第22話 曇り空の下で


 眠れない夜……海斗といた余韻が冷めなくて、ぼんやりと天井を眺めていた。


 また海斗が隣で微笑んでくれる、それだけで嬉しくて胸の奥がずっと暖かい。


 “全部……遥とがいい”


 そんな言葉が聞けるなんて思っていなかった。知り合って、話すようになってランチに行って、花火も見に行った。あの頃のようにこれからも、また一緒にいられるなんて。


 “まだたくさん行きたい所あるんだ”


 きっとどこに行っても、きらきらと瞳を輝かせて嬉しそうに笑うんだろうな。想像するだけで、心が満たされていく。


 やっぱり、海斗といる時が一番、幸せ。


 いつまでも浸っていたい……ずっと一緒に笑っていたい、でも。


 海斗がもし本当に違法ロイドだったら。


 喜びと同じくらい膨らんでいく不安。あんなふうに友達と、会ってしまってよかったのかわからない。


 あの温もり、柔らかな笑み、瞳の輝き……今まで会った誰より澄んでいて温かかった、ロイドだなんて思いたくない。


 でも忘れられない。


 背中から見えた金属、海斗から聞こえた別人の声。


 海斗がロイドだなんて……。


「はるちゃん、眠れない? 」


 穏やかなピアノの音色、眠れるようにタマが流してくれる。


「ありがとう」


 タマになら、話せるかな。


「タマ……海斗がね、前に図書館行った時の事忘れてたんだよ。プラネタリウムだって、前話したのにどんな物かも覚えてなくてさ」


 でも少しのの後、返ってきたのは予想外の言葉。


「前にって、海斗君は新しいお友達でしょ? 」

「え? タマも憶えてないの? 」

「海斗君を登録したのは先月だよ、それより前の記録は、えっと……」


 どんなに検索しても、なぜか前の海斗のデータは残っていなかった。


「はるちゃん、ごめんね……」

「ううん……いいの」


 私を好きだと言ってくれた、あの頃の海斗は消えてしまった。


 幻のように。


「はるちゃん、そろそろ寝よう。明日お仕事でしょ」

「うん……おやすみ」


 さっきより更に揺れる心。


 さらさら揺れる緑の葉、時折挿す木漏れ陽の記憶、私を見つけて微笑んでくれる、優しいくりっとした瞳。


 “遥……”


 そっと、身体を包み込んでくれる。


 あったかい。


「海斗……」


 いつか醒めてしまうかもしれない。


 でももう少しだけ……今はもう少しだけ……包まれていたい。


 この優しい夢に。



 遥は眠りに落ちた。


 甘く、美しい夢の中に二人を狙う黒い影はない。寄る辺のない現実、遥の海斗への想いは、今にも消えそうなろうそくの炎のように、頼りなく揺れている。







 そして日が昇り、迎えた朝。


「行ってきます!! 」


 出掛けていく遥の背中に迷いはない。


「今日からタイムスケジュールの通り配信をお願いします」

「はい」

「あと朝の配信と会議が済んだらみんなと面談したいんだけど……」


 チームの主力だった橋本が退職、環は長期休暇中、頑張れるのは自分しかいない。今までの遅れを取り戻すかのように働き、休憩時間になると小走りでテラスに向かった。


「すみません、水野さん……」


 遥は水野に謝る。


 仕事が忙しくなり、しばらくロイドショップには行けない。だからパートナーロイドの事は保留に……それが、海斗といることを決めた遥なりのけじめ。


 通話を終えた遥は、深呼吸をして仕事に戻る。


 そして。


「笹山さん、社長がお呼びです。すぐ社長室に来るようにと」

「社長が……? 」


 懐かしい、前にも聞いたような言葉。


 呼ばれる心当たりがない、考えながら階段を駆け上がると、あの大きな扉の前に立つ。


「大丈夫ですよ、丸山社長は穏やかな御方ですから」


 深呼吸をする遥に秘書の女性が微笑みかける。


「ありがとうございます」


 この女性はいつも、前の社長に怯えながらも立ち向かう遥を静かに、あくまで関わりを持たずに見守ってきた。


 ほとんど初めて、言葉を交わす二人。


「失礼します」


 意を決して社長の元へ進む遥、運命の巡りは今、密やかに……遥の進むべき道を指し示し始めた。


「君に育ててもらいたい人材がいてね」


 息を呑む遥。


 今度は扉の内側から、入ってくる人物を見守った。







「まだ深い仲ではないようです」


 一方、遥との通話を終えた水野は例の執事ロイドから、調査結果の報告を受けていた。


「なぜ家まで尾行しなかったのです」

「邪魔が入りました」

「邪魔……」

「ピンクの髪の女です。こちらに気付き妨害を」


 ピンクの髪……水野には心当たりが二人いた。篠田夢瑠と橋本醍哉、どちらもロイドの尾行に気付く可能性があり、裏の世界を知っている人間。


 橋本の方が可能性は高い、でも体格が良く、髪を結んでいても女性には見えづらいだろう。


「女性……見間違いでは」

「性別はデータで確認しました、間違いありません」


 ピンクの髪の女、しかも遥達を助けそうな……となれば篠田夢瑠、この街に戻ってきたのだろうか。


「それにしても人間にまかれるとは……調整が必要かもしれませんね」

「お、お許しください。それだけは」

「遥と海斗の調査から外れなさい、あなたには別の任務を」

「別の任務……ですか」

「英嗣の尾行です。街から出るかもしれません」

「はっ!! 」


 執事ロイドは瞬時に姿を消した。


 暗闇の中、画面がいくつか移り変わり照らし出すのは遥のデータ。


 深い仲でなければいいと済む問題ではない。あの日……私が日本を離れた後、何があったのか突き止めなければ。


 滅多に外出しない英嗣の気になる動き……車を洗う……遥……そして何も知らない海斗。


 “パートナーロイドのこと、一旦保留にしたいんです。しばらく仕事が忙しくて”


 遥の声のトーンは、いつになく明るかった。海斗の影響だろう。


「やはり、潰しておくべきでした」


 珍しく、無口な水野が独り言を発する。暗闇に溶けていく声の穏やかさとは裏腹に、瞳は深海の闇のように暗い。







 水野が尾行をつけた英嗣は、車で何処かへと向かっていた。


「はい、えぇ……」


 運転しながら時折、相槌を打つ。耳元のイヤフォンで誰かと会話しているようだ。


「今の海斗はただのバカだ、必要ない」


 嘲笑うような声が車内に響き渡る。


「尾行か。余程、俺にご執心のようだ」


 英嗣の車はスピードを上げ、水野の予想通り街の境界を越えていった。







「ちょっと、ずっとヘラヘラしてて気持ち悪いんだけど」


 そして、父親にただのバカ呼ばわりされた海斗は、葵にイラつかれてもなお嬉しそうにヘラヘラしている。


「すみません」

「昨日のデートでキスでもした? 」

「キス……? デートかはわからないんだ。遥はそうじゃないって言うし」


 海斗のヘラヘラの理由は、もちろん遥だ。また会える、そう考えただけで心が躍る。今度はどこに行こう、この間のお礼もしたいし、彼女が喜んでくれる場所に二人で出掛けたい……そんな事ばかり考えていた。


「へぇ~、じゃあ彼女は海斗のこと好きじゃないんだ」

「えっ……」


 海斗はまだ、葵の言う事の意味がよく分からないでいる。好きとか、彼女とか……キスという単語も、初めて聞く言葉、そう思っている。


 でも遥が自分を好きじゃないと言われるとショックだった。


「私にもまだチャンスあるんだ」


 いたずらっぽく笑い掛ける葵。そのまま海斗の腕を掴む。


「しよっか、キス」


 訳の分からない海斗、葵は腕を引き寄せる。


「……!! 」


 海斗の唇に葵の唇が触れる。


 一瞬の出来事。


 走り去る葵に海斗は何が起きたのか、理解出来ないでいた。







「樹梨ちゃんでしょ、ハルちゃんにロイドさん紹介したの」


 樹梨亜と話しているのは夢瑠。


「そうだけど、何で知ってるの? 」

「だって今日、図書館で会ったから」

「え? 今日会ってたのはロイドじゃないって」

「え!? カイ君、ロイドじゃなかったの!? 」


 恥ずかしさと驚きが夢瑠を襲う。


 穏やかな、自我のなさそうな笑顔が樹梨亜のパートナーロイドの煌雅と重なって見えた……とは言えなかった。


 固まる夢瑠に樹梨亜は追い打ちをかける。


「そういえば、夢瑠はなんで図書館にいたの? 」

「あっ……!! 」

「ねぇ、なんで? 」

「ちょっと用事で、ワープを……」

「そんな事できるわけないでしょ、物語の世界じゃないんだから。さぁ、ごまかさないで答えて! 」


 遥の事を聞くつもりが追及される立場になった夢瑠、そして遥にも夢瑠にも相談してもらえなかった樹梨亜。二人の通話はまだまだ終わりそうにない。


 

 梅雨の曇り空の下、すれ違う想い。不安や疑念は、それぞれの心に暗い影を落とし、やがて嵐を呼ぶ。


 今にも雨が降りそうだ。


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