ウルバンの寄辺
ゴオルド
第1話 突然の固定資産税のおしらせ
ある9月初めの朝、コンビニに朝食を買いにいくついでに郵便受けを覗くと、役所からの請求書が入っていた。固定資産税を払えと書いてある。固定資産税ってのは、土地を持っている人が支払う税金だ。俺は土地なんか持っていない。これは何かの間違いじゃないかと思った。
しかし、どういうわけか封筒に書かれた宛名も住所も、俺宛てで間違いなかった。
大学はまだ夏休み中だし、バイトもちょうど閑散期だ。
暇だった俺は、朝イチに電話で問い合わせてみることにした。
封筒に書かれた番号は嘘かもしれないので、ネットで調べた役所の番号に掛けた。固定資産税について確認したいことがあると電話口で伝えると、担当の者に変わりますと言われ、しばらく待たされたのち、若い男性職員が電話に出た。
「大変お待たせしました。それで、どういったご用件でしょうか」
「固定資産税を支払うようにとの通知が届いたのですが、何かの間違いではないでしょうか」
両親を早くに亡くし、バイトしながら奨学金で大学に通っている俺は、土地を買うようなゆとりはなかったし、親も土地なんて持っていなかったはずだ。
「その土地の住所を教えていただけますか」
俺は通知書にある地名を読み上げた。
「ああ、そこでしたか。その土地は、あなた、
「一応?」
どういうことだ。そんないい加減な話で税金を請求されてはたまらない。
「ちょっと事情がありまして。鳴沢さんは土地所有者の代表者ってことになっております。というか、こちらにお電話をかけていただいたおかげで、あなたが代表者であることが確定いたしました」
――
役所に電話した翌日、俺は固定資産税を払わそうとしている土地を見てやろうと思い、福岡行きの飛行機に乗っていた。昼過ぎに福岡に着き、そこから先はレンタカーだ。おかげで随分と金を使ってしまった。これで夏の旅行計画はパアだ。だが、久しぶりに父の実家、
レンタカーに初心者マークをぺしっと貼り付け、空港前の一般道に合流した。若葉マークの俺には3車線というだけでも心臓に悪いのだが、このあたりはトラックやタクシーがクラクションを鳴らしながらスピードを上げて車間距離を詰めてくる。慣れないプリウスで突っ込むのは自殺行為に思えた。が、行くしかない。
いつもより慎重に運転し、たまにタクシーからクラクションを鳴らされたりしつつも、どうにかこうにか福岡市内を抜けた。3車線は2車線になった。このあたりは民家やファミレス、コンビニなどが行儀良く並んだ、ごく平凡な生活道路だ。ここまでくれば一安心だ。
そのまま走り抜けて、田畑の広がる地域に差しかかった。田んぼや大豆畑、イチジクやブドウの果樹園、イチゴのビニールハウスの合間に、JAの店舗やうどん屋、コイン精米などがぽつぽつと建っている。色あせた看板のレンタルビデオ屋の前を通ったとき、ショーケースにVSHが飾られているのが見えた。あんなの一体誰が借りに来るんだ。
さらに車を走らせると、やがて山林地帯となり、周囲はうっそうと茂る杉の木ばかりとなった。このあたりは田舎過ぎて、田んぼも果樹園もほとんどない。
運転席から見て右側、道路に沿うようにして小川が流れていたはずだが、草むらに覆われて見えなかった。だが、草むらの上部に空間ができているから、きっと小川はまだあるのだろう。ここは今もまだホタルが見られるのだろうか。きっとまだ見られるに違いない。これだけ手つかずの自然が残っているのだから。
山林を突っ切るように車を走らせていると、急に開けた土地に出た。父の実家、八須見村に入ったのだ。時刻は午後3時を過ぎたあたりだ。
村の入り口にあるガソリンスタンドはとうに廃業しており、立ち入り禁止のロープが寂しげに揺れていた。もし、村でガス欠になったら……。俺は思わず車の燃料を確認した。大丈夫。村に入る前にちゃんと給油してきたし、帰りのガスは十分だ。
八須見村は、大きな道が村の真ん中を通っていて、その道を囲むように家々が軒を連ねていた。この道は古くから旅人が山越えをするのに使う道だそうで、八須見村はその宿場町として発展した集落らしい。が、俺は詳しいことは知らない。俺はここで生まれ育ったわけではなく、お盆や正月に遊びにきていた程度なのだ。
子供の頃、この村には大昔の天皇の墓があると村人から聞いたことがあった。俺はその話を真に受け、学校で先生に伝えたところ、鼻で笑われてしまった。何かの聞き間違いか、それとも俺の勘違いか。いや、確かに村の老人たちは天皇の墓がどこかにあると言っていたはずだ。
家々の背後には田んぼが広がり、黄金色の稲穂が豊かに揺れていた。今は9月だ。幼いころの記憶では、この地域の稲の収穫の時期は過ぎているように思うのだが、どういうわけだろう。そういう品種を植えているのだろうか。
畦には枯れて茶色くなった菜の花やハトムギが伸び放題になっていた。よく見れば農道も草で隠れるほど覆われている。それが一部だけではなく、どこの田もそんな感じで、あまり手入れがされていないようだ。
それも仕方がないのだろう。このあたりも過疎化が進み、今では高齢者しか住んでいないという話だ。村に一つしかない小学校が廃校になったのも、もう10年以上も前のことだ。
八須見村のメインストリートのちょうど真ん中、まるで村の支配者のように建つ郵便局の隣の空き地に俺はプリウスを停めた。ここは伯母の土地なので、俺が駐車することは事前に許可を得ている。
ちなみに伯母にも役所から請求書は行っていたらしいが、無視したとのことだ。
電話で「無視して正解だったわ。面倒なことは祥吾に任せた」と言われてしまった。
俺が車から降りると、小太りで背の低いおじいさんが現われ、
「あんた、どこん子ね」と声をかけてきた。
誰だろうか。正直言って老人の顔は見分けがつかない。
「鳴沢です。鳴沢栄二朗の息子の
「ああ、鳴沢さんね。いやあ、知らん車が入ってきよるけんね、誰やろかーって思ってからくさ。外から人が来るげな滅多にないけん。そうね、鳴沢さんね、はいはい。……さっき栄二朗っち言うた?」
「はい」
「栄二朗っち弟さんやろ? 長男が、何やっけね」
「栄一朗です」
紛らわしいような、わかりやすいような、そんな兄弟名である。父は男2人、女1人の三人兄弟だった。
「ああ、じゃあ、去年に亡くなったんは長男のほうやったかねえ」
「はい……」
父はとうの昔に亡くなった。昨年亡くなったのは伯父の栄一朗のほうだ。俺がここに来ることになったのも、それが関係している。
老人は俺を指さした。
「じゃあ、栄二朗さんの息子さんが継いだんやね。とうとう決心されたと?」
「えっと、何がですか?」
決心って何をだろう?
「家よ、家。あんたが相続したんやろう? もう古かごたあるけんね、改築するなり取り壊すなりしてくれんとさ、まわりも台風のたんびに心配するけん。あんた、今日は家ば見にきたっちゃろ?」
「あー」
俺は家を見上げた。郵便局の目の前、道路を挟んだ先に建つ懐かしい日本家屋こそ、祖父母が生前に住んでいた家であった。ちょっと見ただけでもわかるほどガタが来ている。壁も窓枠もぼろぼろだ。よく見えないが、屋根瓦も何枚かなくなっていないだろうか?
この家に人が住まなくなって、どれだけの月日が流れたのだろう。ずいぶんと荒れてしまっている。
「確かにこれはどうにかしないとダメですね。でも、この家って俺は相続してないんですよ」
「あらまあ」
老人は驚いたようだ。
「じゃあ、この家のことは誰に言ったらいいんやろか」
この家を継いだ栄一朗伯父さんは、妻はいたが離婚していた。子供はいない。そして祖父母もとうの昔に亡くなっており、つまりこの家は法的に一体誰のものなのか、俺も伯母もよく分かっていなかった。
所有者不明とはいえ放置しておくのはまずいだろう。しかし、申し訳ないが、今問題なのはこっちの家ではない。
「家のことは伯母と相談します」
「そうね、そんならよろしく頼みますけん」
そう言うと、老人は畑のほうへと歩いて行った。
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