第48話 向かう先に


 人々が賑やかに新しい年の始まりを祝う頃、地下では激しい銃撃戦が繰り広げられていた。



 ドドドドドドッ、ドドドドドドッ


 絶えず響く銃声、飛び交う弾丸。


 空間を裂き、軽々と弾をけ走り抜ける二つの影。来た道は赤い飛沫しぶきで染まり、今まさに息絶えたばかりの抜け殻が無数に転がっている。



「遅い」

「久しぶりだからな」


 走り抜けた先、行き止まりにしか見えない壁の中に吸い込まれたはずの二人は、広いオフィスのような部屋に入ると、銃をしまいフードを脱いだ。


 長い黒髪をなびかせるのは水野、肩を揺らしソファーに座り込むのは黒豹と呼ばれる男、内藤だ。


「情けない」


 ワインレッドのキャットスーツに身を包んだ水野は、軽蔑の眼差しを内藤に向け、部屋の奥へと進む。


「逃げられたな」

「えぇ……」


 漂う敗北感、とても敵を全滅させた後とは思えない。


「これからどうする」


 内藤の問いには答えず、何かを考える様子で水野は画面を見つめる。


「今頃、羽島も丸山も遥か空の上だ。反対派も壊滅状態だが、俺らも馬鹿のせいで自滅……ここを捨てて追うなら、付き合ってもいい」



「遥……」


 長い沈黙の後、水野はあの名を呟いた。


「全員、招集を」

「集めてどうする」

「仕事が一つ、残っています」


 ため息が漏れる。


「返事は」

「はいはい、やりゃいいんだろ」


 立ち上がった内藤は戦闘服を脱ぎ捨て、ボタン一つで黒いスーツへと姿を変えると、長い前髪をかきあげた。


「それから、言葉遣いを改めなさい。戻ってくるのでしょう? 」


 内藤は部屋を出ていく。


 水野の言葉はこれ以上、羽島や丸山を追う事はせず、表の姿に戻ることを示唆していた。







 この激しい戦闘の間、地上は平和だった。特に捜査員達に包囲され、すでに追い詰められていたはずの遥と海斗が捕まる事もなく、穏やかに時を過ごせているのは羽島が起こした反対派壊滅作戦のおかげと言えるかもしれなかった。


 二人は今日も新居での同棲生活を満喫している。




 ちょっとだけ、そう言いながらもう一時間は勉強している遥の背中を見つめる海斗。


「はーるか」


 集中しているのか、返事はない。


「お~い、はる~」


 呼び方を変えても気づかない遥。海斗は諦め、寂しげな笑みを向ける。


「だめか……」


 そう呟くと立ち上がり、どこかへと消えた。



 遥が顔を上げたのは、それから30分も経った後のこと。


「海斗……? 」


 海斗がいない事に気づいた遥は不安げな表情を浮かべ、立ち上がる。


 リビングを出て玄関を確かめてほっと胸をなでおろす。靴があるなら外には出ていない……家の中、どこかに海斗はいる。


 ふいに鼻を誘う匂い。


 遥の足はキッチンへと向かう。そこには探していた背中。


「海斗」

「見つかっちゃった」


 振り向いた海斗はいたずらがバレた子供のよう。交わした微笑みに心くすぐられた遥はその広い背中を包むように、ぎゅっと抱きついた。


「危ないよ」

「ごめんね……お昼ごはん作らなきゃいけなかったのに」

「いいよ、頑張ってる遥の為に何かしたかったんだ」

「ありがと……」


 赤らめた頬を隠すように背中に寄せて温もりに浸る。


「できたよ。食べよう」

「うん」


 愛していいのか──悩みに揺れ、素直になれないできた遥にとってそれはやっと訪れた幸福。


「おいしい! 」

「よかった」


 満面の笑みで、美味しそうに頬張る遥。見つめる海斗も幸せを噛みしめている。



 ──ずっと一緒にいたい──



 二人は同じ想いを胸に秘め、永遠を願う。


「今日は、もう勉強やめてゆっくりしない? 」

「でも……」

「遥といたいよ」

「海斗……」


 遅めのランチを済ませると、海斗は遥の手を引いてソファーへと連れて行く。髪を撫で、熱く見つめ合うと優しく唇に触れ、何度目かのキスをする。


 離れていく遥を引き止める海斗。


 何度も唇を攻め、深く口づける。


 海斗の様子がおかしい……感じながらも応じるうちに、遥の身体は熱くなっていく。


「んっ……、かい」


 名を呼ぶ声も遮られ、抜けていく力。


 されるがまま……いつの間にか押し倒されて海斗の唇が首筋へと降りていく。誰にも触れられた事のない所、続けばどうなるかもわかっている。


「あっ……海斗……ねぇ……」


 戸惑う遥に海斗は返事もせず、火照る身体にわざと優しく、そっと触れる。


「はぁ……」


 漏れる吐息。


 海斗の唇が離れ、遥を見つめる。


 初めて見る艶めかしい表情、恥ずかしそうにそらす視線。



 海斗は我に返ったように動きを止めると、優しく遥を抱き寄せた。


「ごめん……」


 途中で止められ、何が起きたかわからない遥。でも次の瞬間、哀しげな、諦めたような笑みを浮かべると……そっと背中に手を回した。



 狭いソファーで抱きしめ合い、心を寄せる二人。


 どこまでも続く静かな時間。


 哀しみ、寂しさ、あふれ出る程の愛情……わきあがる想いの全てを深く味わい続けた。







「明日、出掛けてくる」


 その夜、海斗は遥に告げる。


「出掛けるってどこに? 」

「キャンプ場だよ、お客さんがいない間に責任者の人が来て面接してくれるんだ」

「面接? え……でも海斗」

「大丈夫、履歴書も必要ないし細かいことは聞かないって。訳ありなら人と関わらなくて済む仕事もあるらしいし」


 突然の言葉に遥が見せた動揺と困惑に、海斗は気づかないふりをする。


「あそこで……働くの? 」

「うん、受かったら住み込みで働かせてくれるって」

「住み込み……? 」


 この家で二人で暮らす、そう思っていた遥はショックを隠せない。


「海斗……一緒にいよう。ここなら安心だし、まだ無理して働かなくても……今ね、一生懸命調べてるの。ほら海斗、ご飯食べられるでしょ? 消化器官が動いていて唾液や胃液が分泌されていれば身体検査に通る可能性が高いらしくてね。指紋もあるから、前のデータと照合して復籍できれば前と同じ暮らしだって出来るよ。だからそれまで」

「遥……」


 必死な遥の言葉を遮り、海斗は愛しいはずのその名を囁く。重なり合う視線、髪を撫でながら海斗は遥を説き伏せる。


「前と同じようにはいかない。仕事だって……きっとクビになってるし、学校で働くわけにはいかないよ。本当なら名乗り出て処分されるべきなんだ」

「嫌……そんなの、絶対嫌」

「俺だって、遥といたいよ。これからもずっと一緒にいたい」

「だったら……」

「せめて、遥の重荷にならずに側にいたいんだ。もう投げやりになったりしない、俺なりに頑張ってみるから」


 言葉を止めた海斗、遥を真剣に見つめて、また髪を撫でた。


「見ててほしいんだ、これからの俺を」

「海斗……」


 不安と恐怖を募らせながらも、遥は頷くしかなかった。


「愛してる」


 微笑みと共に囁いて、ちゅっと浅いキスをする。


「おやすみ」

「おやすみ……」


 二人は眠りにつく。


 狭いベッドで身体を寄せ合い、でも心は……離れていく。




「ごめん」


 翌朝早く、海斗は家を出た。


 目が覚める前、遥をそっと起こさないように。



 海斗は、遥に嘘をついた。



「今から出るよ、30分程で着く」


 車に乗り込むと、遥からクリスマスプレゼントにもらった新しい端末で誰かと話す。


「わかった、裏門から入って。父さんと待ってる」


 相手は葵、海斗は市街地を抜けて公園を通り過ぎ学校へ向かう。


 そして遥から……離れていく。




「ボス、ターゲット動きました。以前の勤務先に向かうようです」


 黒いスーツを纏い、戦の匂いを消した水野はやり残した最後の仕事に着手する。


「全員、集まっていますか」

「はい、黒……いえ、内藤さんがチームに加わりたいと」

「私が指示しました」

「そうですか、了解しました。それと田原さんと連絡がつきません、位置情報も掴めず」

「なら内藤を田原の位置に。30分で方をつけます、至急、突入前の会議を」


 総帥である羽島が逃げて不在の中、組織をまとめ反対派との戦闘を最小限の被害で治めた水野。生き残った捜査員は皆、彼女に忠誠を誓い基地に集められた。



「ターゲットは草野海斗、軍事用に違法改造された極めて危険なサイボーグです」


 十数人の精鋭チーム、各々おのおのが只者ではない鋭い光を、眼に宿している。


 一人一人に、注意深く牽制するような視線を送る。


「──以上。尚、草野海斗は今後の捜査活動に有益な研究対象である為、生かしたまま拘束します。殺していいのは民間人に危険が及ぶと判断した場合のみです。充分に注意してください」


 ちらりと内藤に視線を移す。


「失敗は許されません、気を引き締めてあたるように」

『はい! 』


 泣いても笑っても最後のチャンス。


 戦いの火蓋はたった今、切って落とされた。


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