第12話 すれ違い
遥が社長と対峙している頃、海斗は初日の勤務を終えて学校を出ていた。疲れた表情でバスに乗ると、景色を眺めながらぼんやりしている。
何を考えているのだろうか。
ため息をついて何かを確認するような仕草をして、またため息をつく。
バスは草木溢れた街外れから、整備された街の中心部に向かって走る。駅前に近付く頃、ちらほら乗客が降り始めた。
停車中のバス、海斗は何気なく窓の外を見る。急に目を見開くような表情で何かを凝視した。
「すみません、降ります! 」
動こうとしていたバス、他の乗客に怪訝な顔をされながら急いで席を立つと、海斗は走ってバスを降りる。自宅まではまだ距離があるはずだ。
走り去るバスには目もくれず、海斗は目指す方向へ歩き出していた。
「バニラひとつ」
注文したソフトクリームを受け取ると、気になっていたベンチに座って一口食べてみる。
冷たい……とろけていく甘さ、鼻にかかる香りも、経験があるものだ。
「ここで……何してたんだろうな」
確かに、ここでこうしていた事がある。でもこんなに寂しい記憶だっただろうか。
何気なく左隣に目がいく。
ここでもだ……公園のベンチに座った時と同じ感覚。
赤いソフトクリームの車、そよぐ木々の緑、思い思いの場所へと歩く人、遠くでさぁーっと上がる水しぶき。
すべての景色が記憶と合致するのになぜか、寂しい……まだ何かが足りない。
絶対的な何かが。
「なんだろうな……」
記憶が全部戻らなくてもいい、でもその“何か”だけは失えない。数少ない記憶を辿ってでも探さなければ……猛烈な衝動に駆られ、ソフトクリームを急いで食べた。
海斗が探すと決めた“何か”はその時、思う以上に近くにいた。
社長との対面を終え、車に乗り込みビルを出たところ。ここから海斗のいる噴水広場まではおよそ500m、しかも遥を乗せた車は、海斗のいる方へと向かっている。
疲れた表情で窓にもたれる遥、映像ではなく本物の海斗がすぐ側にいる。でも窓の外を眺める心境にない遥は、それに気付きそうもない。
海斗は、気付くだろうか。
「行くか……」
呟き立ち上がる海斗は、自宅とは違う方向に歩き出す。記憶が残っている事を信じ、思う道を辿ってみる事にしたのだ。
100m、50m……遥を乗せた車と海斗は近付き……そして、すれ違う。
互いに気付くこともなく。
心の中では確かに求め合う二人。
でも遥は、まだ心の整理が出来ないでいる。
「お昼から煮込んで手間暇かけて作ったのよ」
「うん、美味い! 母さんの料理は最高だな」
両親の会話を聞きながら遥も箸をつける。
「どう? 遥、美味しい? 」
「うん……美味しい」
いつもはよく食べる遥、それなのに上の空でお肉を小さく切っては、ちびちび口へ運んでいる。
「いらないならもらうぞ」
「うん……」
「うんって、いいのか? 本当に食うぞ」
喧嘩の絶えない兄、それから正面に座る両親が心配そうに見ているのにも気付かない遥は、なんとか自分の分を食べ終えると
「ごちそうさま」
ぼそっと呟き、肩を落として部屋へと戻っていった。
「何かあったのかしら」
「ここのところ元気がないな……よし、お父さんが部屋に行って慰めてみよう」
「やめとけ、もういい大人なんだし。ウザがられるぞ」
きっと遥が喜ぶ、驚いて元気な素振りぐらい見せるだろうと思っていた家族は、自分から悩みを話すことのない遥を相当心配している。
そもそも何の記念日でもないこの日に、朝から下ごしらえをして豪勢な食事を用意したのも、遥を元気づけるためだった。
「おい、大丈夫か」
部屋の前で声を掛けるのは父親でなく、兄の和樹だ。
「ごめん……母さんに謝っておいて。せっかく作ってくれたのに」
珍しく扉を開け出てきた遥の様子がおかしい事は、兄が一番感じていた。しおらしすぎて調子が狂うと。
「そんな事、たぶん気にしてねぇよ。それよりお前、風邪でも引いてんじゃないのか」
「それは大丈夫……」
「ならいいけど。お前が肉を俺に譲るなんて、風邪引いてる時ぐらいしかないからな」
いつもなら兄の言葉を倍にして返す遥、それなのに今日は無言で俯いている。
「用事それだけ? もう寝る」
「待てよ」
「何……」
「風呂ぐらい入れよ……って、母さんが」
「わかった」
肩を落とした後ろ姿、やはり何かあったんだろう。家族の中で最も勘の鋭い和樹にも、その理由までは分からない。
「面倒くせぇな、女なんて」
ドアに向けて呟くと、自分も隣の自室に籠もる。大好きな宇宙空間に似せた部屋は和樹が唯一、心安らげる場所だ。
和樹は女だけでなく、人と関わる事を嫌っている。まともに会話できるのは家族くらいで職場でも仕事上の会話以外で、声を発することはない。
一生孤独に、ただ宇宙空間に漂っていたい。
そう思う和樹が唯一、素直に関われるのが遥だった。素直でわかりやすい性格、喧嘩で感情をあらわにしても変わらず兄妹でいられる。
遥がとっつきにくいと感じている兄は、意外に妹を大事に思っているらしかった。
そして、和樹の予言は当たる。
「海斗……かい……」
「はるちゃん、はるちゃん大丈夫? 」
深夜、朦朧とする遥はタマの問い掛けに気付かずうなされている。苦しむように頻繁に寝返りをうっては布団を握りしめ、ガタガタと震える。
タマは様子を確認するため、照明をつける。
「はるちゃん、はるちゃん」
呼び掛けても反応しない遥の顔色は悪く、熱に浮かされている、タマは即座にそう判断した。
「体温は……38.9度!? 大変! 」
と言っても深夜、タマに出来ることは少ない。起こしても熱で朦朧としている遥に何とか解熱剤を飲ませると、パジャマを替え厚着をさせて熱を出す。
「はあ……はぁ……」
荒い息遣いが響く部屋、家族が部屋に近寄らないようロボを通じて連絡すると、明日の朝一番で診てくれる病院を探す。
「あった! 」
明日は日曜で休診が多い中、朝から診てくれる病院、しかも家からあまり遠くなく、公園に近い。
故障が原因で、海斗のデータを失くしたタマはその病院に予約を入れた。
二人の再会の時は、近づいている。
「ソフトクリームにレモンティー……これが原因か」
ちょうど予約が入った頃、英嗣は地下の研究室にこもっていた。強制捜査の前に研究資料や部品は全て他の場所に移した為、がらんとしたただの暗い空間……その中で英嗣は海斗の身体を開いている。手術台を照らす緑のライトは、ニヤつく英嗣を不気味に照らす。
「あの女か……」
レモンティーは校長に出された物、遥とは関係がない。でも英嗣は胃の内容物と体内データから、遥と接触したと誤解をした。
リン!
予約を知らせる鈴の音、浮かび上がるデータに英嗣は更に口端を上げる。
「飛んで火に入る夏の虫……か。利用させてもらうぞ」
滅多に笑わない英嗣の大きな笑い声は、研究室中に響き渡る。
うなされる遥には、もう一つの、運命を左右する再会の時が待っている。
そして翌朝。
「はるちゃん、早く病院行かなきゃ」
「動けない……」
喉のせいか声が出ない遥の言葉はタマに届かない。タマに急かされながら重い身体を引きずって着替えを済ませ、何とか車に乗り込む。
“行き先は草野医院、予定時刻に到着します”
自動音声が呼び掛けるも遥は窓にもたれて眠っている。どこに向かっているかも知らないまま、草野医院へと運ばれた。
「どうぞ」
ふらふらと入った診察室、崩れるように座り込んで初めて、目の前にいるのがあの人だと、気付いた。
「熱は、最高で39.3……まだ上がるな。喉から来る熱だ」
朦朧とする意識、混乱する頭に反してテキパキと診察は進む。
「薬を出すが、安静にしないと治らない、5日だ。感染症ではないが念の為人との接触は避けろ」
何とか頷き立ち上がった拍子、大きくバランスを崩した遥は倒れ込む。
それを英嗣は咄嗟に支えた。
「介助を頼む、少し待て。歩けないなら次からはレスキューを呼ぶことだ。オンラインでもいい」
支えられ、しかも丁寧な対応を受け……遥の頭は思考停止した。
「薬をもらってきてくれ。その後で車へ」
「分かりました」
眠りの世界へ落ちていく遥にその声は聞こえない。
「え……!? 」
それが海斗だと気付いたのは、身体を支えられてからの事だった。
「知らないふりして、父さんにバレる」
小声で囁く海斗、力の出ない遥はそのまま運ばれる。
「どういう……こと? 」
車に乗せられながら、重い意識を何とか持ち上げるように遥は尋ねる。
「話があります。治ったら……今度こそ必ず、連絡ください。待っています」
海斗は、熱で潤む瞳を見つめて真剣に訴えた。そして朦朧とする遥の記憶にもそれは、しっかり残る。
遥が頷いたのを確認して、海斗はドアを閉めた。
走り出す車を見送りながら、海斗は呟く。
「父さんは……何か知ってる」
海斗は父親の微妙な表情の変化に気付いていた。いつも手伝いに呼ばれる時とは違う、試されているような視線、クッと口端を上げる不気味な笑み。
「遥……大丈夫かな」
ただそれ以上に今は、辛そうな彼女の体調が心配だった。
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