第30話 愛しい背中


「ちょっと待って! 待ってよ、海斗」


 慌てて追いかけて、やっと海斗の背中を遠くに見つける。


 苦しい……でも、あと少し。


 速度を上げて、やっと追いついて。


「海斗! 」


 気付いた背中が立ち止まる。


「違うの、あの人は辞めた会社の人で……忘れ物を届けてくれただけなの。海斗が思っているような、そんなんじゃないの」


 焦って言葉が出てこない、でも必死で誤解を解こうとしている私。海斗の為……じゃなくて自分の為に離れようとする嘘の心から、本当の気持ちが溢れてくる。


「海斗には誤解……してほしくない」


 言い終えると、背中が振り返って海斗のくりっとした瞳と視線が合う。


「ごめん、見てるのつらくて……逃げたりして」

「ううん……いいの」


 久しぶりの会話、海斗はつらそうなのにこのやり取りさえ嬉しくて、宝物のようにしまっておきたくなる。


「謝りに来たんだ、それに大事な事……まだ言ってなかったから」

「謝るのは私の方だよ」

「前の俺達のこと、何も思い出せなくて……自分の事さえ知らなくて、苦しめてごめん。側にいたかっただけなんだ、本当に」


 海斗の一生懸命な言葉をやっぱり信じたくなる。何か企みがあるなんて思いたくない。


「信じてほしい」

「海斗……」


 言ってしまっていいか分からない、本当の気持ち。



「いいの? あの人置いて追い掛けてきてくれたんだよね」


 言い淀む私に、優しく笑い掛けてくれる海斗。


「うん……悪いことしちゃった」

「じゃあ、戻らないと」

「でももういないかも……あの人が背中を押してくれたの。橋本君って言うんだけどね、後悔するからって」

「そっか、いい人なんだね」


 頷くと、海斗が微笑んでくれる。


 夕陽に照らされた海斗はやっぱり優しくて、どこか神秘的で幻みたい。


「また、落ち着いてちゃんと話そう。俺も、今日はいきなり来ちゃったし……その日までに必ず思い出すから、絶対に」


 結局、頷くことしか出来なかった。


 そのまま海斗に促されるようにして別れて、帰り道をとぼとぼ歩く。


 海斗の言葉も、来てくれたことも嬉しい。微笑まれて、あの瞳に見つめられると……気持ちが抑えられなくなりそう。


 こんなにも……こんなにも海斗が好きなのに、私は何を恐れているんだろう。


 傷つけたのは私なのに、かけてあげられる言葉が見つからなかった。








 遥が恐れているもの……それはアンドロイドと共生するこの時代の人達みんなが恐れるものだった。


 “違法ロイドと関わる事は重罪”


 過去に英嗣が遥を脅した通り、違法ロイドと関わりを持つ事や情報を隠匿する事は重罪。当事者は死刑、また家族や友人、職場関係者に至るまで死ぬほどの拷問を受け生き残った者も社会復帰などままならない。


 取り締まるのは警察で、今までにも著名な科学者や医者の家族が残酷な処罰を受けたと見せしめの為、大々的に報道されており、違法ロイドに関わるのは重罪だというのはこの時代、学生でも知っている事実。


 遥は大切な家族や友人に危険が及ぶのを恐れ、海斗への想いとの狭間で揺れている。


 その本心は、真相に一番近いところにいる水野でさえまだ知らない。


「各々、調査報告を」

「こちら田原、海斗に目立った動きは見られません。学校関係者の中にも不審な人物は見られず、特に校長とその娘の葵は海斗を厚遇しています」


「わかりました、そちらは」


「英嗣が街を出たのは事実です。ですがその後の足取りがまだ掴めていません」

「一番の危険人物です、今までは一介の研究者でしたが企業と癒着し資金源を得た可能性もあります。早く見つけるように」


「はい……」


 水野は苛立っていた。


 今まではよくわかっていた英嗣の行動パターンが掴めず、どこにいるかもわからない。英嗣は完璧に行方をくらましている。


 何者かの力を借りているに違いない……想像はできるのに尻尾さえ掴めないでいる事が腹立たしかった。


「先に海斗と遥を捕まえて吐かせましょう。共謀なら行方を知っているはず」


 英嗣を捕まえられない失態を挽回しようと焦る捜査員に、水野は鋭い言葉を返す。


「遥と海斗は泳がせます。まずは英嗣を」

「ですが、遥に至っては監視も付いていません」

「遥は他の方法で捜査します」

「時間をかけるのは合理的ではありません」

「最も合理的なのは、無駄のない捜査です。勇み足で対象者に勘付かれる事だけはあってはなりません」


 水野は捜査員の意見を一蹴し、黙らせる。


 普段から個々で捜査をする事が多い捜査員達は、団結や協力といった視点を持ち合わせていない。


「捜査方針には従ってもらいます。では引き続き調査を」


 通信を切った水野は珍しくため息をつくと立ち上がって部屋を出る。


 秘密の通路を通ってたどり着いたのは、修理センターだ。


「流星は」

「こちらです」


 円筒形のカプセルが並ぶ不気味な空間を歩き、あるカプセルの前で立ち止まる。


「流星」

「はい」


 名を呼ぶとカプセルが開き、中から一人の男性が現れた。


「遥はあなたに、頼みましたよ」

「お任せください」


 エメラルドグリーンの瞳は妖しげにきらめき、水野に笑いかける。以前、遥の依頼を受け用意した二番手は、捜査員として再び蘇ることとなった。







「カイ君にちゃんと会えた? 」


 その夜、遥は夢瑠と話している。


「会えたけど……どうして? 」

「カイ君、図書館に来たの。ピューって走って行っちゃったけど」

「そうだったんだ……」


 遥の表情に笑みはない。


 以前より強い海斗への想いに気づいてしまった。この先、何が待っているかわからない。


 それなのに……また好きになるなんて。


「カイ君ってすっごい足速いんだね! びっくりしちゃった」

「そうなの? 」


 わざととぼけてみせる声が震える。ロイドだから……どうしても反射的にそう思ってしまう。


「ハルちゃん……」

「ん? 」

「ハルちゃんは、カイ君の事好き? 」


 声が心にズシンと響く。


「うん……」

「そっか……夢瑠、応援するね。ハルちゃんとカイ君がずっと仲良くいられますようにって。流れ星に言うといいんだよね、プラネタリウムにもお願いしてくる! 」

「夢瑠……ありがとう」


 プラネタリウムの流れ星じゃ意味ないよ……そんな返しが浮かんでくるけど、今は正論より夢瑠の気持ちが嬉しい。


 海斗といる。


 この決断のせいで、みんなが酷い目に遭うかもしれない……わかっているなら引き返さなきゃ。


 でも……。


「じゃあ、今度の日曜日ねぇ~」

「うん……ちょっと待って、日曜って何? 」


 ぼーっとしていて聞き逃したのかもしれない、切ろうとする夢瑠を慌てて呼び止める。


「ん? 言わなかったっけ。樹梨ちゃん家でお泊まり会だからね! 」

「今……初めて聞いた」

「きゃー、ハルちゃんごめん! それを伝えるためにかけたのに」

「そうだったんだ、ありがとね」


 夢瑠と話して笑えるのに胸が苦しい。


「カイ君も連れてきてね、またみんなでゲームしよ! 」

「うん、伝えておくね」


 夢瑠の声が消えた部屋はとても静か。海斗がロイドじゃなかったらいいのに……心からそう思う。


「はるちゃん? 」

「ん? 」

「疲れちゃった? 」

「大丈夫……でももうお風呂入って寝ようかな」

「あ、ちょっと待って。また知らない番号からだぁ」

「知らない番号? 出るよ、変な所だったら助けてね」


 緊張しながら繋いでもらう。


「もしもし……」


 海斗の番号はもう登録してあるのに、期待している自分がいる。


「あの……遥ちゃん? 」


 声で思い出す。


 灼けた肌にエメラルドグリーンの瞳をした、デートロイドの流星君。


「流星君、どうして? 」

「水野さんに頼んだんだ。もう一度、遥ちゃんと話したくて」

「えっ……」


 前にも聞いた事がある。海斗と同じ誘い方……身体中に電気が走る。


「水野さんから聞いたよ。色んな事情があって遥ちゃんとは難しいって」

「ごめんね、流星君」

「でもさ、楽しかったんだ……遥ちゃんの隣」


 ロイドとは思えない、笑っているのに泣いているような、そんな声。


「会えないかな、会って遥ちゃんの役に立てる事とかあったらさ……一緒にしたいな」

「でも……」

「一度ならいいって。俺、あんま人気ないから予定空きまくってて、だから一度だけなら無料でもって許してもらったんだ」


 こんな言葉がなかったら人間だって錯覚してしまいそうな程、自然なやり取り。


「だめかな……」


 これもセールスのひとつかもしれない。


「いいよ」


 流星自身の意思じゃない、わかってはいるけれど、断ることが出来なかった。







 そして、日曜日。


「海斗君だと思ってたから唐揚げたくさん作ったんだけどな」

「ごめんね……忙しいみたいで言えなかったんだ」


 煌雅さんとゲーム対決をするのは流星君。


「うわっ!! またやられた。強いなぁ~、煌雅さんは」

「流星君は隙が多いですね」

「もう一回! もう一回だけ! 」

「しょうがないですね」


 賑やかなリビング、あの夜と同じように樹梨亜と眺める背中。


「子供みたい」


 煌雅さんを愛おしそうに見つめる樹梨亜は幸せに溢れている。


 私は……。


「遥? 」


 視線の先にはあの夜のリビング、優しくて広い海斗の背中。


 あの夜、海斗の言葉を笑って流せたら……きっと今も見つめていられた、愛しい背中を。

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