とっぴんぱらりのぷ

籠り虚院蝉

第1話

 雪の無情には、溜め息すらも凍りつくのだろうか。

 東北の片田舎では、この時期まだ雪は解けていない。暖房の効きすぎによる頭痛で眉間に皺を寄せ、関東からの新幹線の窓の淵に頬杖をつきながら流れる遠くの景色をなんとなく眺めていると、山間の枯れ木の林のなかで、ふと先をゆく春の色をひとつ見つけたのだった。小川を流れる雪解け水は福島から仙台のあいだでまだしたたかに青みがかり、後背部にあった新緑と淡い桃色もまた抱いた感傷とともに過ぎ去ってゆく。なるほど、この時期の新幹線に乗るということは、南から北へと移動する過程で駆け足気味の春さえ置いていかざるを得なくなってしまうらしい。もっとも、関東の中心地にいながら東北の四季と比べれば、彼の地のより温厚な時節の変化にとってわたしの身に感じるものも決して多くはなく、忙しない日々の割にいささかも変わることのない人の動きの間緩さも感じたものだ。

 寂れた山間を抜けると再びちらほらと集落の屋根が見え始めた。新しく建てられたであろう家屋と家屋の合間に、錆び付いたトタン小屋の打ち捨てられた姿などが随分不釣合いな様子でぽつりぽつりと佇んでいた。まるでそうしたものだけが時空の狭間にでも落っこちて、地球を何十周も逆回りしてからまたこの地に降りてきたかのようだ。つまり、わたしがいつも住んでいる地と故郷とは、言語のみが常識の範囲内となった別時空の世界で、日和見な心構えとその他常識を、あと数時間で少し過去へと遡る遠回りな抜け道のなかで、さっさと捨て置かなければならないのだった。故郷はそのゆるやかな時空のなかで過去の人も同じなのだ。久しく別れた旧友のような。

 しかし、実家から離れ、もう数十年と踏み入れていない地元に対し、唐突に帰省願望が頭をよぎったのはなぜだろう。年度末の決算も終わり比較的落ち着いた時期に英気を養うためだろうか。それとも落ち着いた心持ちのなかで有休取得の振りにふと気づいたからだろうか。どちらとは言えないが、わたしはその瞬間に、確かにかつて自分が成人まで過ごしていた分家の銀屋根を思い出したのだった。

 子ども時代からすっかり埃まみれだった分家のくすんだ銀屋根は、数十年経った今どうなっているかもわからない。新しい家主が現れて改築でもされていて、あの燻し銀な屋根が情熱的な真っ赤に変わっていたらどうしようだとか、もしかしたら既に取り壊されていて、長草鬱蒼と生い茂る小高い城址跡になっていたらどうしようだとか、嫌々思ってしまう次第で、だんだん不安になってきた。引越し後の実家は隣町にあり寝食については問題ないが、二十余年暮らしてきた場所が変わり果てていたのなら、それこそ人生の半分を過ごした地を唐突に思い出されたわけをわたしが知る由もないのである。

 その家の隣にあって地域を一望する位置に座し、二体だけ首が折れてもう一度繋ぎ合わされ補修されたあの六地蔵までは、どんな事由があったところで何事も変わるまい。神をげ替えるなどもっての外だが、わたしは彼らの前を通りがかるたび「いつまでも健康で過ごせますように」とか「平和でありますように」とか、年齢にそぐわないささやかなお祈りをしたものだが、特にその願い事も叶ったことはなかったのだ。

 暖房の暑さに、いつの間にか奪われた喉の潤いを購入しておいた茶を飲み下して取り戻すと、不意に睡魔が鎌首をもたげてきたのがわかった。しかし乗り換えの仙台駅までもう三十分もない。ここで寝てはならないと言い聞かせるが、繁忙期は過ぎ去り、新幹線はうだる暑さ、故郷の様相を思い出されて幾分気持ちもゆるやかな時にたゆたい、とてもではないが注意手薄な状態を打破することはできなかったのであった。




 いつの間にこの駅はこんな洒落たものを置くようになったのか、わからない。

 県のターミナル駅からさらに北へと向かう普通電車に乗り込み、ようやく地元の駅に到着したのは午後も六時を過ぎた頃だった。地元のこの時期はまだ街灯に白雪映える冬の夜だ。

 どこかの高校生らしき集団も電車を降りたのだが、抱く感慨には大きな差があろう。彼らと同じようにここから高校へと通った時期があったが、午前七時二十分発だった電車がダイヤ改正で七時十分からの出発となったのは当時の多くの高校生を悩ませたことだ。とりわけ苦労したのは、当時の実家からこの駅まで車で送り迎えについて、夏は十分、冬は十五分、最悪二十分ほどかかる位置にあったためで、家を出るのが常に七時前と、部活をしていて帰宅も就寝も遅い自分には少々早い起床時間が心身に堪えたためであった。彼らもその頑強そうな肩にところどころ傷が付いた刺繍入りのスポーツバッグを担いでおり、部活帰りだとわかった。

 彼らは談笑しながら、そのまま無人改札のある向こうのホームへ渡るため連絡橋への階段へ向かって歩いていく。しかし、誰一人としてその中途にある異様なものの存在に顔や視線を向けることはなかった。それは多く周囲の乗客も同様で、そこにあるのが至極自然でそれが当たり前かのように、だれもが関心を寄せる様子を見せなかったのだ。

 高校生らを見送り、電車も発車しようかという時、わたしは開け放しで寒風の吹き入るドアを急き立てられるようにくぐり抜けた。みなが皆開け放しのドアとわたしを見比べて煩わしそうに溜め息をわざとらしく吐くばかりだったように思う。電車が車掌の笛の合図でゆっくりと発進すると、加速は早かった。すぐにわたしの背後にいた電車はさらに北へと走ってしまい、座席で温められていた背には冷たい風が割り込んできた。わたしは身震いし、人っ子ひとりいなくなったことも確認し、ホームの中途にあるその異様な存在のもとへ近寄った。そこにあったのは眩しいほど白く輝くペンキ塗りの片開きの扉だった。

 ぽつねん、と佇む外観はなんの変哲もない白扉は、ただそれがあることにはなんの問題もなかったのだが、その異様さを醸し出すに充分な要素があった。空間に切り取られた白扉には向こう側が無かったのである。ドアというのは空間と空間を仕切るためのものであり、仕切られた空間と空間とを往来する通り道であり、それらを全うする余地の無い扉が存在することに甚だ違和感を覚えた。その扉の向こう側には仕切るべき空間など無かったのである。なんのために存在しているかもわからないものが、美術館や博物館に展示されているのならまだしも、ここは東北の僻地の小さな寂れた駅のホームだ。いかなる理由があろうとも、ここに目的外の扉を設置するなど考えられなかったし、それをだれも気に留めなかったのはもっと考えられなかった。わたしの母校の最寄り駅にはバスケットゴールが設置されていて、見慣れてしまうと特に気になることもなくなってしまったものだが――。

 よく周囲を見渡してみても、そうした摩訶不思議なものの存在を誇示するようななにかなど無かったし、ざっと全体を観察してみても、ホームの真ん中に無意味なドアなど設置していて邪魔ではないのだろうか。今すぐにでも撤去すべき無駄なものを、ここに建てておく必要などあるのだろうか。

 おそらく駅前の駐車場では呼びつけておいたタクシーが待っていることだろう。しかし、わたしはそのおかしな扉に惹きつけられ、吸い込まれるように近寄った。一見白塗りの扉であったが、構内の明かりで雪影が反射してほの青く色付いていることがわかる。全面にある板チョコレートのような凹凸がこれをごく普通の扉だと再認識させてくれ、ゆえに立地の関係で余計不思議に思われた。真鍮製らしき金色のノブは丸く、鍵穴などは無かった。外気に曝されている割にノブは冷たいわけでもなく、むしろほんの少し人肌のぬくもりが感じられたのが恐ろしく気味悪かった。電車が到着する直前まで誰かが温めていてくれたのだろうか――そんな気さえしてしまったが、それでもわたしはノブをしっかり握ると勢いに任せて奥に押し込んだ。ところがぐっと反動が伝わり、どうやらこの扉は手前開きのものだとわかると今度は手前に引いてみて、それでようやく開いた。向こう側にはやはり仕切られた空間など無く、ただ連絡橋へと続く階段の存在が見えるだけだった。気づけば吹きすさぶ風に紛れて粒雪がちらちら舞い始めている。わたしはかまちを跨いで、後ろ手に閉めた。

 なんともない。なんともなかった。ただ、ここにはおかしな扉があるだけ。それだけだった。

 狐に摘まれた感がずっしりと肩にのしかかってきた気がして、わたしはそのまま階段を上がった。そして駅を出て、いらいらしたタクシーの運転手に一言謝り、尋ねてみた。

「少しうかがいことがあるんですが」

「はいなんでしょう」

「この駅、ホームに白いドアがあるんですが、あれなんですか」

 運転手がこちらに酷く困った顔を見せた。

「万年タクシーの運転手ですから、ちょっとわからないですねえ」

 目的地を告げると、電車以上の加速度をもってタクシーが走り出した。




 駅での不思議な白い扉のことを、実家に帰って夕飯の席でもう老齢の両親に尋ねてみたが、どちらも「知らない」「わからない」「そんなものがあったことも」という生返事めいた言葉を返してくれるだけで、核心に至る証言は得られなかった。

 とはいえ、久方ぶりの母の手料理に舌鼓を打ち、父と手土産の日本酒を手に語らうだけで、そうした深く考えるべくもない存在を忘れられたのは事実であり、食事を終える頃にはすっかり頭から消え去ってしまっていた。

 両親も既に七十を越えようかという年齢になってきてはいるが、父は何度か病に冒されながらも酒を飲んでこうして楽しく語らえるほどには元気だし、母は多少体を痛める時期があったものの、階段の上り下りを苦もなく為せるほどに丈夫な体である。両親のことで不調をきたすほど心配だった頃に比べると殊のほか現世を逞しく生きていると思うので、今となってはさほど気にかけてもいない。むしろこれからはお前のほうが心配なんだからな、と父に言われ、急に自分の体が気になってくる程度には、わたしも自身の体に対し慎重にならねばならない時期なのだろう。思えば両親の体に不調が現れ始めたのは、五十を超えてから少しした後だった。父も母も仕事に生きる人間だったのでガタを来たし始めた時期だったのだ。わたしも独身で仕事に生きているし、やはり彼らの忠告は聞いておくべきはずだ。

 酒をテーブルに置き、手を膝に下ろした。

「そういえば昔の実家はどうなってるんだ」

「なした急に」

「電車のなかで思い出した」

「ああ、あっこお」

 父は黙りこくって視線を不自然にきょろきょろさせた。どうしたのだろうと訝しむと、母が言った。

「ばあが死んで長いこと誰も住まないから取り壊したの」

「死んだ? それに叔父さんは」

 そんな話はまったく聞いていなかった。まして、長いこと住んでいないという言葉はもっと気になった。あの実家には父方の祖母と父の兄が暮らしていた。成人して家を出てから二十年以上経っているため、もうだいぶ昔の話になってしまうが。

「あんた仕事忙しいだろうから黙ってたのよ」

「なんで」

「なんでって……」

 すると今度は母も口ごもり、しまいには黙ってしまった。点けておいたテレビから大きな笑い声が響いた。わたしはテレビの電源を消した。

「葬式は」

「もうとっくの昔にしたで」

「家は。基礎くらい残ってるだろ」

「なもだ。雑草と山だげな」

 疎遠ではあったが血は繋がっている。それなのになにも告げられていなかったことにか、あるいは両親の不遜な態度にだろうか。わたしは両親のその様子に苛立ちを募らせた。祖母が死んだという話も、存命しているはずの父方の兄の話もはぐらかされてしまった。

 それ以上に、わたしが、あの実家が既に消えて無くなったという事実に少なからず衝撃を受けているのは疑いようがなかった。本当に更地になってしまったのだろうか。小高い城址跡のようになってしまったのだろうか。あそこはわたしの半生でもあったのだ。

 ほとんど無意識にわたしはその言葉を口にした。

「明日、山の実家に行く」

「車は自分で出へな」

「わかってる」

 楽しげだった雰囲気が重苦しくなり、わたしはテーブルに置いたままだった酒を一気に飲み下した。父と母がテレビの電源を点けなおし、何事もなかったかのようにバラエティ番組を食い入るように見つめ始めた。そして、スタジオの芸能人とともに大口を開けて笑った。

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