9、過去の遺物

 ビュウビュウと風切り音がする。全身に当たる風は強く、バランスを取るのも一苦労だ。


「ぎゃああああ! ちょ、おまああああ!? 方向、方向変えられないのお前えええ」

「二回目の展開でできるわけないじゃーーんあっはははははははは!」

 

 操作がおぼつかない。広げれば「なんとなく」やり方は体が動いてくれるけれども、体に思考が追いつかないのだ。従って予想してたより逸れてしまうのだが、逃げられるのならなんだっていいだろう。それよりも二回目の空の旅にテンションが上がっている方が問題だ。

 とっくになくなってしまった異物。かつてアサカの身体があった時代ではハングライダーと名称される滑空機だが、その名前を知っているものは彼女を除きもういない。

 チラリと上に広げられたソレは、テレビで見ていたものより随分小さかった。大きさはアサカの二倍もなく、化学繊維の翼は張りを保ちつつも柔軟性がある素材で作られていた。従来骨組みはカーボンや合金のはずだが、どれらも新品同様だ。経過に比例し劣化する金属ではあり得ないことから、アサカの知識にはない道の素材であると予想された。


「くっそ重いこれを毎日毎日背負った甲斐があったってもんよ……!」

「さっきから風でなにいってるかわかんねーぞ!」


 パックには空気抵抗は存在しないのだろうか、羨ましい存在だ。

 速度が増し地面が近くなれってくると流石に笑いが引っ込んでくる。余計な思考は引っ込めて本能の赴くままに重心を逸らし、体重移動で操作を試みるが、生い茂る大樹を目前に冷や汗と苦笑いの心地だ。

 奥歯を噛みしめながら腹側のベルトに手を伸ばす。ギリギリと食い込む痛みに我慢しながら、木々の合間を縫って地面が見えた瞬間に接続部と外した。

 パチン、と音がして身体とパラグライダーを繋いでいたベルトが一斉に外れた。

 ひぃ、とパックが悲鳴を上げたがしったことではない。

 ベルトを外した時点でビル三階建てくらいの高さがあった。操者を失ったパラグライダーは大樹の幹に激突、アサカ自身は目測通り木々の枝がクッションになったけれど、落下自体は免れない。気絶必須の激突だったが、着地寸前で身体を動かした。ギリギリ足から着地するとすかさず膝を曲げて衝撃を全身に流す。

 頭がひっくり返るような状況でも体が自然に動いているから自分の意志とはほど遠いが、命が助かるならなんだっていい。

 ――ま、無傷ではいかなかったけれど。


「い……」


 むき出しの皮膚の部分にあちこち傷を作っていた。気絶はしなかったものの、肩を押さえながら呻いているとパックがやってくる。途中で吹っ飛ばされて、慌ててアサカを探しに戻ってきたのだった。


「おおお、おまえ、え、どうした大丈夫か? 治そうか?」

「み右肩、だ、脱臼……脱臼した……いたい……わたし、痛いのは嫌いなのに……!」


 パラグライダーを展開した瞬間は無事だったが、着地に少しミスを犯した。足を守り抜くことに集中するあまり、上半身の守りが疎かになったのだ。いい歳した大人が半べそをかきながらよろよろと立ち上がる。


「え、えっと、それどうやったら治るんだ……オレじゃ治せないか?」

「切り傷とかじゃないから……ちょっとまって、多分、戻せるから……」

「治すって、え、肩変な風にだらんって……」

「いいから、ちょっと待ってて……」


 脂汗が酷いのにマスクが外せないのは最悪だ。どうせ体が少し頑丈なら痛みに強くてもよかったろうに、痛いものは痛いし耐えきれない。

 近くの木に肩を押し当てる。いまからやることは見よう見まねの荒療治だから本当はやりたくない。しかし肩が外れたままでは何処にも行けない。覚悟を決めると肩から何度も幹にぶつかった。慌てるパックの声に応える余裕もなく、ドン、ドンと押し当てる。

 やがて肩が嵌まったが、脳を揺らす一瞬の衝撃と、やがて襲う安堵に足から崩れ落ちる。


「は、はまった……」


 たまらずその場に寝転んだ。ゴツゴツした地面でも構うものか、緊張の連続が続いていまややっと人心地つけるのだ。

 ぼうっと揺れる梢を見つめ汗が引くのを待っていた。やがて襲来するのは眠気だが、ここで眠りこけるほど無防備ではいられない。のそりと上体を起こし、腹から息を吐いた。


「パック……ここ、獣いる?」

「……近くにはいないんじゃねえかなぁ」


 野宿の基本は安全確保が最優先だ。狼など出現しては目も当てられない。

 パックの言葉に一安心できたが、それだけでは終われない。すっかり軽くなってしまった背中にがっくり肩を落とす。


「荷物……どんだけ残った?」

「財布は上着の内ポケット。水筒も無事。最低限の小物は……マスクの予備含めて腰バッグ。それ以外は見ての通り」


 パラグライダーの展開と同時に、鞄に詰めていた荷が散らばった。おかげで


「お前は見てないだろうけど、派手に散らばってたからなぁ……。着替えに寝床にコップに食料……全部吹っ飛んだぞ」

「あああ私の財産が……」

「そんなにショックなら別々にしときゃよかったのに」

「一つにしないと持ち運びできなかったんだからしょうがないでしょぉ……。地理がない私が山で迷ったとき、抜け出すための手段だったんだからさぁ」


 結局パックが同行してくれるから大自然に翻弄されることは少ないが、もし峰の高い山や切り立った崖で迷ってしまった時用に取って置いたものだ。これがアサカの知ってる二本の山々であれば使用する機会なんてヘリにでも乗らない限り訪れないが、残念ながら現在の世界。高所の切り立った崖や峰がたくさん存在する。地形、植物、湿度的にここは日本があった場所ではなさそうだとまで見当を付けていた。


「それに元々が背嚢兼って感じだから、使うときは荷物取り出して装着して……って使い方だと思うのよ」

「なんでそんな使い方してるんだ?」

「……知らない。想像だけで言っていいなら、最小限の荷物でさっとどこにでもいけるようにする必要があったからとか?」


 元のアサカが意識を失った後、おそらくは未来の人であろう人類の考えや、技術が何処まで発展していたかは全く不明だ。

 過去に思いを馳せてもよかったが、逃れられない現実が目の前にある。たったいまほとんどの財産を失ったアサカはほぼ無一文。失った荷物を取り戻すのに、いちいち森の中を彷徨うのは現実的ではない。マスクの下の素顔が覗けるなら絶望的な顔をしたに違いない彼女に代わり、パックが言った。


「木の実でよければ食料や火起こしはオレがどうにかしてやれるけど、物が揃って……怪しまれずにすんで……そんで近そうなところっつったら都しかねーぞ」

「どうにかして前の国に戻れないかな……」

「ばっかお前どうせ戻らないからって派手に遺跡潜ったばっかじゃん。目撃証言出てるのにその目立つ頭で国境越える想像してみろ」

「……首が飛ぶか」


 心底嫌そうに腕を組んだ。見ない振りをして上を見上げたら、目印にしたそびえる大樹の枝に黒色のパラグライダーが引っかかっている。もし追っ手がかかるとしたらアレはすぐに見つかるだろう。ここでのんびり考えている時間はないのだった。


「せっかく逃げ切ったんだもんなぁ……。しょうがない、下手に追いかけられてたら嫌だし、どっかで馬車捕まえて都に行くかな」

「……こんな田舎に馬車って走ってるのか?」

「街道見つけ出して賭けるしかない。そんで連中が戻る前に買うもの買って、とっとと退散するのがいいんじゃないかな。……逃げた私たちが都に向かったと思わないでいてくれる方に期待するしかない」

「じゃあ宿のふかふか布団は?」


 無言で硬貨の入った袋を逆さにしてみせた。

 これから馬車拾ってもらい、乗せてもらう代わりの運賃を渡し、必要最低限の荷物を揃えるだけでも残金はゼロに近くなる。

 パックも妖精といえど、アサカを通じ少しは世俗を学んだ。およその世界で金がなければヒトは生活できないと知っている。


「途中でいい薬草があったら教えてやるよ。売りつければ高くなるだろ」

「うん……」

「元気だせよー。あんな連中に玩具にされるよりよかったじゃんか」

「……あいつ気持ち悪かったぁ」

「わかるわかる。さすがに服を脱げはねーわ」


 アサカは普段から強気に振る舞うも、これで打たれ弱く、後悔しやすく、そして落ち込みやすい。とぼとぼと歩き出す傍らでピカピカ、プカプカ浮かぶ妖精はつとめて明るく振る舞った。

 まったく面倒くさいヤツだぜ、と優越感に浸るのは置いておいても……。

 妖精がヒト相手にこんな『気を使う』なんてのも大変珍しいのだとは、パック自身も気付いていないのだった。

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