだけど、目をキラキラさせて走ってるの見てるとやる気出るし、もっと色んな事教えてあげたくなるんだ。さっきの子も、リョウって言うんだけど……」


 ただ、頷いて相づちを打つ。


 楽しそうに目を輝かせて話す海斗。私の言葉なんかで遮りたくない。

 

 大好きな横顔もいつも以上に愛おしい。


「ごめん、なんか俺ばっかり話して。うるさいよね」


 車に乗って走り始めて、海斗が私の横顔を覗く。


「うれしいよ、こんなふうに話してくれるの初めてなの」


 もっと聞かせて、そう言って見つめるとくりっとした瞳が驚いたように大きくなる。


「えっと……そう言われると困るな」

「困るの? もっと聞きたいな、リョウ君の他にはどんな子がいるの? 」


 少し考えてからまた話してくれる。


 サッカー部や授業で出会った子、一緒に働いている先生達の話に、この間の歓迎会……いくら話しても話題は尽きない。


「明日行ったら質問攻めだよ。あの女の人、彼女なのってね」


 恥ずかしそうに笑う横顔。


 謝らなきゃいけない……避けては通れない話もきっとある。でも今だけは、もう少し見ていたい。


「海斗が楽しそうでよかった」

「遥は楽しくなかった? 仕事」


 難しい質問。


「うん……入った頃は楽しかったよ。でも長く続ける内に仕事の内容も変わっていってね。何がしたいのか、どう生きていきたいのか……わからなくなってて。樹梨亜や夢瑠は夢を見つけて頑張ってるのに私は……結局何もなくて。だからね、考える時間が欲しくて辞めたの」


 辞めてゆっくりしていれば見つかる、夢とか目標ってそんな簡単なものじゃない。


「そっか……夢か……」

「おかしいよね。20年以上生きてきてるのに、何が好きで、何が楽しくて……何を目標にしたらいいかわからないの。自分の事なのにね」


 さっきまで賑やかだった車内は静まり返る。何かを考えるように俯く海斗、さっきまでの笑顔はもう消えてしまった。


「ごめん、もっと楽しい話しよ」

「ごめん! 」

「海斗……? 」

「そんなに悩んで考えて決めたのに、よく知りもしないであんな……訳のわからない事言って。俺なんか自分の事すら思い出せない。この間だって必ず思い出すって言ったのに」

「もういいよ」

「でも」

「もういいの……」


 良くなんかないのはわかってる。でも、海斗にとって今までよりもこれからの方が絶対に大事で、夢も幸せもそっちにあるはずだから……未来だけを見て笑っていてほしい。


 そこに私がいなかったとしても。


「もうやめよう。私も詳しくは知らないし、今ここに海斗がいてくれるだけでいい」

「遥……」

「今までより、これからの方が大事だよ」


 行く時は遠いと感じていたのに、もう公園が見えてきてあと少しで海斗の家。結局、言おうと思っていたことは何も言えそうにない。


「ありがとう」


 車が止まってドアが開いて、海斗はそう言って降りていく。


 遠ざかっていく背中に、切なさを感じた。

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