国民国家の枠組み


 今の世界に広まる国の形態は「国民国家」といいます。一つの国民(または一つの民族)が一つの国を形作るというものです。この概念が作り出されたのは、フランス革命でのことであり、これがヨーロッパ中に広まったのは、ナポレオンが強かったからでした。


 フランス革命中のフランスでは、それまで国をまとめていた貴族制度がなくなって、一つの権力が国民を直接支配する形になりました。それに伴い、領地ごとにばらばらだった度量衡や言語などが、統一されました。

 同時に、住民の方でも愛国心が強まって、我々はフランス国民であるという自覚が生まれました。フランス国民こそがフランス国家を作るのだという強い気持ち(ナショナリズム)が形成されたのです。


 こうしてできた国民国家の概念は、ナポレオンの進出によって急速にヨーロッパ中に輸出されました。ナポレオンが征服した地域の住民の中に、国民国家を作りたいという気持ちが生じたのです。

 これは主に中欧や東欧の地域で、問題を引き起こします。


 ドイツ地域での国民国家とは、「言語の統一」という風に解釈されました。ドイツ語を喋る者がドイツ民族だということになり、その者たちでドイツ国家を作ろうという動きが生まれます。

 この頃のドイツ地域にはドイツ語を喋る国はたくさんありました。これらの国をまとめればドイツ国家が作れます。ドイツ語の整備も進められました。

 ここで論争となったのが、「オーストリアをドイツに含めるかどうか」です。オーストリアの中心地ではドイツ語が使われていましたが、他の地域では他の言語も使われていたのです。この論争は戦争に発展し、結局オーストリアはドイツから除外されました。

 こうして、ドイツ語を喋るドイツ民族の国とされるドイツ国家が作られましたが、ドイツ国家の国境線はドイツ語話者の分布とは一致していませんでした。


 これが東欧になると、更に問題は大きくなります。東欧の言語は地域ごとにグラデーションのように殊更に多彩に展開していて、どの地域が何語、どの地域が何民族、というようにはっきりと区分けができなかったのです。無理に分類したとしても、それぞれの民族はゴチャゴチャと混じり合って分布していて、国境線がうまく引けません。

 では、誰がどこに国家を作ればいいのでしょうか? どの土地がどの民族のもの……いえ、そもそも民族とは何でしょう?

 この問題は、東欧の深刻な領土問題や民族問題に発展しました。特にバルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるようになり、後にバルカン戦争やサラエボ事件などが起きました。ユーゴスラビア問題などもこの延長線上にあります。


 このように国民国家の概念やナショナリズムは、全ての地域に当てはまるものではありませんでした。今でも、言語と民族と国家の関係性は、世界中で議論や争いを生んでいます。

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