第3話 予感


 もしかしたら……そんな期待を胸に画面を見つめていると、見えたのはやっぱり夢瑠じゃなくて黒い服を着た女性。


 仕事の邪魔だ、出る早々から金切り声で怒っている。


「ですから篠田は執筆中です、あなた方と無駄話をしている暇はありません、これ以上続くようならそれなりの対応を取りますよ! 」


 それなりの対応って……でも樹梨亜は引く様子もなく、笑顔を浮かべる。


「金田さん、でしたね」

「名乗った覚えはありません。ほんとに馴れ馴れしいったら」

「すみません、母から金田さんのお話を伺いまして」

「母……? 」

「申し遅れました、佐原沙織里さはらさおりの娘の樹梨亜と申します」


 樹梨亜の一言で、金田さんの顔がサァッと青くなるのがわかった。


「母がいつもお世話になっております」

「5分……5分だけですよ」


 樹梨ママが会社でどんな立場なのか想像もつかないけど、あんなに怒っていた金田さんが画面から消え、机にかじりついていた夢瑠がクローズアップされる。


「夢瑠! 」

「ハルちゃん! 樹梨ちゃん! 」


 やっと見られた夢瑠の笑顔……でも痩せたというかやつれていて、よく着ている白いフレアのワンピースも肩がずり落ちそう。


「夢瑠、大丈夫なの? 」

「ごめんねぇ……連絡くれてたのに。お仕事終わらなくてねぇ……」

 

 輝きのない瞳、痩せた身体、くるくるの髪も無造作におろしたまま広がっている。


「ごめんねぇ、こんな格好で……」

「そんなことよりちゃんと休めてるの? ご飯は? ちゃんと食べて寝ないと頭なんて働かないよ」

「夢瑠、大丈夫? 」


 心配なのに夢瑠の抱えている物の大きさを感じてしまって、樹梨亜のように話せない。やるせなさに胸が詰まる。


「夢瑠は大丈夫、ハルちゃんと樹梨ちゃんは? 」

「元気元気! 忙しかったから会うのも久しぶりなんだけどね、私は相変わらずだし、遥は……なんだっけ? 仕事で忙しいの? 」

「そうそう、仕事ぜんぜん休めなくてさ、そういえばエアガン始めたの言ったっけ? 」

「そうなの? 今、初めて聞いた」

「エアガンかぁ……あの時のハルちゃん、かっこよかったもんね。よかったぁ……ハルちゃん元気なんだね」

「うん。元気だけどさ、夢瑠がいないと寂しいよ」

「ハルちゃん……」

「あー! 遥が夢瑠口説いてる」

「そ、そんなんじゃないって」

「夢瑠もハルちゃんに会いたいなぁ~」

「ちょっと私は!? 」


 やっぱり元気がなくて疲れているけれど、話せた10分で少しだけ笑顔も見られた。


「そろそろ……仕事しなきゃ」


 夢瑠の言葉で楽しい時間は終わりを告げる。


「夢瑠、頑張る……頑張って終わらせたらね、お誕生日帰るから! そしたらお祝いしてくれる? 」


 今日一番、力のこもった夢瑠の言葉に大きく頷いて私達は通信を切った。


「夢瑠……つらそうだったね」

「そうだね……って遥、泣いてんの!? 」

「だって……夢瑠になんにもしてあげられないんだよ……あんなに大変そうなのに」

「もう……あるでしょ、してあげられる事。頑張った後に笑顔で迎えてあげなきゃ」


 樹梨亜が一番大人、こんな時そう思う。


「そうだね……よし! 来月、夢瑠が帰ってきたらお祝いしよ! 飾り付けもして夢瑠の好きな物たっくさん用意してさ」

「じゃあ、行こっか」

「どこに? 」

「プレゼント見に行くに決まってるでしょ! ちょうど夢瑠の好きそうなお店見つけたの」


 そうして私達は店を出る。少しぎこちなかった私達をいつも通りにしてくれたのは、夢瑠だった。今までもこれからも変わらずいられる。


 そんな関係でいたい。


 いつまでかわからない恋より、ずっと続く方が心地いい。樹梨亜の隣を歩きながら、そう思った。







「かわいいのあってよかったね」

「うん、夢瑠、絶対に喜ぶよ」


 ラベンダーカラーとパステルピンクにペガサス……夢瑠の好きな物を詰め込んだような場所は、まるで夢の世界にいるみたいだった。夢瑠が見たら喜ぶだろうな、そんな想いを胸に秘めて店を出る。


「夢瑠が見たら喜ぶのにね」


 樹梨亜の言葉に、同じ事を考えていたと安心する。


「このあとは仕事? 」

「ううん、今日は1日休み取れたんだ」

「じゃあ……クレープ食べない? 」

「いいよ、樹梨亜クレープ好きだね」


 相変わらずにまた一つ安心しながら思い出す。

 

 “来れるといいね、クレープの樹梨亜ちゃんに綿あめの夢瑠ちゃん、だっけ”


 海斗と行ったお店には結局行けなくて、あれが最後だった。あの店の跡地に今は、新しいクレープ屋さんが出来ている。


 今も変わらない、クレープの樹梨亜に綿あめみたいな夢瑠。でもそう言って笑った彼は……もういない。


「さぶっっ」

「すっごい風」


 大通りの交差点、信号待ちをしている私達に強風が吹き荒れる。あまりの冷たさに思わず身をかがめてしまうほど。


「もう春なのにいつまでも寒いね」

「ね、気象操作するって言ってたのに全然あったかくなんないよね」


 いつもより長い信号待ちに焦れて前を見る。信号はまだ赤。


「え……」


 何気なく見たその先に驚いて、思わず眼を見張った。


 海斗……まさかそんなはず……でも。


 見覚えのあるコート、ふわふわの髪にくりっとした……あの瞳。


 懐かしいその姿に時が止まる。


 “好きだよ……遥”


 あんなに時間が経ったのに、笑顔も温もりもどんどん薄らいでいくのに……今もまだ蘇る声。


「遥、どうしたの? 」


 我に返ると、信号は青。


 樹梨亜も海斗も、そして世界も動き始めていた。樹梨亜は海斗のことを知らない。それに、海斗だってもう。


 “草野海斗は死んだ”


 身体は海斗だったとしても、もう私の知っている海斗じゃない。


「遥? 」

「ごめん、何でもない」


 気にしないように……普通に……一生懸命言い聞かせながら一歩ずつ進む。


 “遥……”


 心の中に響く声。


 少しずつ近付く距離。


 すれ違う時……一瞬、その人もハッとした表情で私を見た……気がした。


 樹梨亜を挟んですれ違い、また離れていく。


 もし、もしあれが海斗だったとしても……きっともう、会うことはないから……込み上げる何かに蓋をして、遠ざかっていく姿を、忘れることにした。







 その夜、憂鬱な表情を浮かべ、ため息をついていたのは、急遽、会社に呼ばれた遥ではなく樹梨亜だった。


「大丈夫? 」


 そんな彼女の手を取り、優しく慰めるのはパートナーロイドの煌雅だ。


「うん……先に休んでて」


 彼女は想いを言葉にするのが苦手で、悩み事があると一人になりたがる。それを煌雅はよく知っている。


 微笑みを向けると、樹梨亜の隣に腰掛け、そっと寄り添う。


「煌……明日仕事でしょ? 休まないと」

「大丈夫、充電ならあるよ」

「そっか」


 無言の間。間接照明だけが灯る薄暗いリビングで、樹梨亜は煌雅に話し掛けることもなく、ぼんやり何かを考えている。


 そんな時間がしばらく続いた後、煌雅はさり気なく樹梨亜の手を握った。


「なんか……さみしくてね」

「うん」

「遥が知らない人に見えるの。きっと何かあったはずなのに言ってくれない……もちろん友達だからって全部言わなきゃいけないわけじゃない、それはわかってる、でも……なんか寂しくて……いつか、結婚して子供ができてもずっと変わらず3人でいたいって思ってたのに……最近、思うの。そんな風に思ってるの私だけかもしれないって。こんな風に少しずつ、夢瑠も、遥も離れていっちゃうのかな……」


 堰を切ったように抱えていた寂しさや不安が溢れ出る。そんな樹梨亜の言葉にも煌雅は穏やかな笑みを崩さず、耳を傾ける。


「ごめん、こんなこと言ったってしょうがないのに」


 何も言わないまま、そっと肩を抱き寄せる煌雅。温もりを感じながら、樹梨亜はあることを思い出す。


 小さい頃、一人の夜は薄暗いキッチンで、冷蔵庫にもたれて温もりを感じていた。あの温もりが癒やしてくれた、悲しみも、不安も、孤独も……耐えられた。


 静かに優しく包んでくれる温もりは、どんな言葉よりも必要で、最大の癒し。


 心を休め、彼女は静かに目を閉じる。


 母子家庭で育ち、夜遅くまで一人で留守番していた彼女はずっと不安と孤独を抱えて生きてきた。だからこそ、永遠に続く家族の温もりと安心を求めて、生涯のパートナーにロイドを選んだのだ。


「煌……ありがとう」


 樹梨亜は煌雅に微笑みかける。遥と夢瑠と、いつまでも同じようにはいられないかもしれない。


 それでも……前に進もう。


 彼女はある決意を固めた。







 樹梨亜と夢瑠……友人二人の変化は、直接関係ないはずの遥と海斗の運命を再び、交差させた。


 気付かずに、心の傷を仕事でごまかそうとする遥は、まだその事に気付いていないようだ。

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