業火の花
小林作家
序文【講評会用】
ただ一瞬の出来事であった。女の悲鳴が一筋上がり、群集に、その異様が波及していった。
男が倒れていた。男の着る白い
張り詰めた空気の糸は、子どもらの泣き声によって、つんと切られた。母親達は、いっせいに我に返る。子どもを抱き、慰め、この光景から配慮した。父親達は、未だ立ち尽くしたままだった。
女が一人、間近に事の顛末を見ていた若い女が、男のそばに駆け寄り、慣れた手つきで男を介抱した。その女は看護師だった。相当な手際であるが、女の顔を見ると、それは酷いものであった。化粧は崩れ、女の頬を黒く濡らしていた。しかし、この看護師の女と横たわる男は顔見知りですらない。女は、それほど凄惨なものを、その目に見せつけられたのだ。
看護師の女が鋭く声を張り上げた。その声を耳にした父親達は、はっと目を醒ましたように銘々の服や鞄に手を押し込み、忙しなく探り始めた。また一部は、先程どこかへ走って消えた、男を刺した女の行方を追い始めた。
女はもうほとんど泣き崩れていた。震える手で、顔を拭おうとするが、その綺麗で白く華奢な手は、真っ赤に汚されていた。よく似合う乳白の秋服も、この男が鮮烈に汚していた。
男はもう既に、元々の白さなど感じない程の鮮やかな色へと変わっていた。ふと、男の目が僅かに
「君のおかげだよ。素敵な女性だね。僕と、結婚でもしてくれないか。」
と、おどけたことを言いながら、男は一度きつく目を閉じた。なんの余裕か、男は上体を起こそうとした。女に制止されながらも、その動きをやめることはなく、とくとくと血が染みてゆく。
「この花、好きなんだ。」
そう男は言って、男の腰辺りに咲いていた赤い花を指さした。
「悲しい思い出だって。」
と、女に教え、力無く女の方へ倒れ込んでしまった。女は、緊張感など一切似合わないこの男の様子に、安心した。それから、そっと男の肩を抱き、元の寝ていた場所に優しく男を戻し、手を握ったまま男の様子を案じていた。間も無く、誰かの呼んだ隊員達が到着し、男を運んで行った。女もそれについて行った。
辺りを埋めていた人々はもう、散り散りに広がっていた。今ここに残るのは、悲しい思い出だけだった。
この穏やかな秋の公園に、赤い光だけがけたたましく鳴り響く。もう誰も、この時間を気に掛けない。その空間さえも忘れられてゆく。ただいつまでも、覚えているのは、この足元を包み込むたくさんの悲しみを知る業火の花だけ。
業火の花 小林作家 @Kobayashi_Sakka
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