あたしだけのゆうちゃんになってよ
山花希林
ノンシロップ
1階から丸く切り抜かれ、吹き抜けた2階のカフェ。
あたしとゆうちゃんは向き合って座っている。あたしは1階のフロアを行き来するお客さんをなんとなく眺めながらあったかいティーラテを飲んでいる。
さっきからずっとスマホにつきっきりのゆうちゃんの顔は、重たい前髪が邪魔してここからはほとんど見えない。時々、アイスカフェラテをストローでズルズルすする音がする。生クリームがのっかった甘ったるくて冷たいやつ。そんな風に小学生みたいな感じなのに流行ってるブランドの高い服を着て、最新のスマホを握りしめてる。あたしはゆうちゃんに聴こえないくらいの小さなため息をついて、また階下の人混みを見つめた。
本当はとってもドキドキしていた。苦しくて悲しくてここから今すぐ逃げ出したくて、仕方がないくらい。だって今から自分が言おうとしていることは、自分でも『信じられないくらい酷い嘘』だから。
言ったらきっと後悔することもわかりきってる。でももうそっちへ進む事しか選べないくらいあたしは自分を追い詰めてしまった。
トントン、と小さな振動をくるぶしに感じた。
ふっと見るとゆうちゃんのサンダルを脱いだ足が、あたしのくるぶしを叩いている。顔を上げるとゆうちゃんがスマホじゃなくてあたしの顔をじっと見ていた。
黒目がちで大きな垂れ目があたしのよく知っている表情をしてこちらを見つめている。
トントンと叩いていた足が、スリスリに代わる。ゆうちゃんは甘えた声で「このあとどうするぅ?」と言った。とろんとしたゆうちゃんの視線から逃げるように目を逸らす。胸からじゅくじゅく膿む音がしそうだった。
ゆうちゃんの身体はもう熱いみたいだ。ご飯を食べてお買い物してゆっくりお茶して。いつも通りだったらゆうちゃんの部屋に行ってそれからそれから。あたしだってそうしたい、いつも通り。でももう、そうしてはいられないんだ、繰り返しちゃいけないんだって何十回何百回と思ったんだ。
「ゆうちゃん、あのね…。」
向こうの席で女子高生がこっちを見てひそひそ耳打ちしているのが見えた。あぁ、きっとゆうちゃんの事を噂してる。どこへ行ってもゆうちゃんは女の子たちの視線を集める。こういうのも嫌だったんだ、ずっと。
「もうこうやって会うのこれで最後にしよう。」
「えっ?」
驚いた色で大きく見開かれるゆうちゃんの二つの目。
そうだよね、ゆうちゃんにとっては不意打ちだもんね。でも今日、会った時からあたしは伝えようと決めてたの。二人の楽しい時間の間中ずっと頭の中でぐるぐるさよならを繰り返してた。
「どういうこと?」
ゆうちゃんの口元が半分にやけたカタチで止まった。目の色が冷たく変わってさっきまで柔らかかった表情が消えていく。
あたしは今にも涙が出てきてしまいそうで暫く口を開かずにグッとこらえていた。
「あぁ…。男?」
大好きなゆうちゃんの声。『男』という単語の語尾が甘く上がる。あたしは頷いた。ゆうちゃんの顔から血の気が引いて歪んでいくのが分かった。
「彼氏ができたの。」
あたしは嘘をついた。声が震えないように気をつけながら。『彼氏』と言う単語がなんだかものすごく切なくて、余計に泣きそうになった。
「なにそれ。」
ゆうちゃんの纏っている空気がピリピリチクチク変わっていく。それは戻れないところに足を踏み入れた合図だった。
「ごめん…。」
消えそうな自分の声が遠くに聞こえる。想像以上の後悔に襲われてあたしは気を失いそうだった。
「分かったよ、じゃあね。」
ゆうちゃんの口元が黒いマスクで覆われる。そのまま立ち上がるとゆうちゃんは行ってしまった。遠のいて行く背中を見つめる。心が嫌々と激しく首を振っている。『これでいいんだ』と、何度も自分に言い聞かせる。
こんな時ですら、ヒソヒソ話をするさっきの女子高生たちが気になって泣けなかった。ティーラテをゆっくりと飲む。シロップ抜きの生温い液体がトロリと喉を落ちて行く。
あたしはあたしの目の前に居てくれる普通のゆうちゃんが大好きだった。でもゆうちゃんは、どんどん手の届かない人になっていってしまうから。
ここからはあの女子高生たちとあたしは同じ。
今からゆうちゃんは、あたしの『推し』になるんだから。
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