セカンド ミッション〜新メンバー加入

第19話 新しい依頼

 楓とルーシーはトレーニングを兼ねて、3階にある会員制のジムに行こうと言い出した。こんな時までトレーニングしなくていいだろ、と俺が咎めたところで、楓は行くに決まっている。客室にあったファイルで、ルーシーとレンタルの水着を選び出した。ミントも、トレーニングしないがプールなら楽しそうだ、と水着選びに参加していた。暑いからプールで泳ぎたいだけなのだ。

 俺たちは会員ではないが、支配人に言えば自由に使わせてくれるだろう。だけど、楓は何も気にならないのだろうか。親父は大丈夫だと言っていたが、不知火は本当に何もしないのだろうか。澤村たちは、明日北海道に無事辿り着くのだろうか。その前に何かあるのではないか。心配事は尽きず、落ち着かない。


 楓たちはプールで盛り上がっている。フロントに連絡すると、支配人が電話で告げたサイズの水着を3着用意してきた。3人は遊びに出掛けるように、楽しそうに部屋を後にした。


 女性陣がいなくなると、部屋は静まり返った。カタカタとキーボードを叩く音だけが部屋に響いている。

 ダンゴムシは冷蔵庫にあった缶コーヒーを一気で飲むと、空き缶を持ってベランダへ出た。

 スライドの窓を開けると、生暖かい空気と蝉の鳴き声が流れ込んできた。ベランダには小さいテーブルとデッキチェアが2脚並べられている。

 彼はその片方に座るとテーブルに空き缶を置き、ポケットからライターを取り出しタバコに火を点けた。ニコチン0には耐えられなかったのだ。美味そうに吸って煙を出すと、空き缶に灰を落とした。


「あ!この部屋、ベランダも禁煙ですよ」


 ロイホがタバコの臭いに気づき、パソコンから目を離さないままダンゴムシに言った。


「うるせえな。お前は女房か?」


「下の階に喫煙ルームありましたよ」


「面倒臭えんだよ」


 ダンゴムシは、隣に座れ、と目配せをした。気を紛らわせるためにタバコでも吸ってないと、悪いことばかり考えてしまう。俺たちは灰皿代わりの空き缶を挟み、並んで座った。


「リトルハンドたちに、怒られますよ」


 ロイホが鼻を掌で覆い、近づいて来た。


「あとで、消臭剤撒いとけ」


 なんで俺が、とブツブツ文句を言いながら、ロイホはまたパソコンに向かった。

 子供の声が聞こえた。小さな子供の声だ。ベランダから下を覗くと、家族の姿が見えた。25階から眺める人は小さく見えた。ホテルは駐車場からエントランスまでのパブリックスペースを囲うように、コの字型に建てられている。声が建物に反響して、子供の声はすぐそばに聞こえた。声は女の子だ。早く、と両親を急かす声。女の子が先導して母親の手を引っ張り、後ろに父親が大きな旅行鞄を抱えて歩いている。両親の笑い声が木霊こだましていた。

 あの父親は、何の仕事をしている人だろう。まだ子供の夏休みが始まったばかりで、一般企業は休みに入っていない。フリーランスの仕事で休みは自由なのだろうか。それとも早めの夏期休暇をとって家族旅行にきたのか。父親の家族サービスは、運転と荷物持ち。いつも遊んでやれない娘と、いつも家事に追われる奥さんに、普通の家庭はこうやって家族サービスをするのだろう。

 俺たちも普通の仕事をしていたら、ああいう普通の夏休みをとっていたのだろうか。普通の仕事をしていたら、娘ともうまくやれるのだろうか。あの小さな女の子も、里穂くらいの年頃になれば父親を邪険に扱うようになるのだろうか。思春期で仕方がないとはわかっていても、自分の身に降りかかってくるとは、どこの父親だって思っていない。でも、きっとそれはどの家にも訪れる子供の成長なのだ。それが、普通なのだ。

 でも、普通って何だ。思春期だろうと反抗期だろうと、今まで通り家族は普通に仲良くしていたい。父親の立場からすると、娘には普通に進学して、普通に就職して、普通の奴と普通に結婚して幸せになってほしい。楓にも同じことを言いたい。普通の母親らしく、普通に娘のことを考えてほしい。家族というものにもっと目を向けて、もっと大事にしてほしい。

 でも、俺の求める普通とは、いったい何だ。普通の会社を辞めて殺し屋になった俺の考えるとは。


 振り返ると、ダンゴムシがテーブルの上を指差した。日本で見たことのないタバコが乗っている。赤いパッケージで、見るからにしてニコチンの強そうなタバコ。ダンゴムシに断って、自分の軽いタバコを取り出した。俺の1ミリのタバコのパッケージを見て、ダンゴムシは鼻で笑った。


「娘にも健康にも気を遣って、大変だな」


「べつに、そういうのじゃないですよ」


「まあ、タバコ吸ってる時点で、健康的じゃないけどな」


 ダンゴムシは当たり前のことを当たり前のように言った。

 灰皿代わりの空き缶を挟み、しばらく無言でタバコを吸った。ダンゴムシはまだ半分くらいしか吸っていないのに揉み消して、すぐに次のタバコに火を点けた。ダンゴムシも落ち着かないのだ。

 久々に日本に帰り、また『殺し屋』の仕事を再開するのに、まさか初っしょっぱな》から警察を相手にするとは思っていなかったのだろう。個人の依頼から徐々に肩慣らしするつもりでいたに違いない。困惑しているのは俺だけじゃなかった。


「アイツも、落ち着かねえんだよ」


「アイツって?」


「お前の嫁さんだよ。アイツだって、里穂のことは気にしてるし、お前の両親のことも心配している」


「わかってますよ」


 そう返事したものの、俺は本当にわかっているのか。こんな時に呑気にプールなんて、とイラついているのは理解していない証拠ではないのか。


「お前が所長にスカウトされた経緯いきさつは、聞いてるのか?」


「まあ、軽くは聞いてますけど」


「なんて聞いてる?」


「俺が仕事うまくいってないのを知って、辞めるんだったら一緒に仕事しようと思って、お義父さんにスカウトさせたって聞いてますけど。自分で言うのも何なんですが、俺みたいに優しい人間は、殺し屋で人を助けられるって」


 んー、と唸ってダンゴムシは含むような笑顔を俺に向けた。自分で自分のことを褒める言葉は、気恥ずかしい。そんな顔を向けられると、それは俺の勘違いだったんだと更に恥ずかしくなる。


「違うんですか?」


「違うっちゃあ、違うな」


 なんともはぐらかすような言種いいぐさで、ダンゴムシは言葉を探すように空を見上げた。


「アイツはさ、子供の頃大変だったんだよ。俺が殺し屋始めたばかりの頃、所長とドクターと俺、そしてもう1人『クラウド』って言う奴がいて、まあ4人でやってたんだけどな。俺が1番若手で、20はたちくらいの時かな。お前は、まだ中学生くらいの頃だろ。リトルハンドは小学生だった」


 それは俺の両親が、ヤスの件で澤村に依頼したくらいの時か。


「まだ新米だったから、俺なんか屁の役にも立たなかったよ。もう1人の奴っていうのが俺よりも7歳くらい上だったかな。エースよ、うちの。で、そいつがさ、死んだんだよ。俺たちの『執行』が中途半端で、恨みを買って。仕返しに殺された」


 その話は詳しくは知らないが、むかしのメンバーで死んだ人がいるというのは聞いていた。香川警備保障の時も、『執行』が中途半端で大きな事件に発展してしまったのだ。澤村やダンゴムシが、ことに拘るのは、そんな事件があったからだったんだ。


「高速道路で後ろから突っ込まれたんだよ。ブレーキも踏んでなかった。派手な事故だったらしい。まあ高速道路じゃ珍しくもないんだろうが。突っ込んだ相手も死んだ。だから交通事故として処理されたが、突っ込んで死んだ加害者の方は、俺たちが『執行』した対象者だったんだよ。あれは事故じゃねえ」


 ダンゴムシは苦虫を噛み潰したような顔をして、話を続けた。


「そいつにもたしか子供がいたんだよ。所長は責任を感じたんだろうよ。まだ小さかったからなぁ。歳が離れてるからリトルハンドはあんまり遊んだことはねえと思うけど、ジバンシイは遊んでたと思うよ。家族ぐるみの付き合いってやつだな」


 ジバンシイとは、また澤村が付けた渾名で澤村樹のこと。澤村の息子で、楓の弟。4年前に殺し屋から足を洗い、子供の頃からの夢だったデザイナーを目指してイタリアに住んでいる。デザイナーで目が出たという情報はない。根っからの女好きで、遊んでばかりだと聞いている。


「その頃からじゃねえのか。所長、リトルハンドやジバンシイを鍛え始めたのは。葬式でクラウドの息子を見た時、自分の子供だけ甘やかせられないって思ったんだろうよ。誰もそんなの望んでねえのにな。それからだよ、和江さんとうまくいかなくなったの。和江さんは子供たちまで同じ仕事をさせることに反対していた。それで、離婚だな。だけど結局、子供は2人とも同じ道を選んじまったんだけどな」


 そういう経緯があったのは知らなかったが、楓は両親の離婚後は母親の方についていったため、この仕事をするまで義父である澤村と、義弟である樹の存在を知らなかった。今は復縁して旅行三昧の澤村に、1番安堵しているのはきっと義母の和江だろう。


「クラウドの死んだ後は、澤村家に笑いはなかったらしい。ジバンシイは小さかったからあんまり記憶は無えみたいだが、リトルハンドはその家庭環境を見て育ってきたんだ。笑いがない家族ってのが嫌なんだそうだ。だから、お前が前の仕事で悩み始めた時、敏感に気づいたんだろうよ。たがら、回りくどいようなやり方で、お前を誘ったんだろうよ」


 そんなの知らなかった。俺はあまり家では仕事の話をしないようにしていた。楓に心配かけたくなかったからだ。愚痴を言うような小さな男だと思われたくなかっただけかもしれない。だけど、楓には俺のそんな小さな努力は必要ではなかった。


「だから、いつでも笑って暮らしてたいんだそうだ。あんななってな、気にしてないフリしてプールなんかに遊びに出掛けたけど、本当はお前と同じくらい、いや、それよりも里穂やお前の家族のこと心配して、落ち着かないんだろうよ」


 家族に目を向けていないのは、俺の方じゃないか。俺は男として小さい男で、父親として弱い父親だったと気づき、全身の力が抜けてしまった。呑気にしているのは、ベランダでタバコを吸っている俺だ。


「それにな、お前がこの仕事に向いてるって気づいたの、リトルハンドじゃねえぞ。里穂が言い出したんだよ」


「里穂が?」


「『パパは優しくて強いんだ』ってよ。『だから、パパが一緒に仕事をすれば、たくさんの人を助けられるし、ママのことも守ってくれる』って」


 その真実を聞かされたのが決定打で、俺はなんと恥ずかしい父親なんだと反省するしかない。まだ10歳だった里穂が、そんなことを言っていたなんて。


「だからよぅ。今は反抗期かも知れねえが、里穂だって、お前のこと、ちゃんと良いパパだって今もわかってんだと思うよ。だから、そんなに落ち込むな」


 バシッと肩を叩かれ、全身の力を無くした俺は椅子から転げ落ちそうになった。


「すみません。なんか良い話中に申し訳ないんですけど。新しい依頼がメールで来てるんですけど」


 鼻を押さえたロイホが、片手でノートパソコンを抱えながら、俺たちの話を遮った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る