第47話 私の居場所


 にぎやかなクリスマスが過ぎて、二人だけの時間は穏やかに、幸せに流れていく。


「おはよう」

「おはよ……」


 まだぼんやりする意識に聞こえてくる海斗の声がたまらなくうれしい。長い指に髪を撫でられて、またうっとり眠たくなってくる。


「今日、家に帰る日って言ってなかった? 」

「うん……もうちょっと」


 広い背中に手を回して、胸に顔をうずめると海斗もぎゅっと抱きしめてくれる。二人一緒に布団にくるまれて眠りにつく……こんな夢のような朝が、毎日続いたらいいのに……。


 ずっと……続いたら。



「はるちゃん! お~い、はるちゃん、お昼になっちゃうよ!! 」



 ……ん?


「タマ? 」


 でもそんなはず。


「はるちゃん、起きないとお兄ちゃん怒ってるよ」

「タマ!! 」


 驚きのあまり飛び起きる。


 白い壁、ガラステーブル、お気に入りのラグ……白とビビッドなピンクで統一した……私の、部屋。


「タマ……? 海斗……? 」


 静まり返る室内、見上げた天井はタマを取り外した後の穴が空いている。


 確か昨日の夕方、海斗に見送られてあの家から住み慣れた部屋に帰ってきて……記憶を繋ぎ合わせるうちに意識が現実に戻ってくる。


 タマも海斗も消えてしまって、今までの事は全部夢だった……まるでそう言われたかのような、恐ろしい夢。


 ほっとするようで、もやっと不安が残るようで、なんだか重いため息が出る。


 タマを直してまたこの部屋で一緒に暮らす、その願いを放棄して家を出てしまった。家族ともちゃんと話をしなかったから、まだ少し気まずくて……下に降りたくない。


 今日は大晦日。


 毎年、恒例行事だからと帰ってきたことをいまさら後悔しつつ、のんびり着替えてリビングに向かう階段を降りた。



「ふざけんなよ、何時だと思ってんだ」


 タマの言った通り、リビングに入ると兄貴が怒っていた。


「まぁまぁ、久しぶりなんだから喧嘩しないで仲良くやりなさい」

「そうよ。遥、ご飯食べるでしょ? 」

「うん……」


 いつもの席に座るとお母さんが食事を用意してくれる。


「ありがとう」

「偉いぞ、遥」

「ん? 」

「ちゃんと母さんに感謝出来るようになったな……一人暮らしも、悪いもんじゃないのかもな」


 最後まで反対して話も聞いてくれなかったお父さんの言葉。


「さぁ、早く食べちゃって。買い出しの後、おばあちゃんの家にも寄りたいから」

「はぁい」


 喉につかえるトーストをスープでむりやり流し込み、急いで支度を済ませて家族四人で車に乗り込む。


 大晦日はいつも朝から買い出しに行って、のんびりしながらいつもより少し贅沢な晩ごはん。その後、映画や歌番組を見ながら新しい年を迎える──どこの家でもあるような、ごく普通の年越しだけれど、これを子供達が大人になってまでやっている家はどのくらいあるんだろう。


 それに小さい頃は、お正月が終わるとすぐに学校が始まって、休みが短かったけれど大学生の頃に、クリスマスから3ヶ月間の冬期休暇が定められて、会社も学校も休みになって……正直、家族が鬱陶しい、そう思っていた。


 でも、いつも変わらずいてくれて、私のわがままを聞いてくれる、そんな存在は家族だから……なのかもしれない。


「着いたぞ」

「今日は特に寒いわね、遥、マフラーちゃんとしなさいよ」

「はぁい」

「和樹はマスクもね」

「大丈夫だって、もう子供じゃないんだから」

「兄貴はまだ子供でしょ」

「お前にだけは言われたくない」


 どことなくほっとするやり取りを聞きながら考えてしまっている。


 私も……海斗と家族を築いていけるだろうかと。


 ここから三が日が済むまで4日も会えないなんて寂しすぎる。家族といても私はずっと、海斗の事ばかり考えていた。







「お待たせ。たくさん食べてね」


 夕食は私の大好物ハンバーグと兄貴の好きなポテトサラダ。


『うまっっ!! 』


 美味しすぎて兄貴と同時に出てしまう声。いつもなら言葉遣いをたしなめられるのに今日はにこにこと満足そう。


「やっぱり、いいわね。作ったものを喜んで食べてもらえるのは」

「うちの子達もまだまだ子供だな」


 普段は反抗的な私と兄貴も母の味には情けないくらい逆らえない。


「ポテサラまだある? 」

「ハンバーグは? 」

「はいはい、どっちもまだあるからちょっと待っててね。お父さんも、のんびりお酒なんか飲んでると全部食べられちゃうわよ」

「しかしあんなに小さかったのに……独り立ちする日が来るとはなぁ」


 珍しく、ビールを飲んでいるお父さんは完全に酔っぱらっている。


「徒歩10分だけどな」

「それは兄貴が言うことじゃないでしょ! 」


 いつも通りの家族の会話。思えば私もずっとこうして暮らしてきたし、これからもずっと続くんだと思っていた。


 まさか、自分でこの家を出ていく日が来るなんて……徒歩10分なのに、ちょっと大袈裟かもしれないけど。


「もう二人とも大人なんだから、自立するのも当たり前よ。これからは私と二人で楽しく暮らすんでしょ? その為にも、お酒は控えてね」


 そういってお父さんをたしなめ、さりげなくコップを奪うお母さん。


「じゃあ……そろそろご飯もらおうかなぁ」


 しょぼんとしながらも、お母さんに従うお父さん。少し前まで両親の仲の良さが苦手だったはずなのに……今は、ずっと変わらない二人のことを羨ましく感じる。


 海斗……何してるかな。


「メロン食べる? 」

『食べる!! 』


 性格もバラバラな家族がリビングに集まって、同じ物を食べて笑い合う。いつもと変わらない日常、それなのになぜか……ずっと昔の、懐かしい思い出の中にいる気がする。



「年が、明けるなぁ」


 家族でのんびり過ごす年越し。お父さんの言葉で画面を見る。


 海斗……新しい年だね。


 心の中で声をかける。


「あと3分」


「2052年はどんな年になるかしらね」


『あと15秒…10…9…8…7…』


 リビングに響くカウントダウンを聴きながら、新しい未来に想いを馳せる。


 今年は色んな事があった。


 海斗と再会して仕事も辞めて……来年はどんな年になるだろう。


『明けまして! おめでとうございまーす!! Happy New Year!! 』


 そして、新しい年が始まった。







「遥は明日帰るの? 」

「うん、そのつもり」


 2052年になって3日目の夜。


 子供にかえって過ごした長いお正月が、終わろうとしている。


「ちょっと遊びすぎちゃったから、帰ったら勉強しなきゃ」


 待ち遠しい、早く海斗に会いたい……そんな気持ちを隠すように言ってお茶を飲む。


「そう……帰る時、出掛けているかもしれないけど気をつけて帰りなさいよ」

「うん、わかった」


 昔から暖かいのか冷たいのかわからない我が家。特にお母さんは……ずっとそうだった。


「ほら、遥の番だぞ」

「うん」


 ちなみに今はトランプ中。少しだけ苦手なお母さんの事は考えるのをやめて、兄貴に注目を移す。


「珍しいね、兄貴が家にいるなんて」

「出掛けるって言ったら、今年だけは付き合えって言われたんだ、親父に」

「へぇー」

「今年が最後だって言ってたけどな」

「そうなの? 」


 お父さんに……か。


「よし! 上がりだ! 」

「げ! 親父が止めてたんじゃねーか! この嘘つき! 」

「七並べはそういうゲームだからな。ちなみにクローバーの8を止めてるのは母さんだ」

「は!? 」

「ちょっとお母さん!? 」


 してやったりという表情の両親に本気で悔しがる兄貴と私。


「珍しいなぁ、遥が負けるなんて」

「ほんと! いつもの強さはどうしちゃったの? 」

「だって8なんか止める? 8だよ!? 信じらんないって! 」

「8連敗」

「え? もうそんなに負けてんの? 」

「あらー……絶不調ね。でも明日早いんだしそろそろ終わりにしないとね」


 笑うお母さん、さっきの会話がまさか前フリだっただなんて。


「やだ! 負けたまま終わるなんてぜっったいイヤ! 」

「ははっ、やっとやる気になったか。じゃあ続きだ」


 両親にその気にさせられて、トランプ対決は日付が変わるまで続いた。くたくたになって部屋に戻ってベッドに倒れ込む。




「はるちゃん、はるちゃん」


「タマ……どこにいるの? 」


「はるちゃん。タマはね、はるちゃんの側にいるよ。見えなくてもずっと、そうだったでしょ? 」


 涙が、溢れてくる。


「タマ……タマごめんね、私……」

「はるちゃん、今までありがとう。楽しかったねぇ」


 どこまでも優しいタマの声。


「タマ? 行かないで……教えて。どうしたらまた一緒にいられるの? ねぇ、タマ……」

「はるちゃんのこと、大好きだよ」


 声が、小さく、遠くなって消えていく。


「タマ? タマ? 行っちゃ嫌……」

「大丈夫。はるちゃんは……もう大丈夫……だよ」

「タマ!! 」


 どんなに叫んでも、もうタマは答えてくれなかった。


「タマ……」


 また飛び起きて目が覚めた。電気がついたままの部屋にタマの声はもう聞こえない。


 帰りたい、そう思った。


 立ち上がり着替えて、まとめていた荷物を持って立ち上がる。


 また、会いに来ればいい……海斗の復籍さえ叶えば、堂々と迷惑を掛けずに側にいられる。


 階段を降りてリビングに書き置きだけ残して、靴を履く。


「もう行くの? 」


 振り向くと、パジャマ姿のお母さんが立っている。


「うん、また来るね」

「ちょっと待ってて」


 そう言ってリビングへと歩いていったお母さんは、ピンクの紙袋を提げて戻ってくる。


「これ、持っていきなさい」

「何これ? 」

「見れば分かるから」

「わかった」

「さぁ、もう行きなさい。身体に気をつけてね」

「うん……」


 何が入っているのか知らされないまま別れて、帰り道を歩き始める。


 タマのこと、お父さんやお母さんのこと、今までの暮らし……徒歩10分の場所に引っ越しただけ、それなのに、なんだか遠くなっていくような気がする。


 空気の冷える静かな朝、コツコツと歩みを進めて私の家に帰ってきた。


 ここが私の居場所。


 手をかざして入ると、きれいに掃除された部屋、白いベッドで心地よさそうに眠る海斗がいて。


「ただいま」


 寝顔に囁いて髪を撫でる。


「来年は、一緒に過ごそうね」


 必ず、海斗の人生を取り戻す。そしていつかみんなで新しい年を迎えたい。


 こみ上げる愛しさに、そう誓った。


 

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