5、妖精というもの

 そう、妖精はこんな見た目でもヒトにとっては驚異なのだ。。

 彼女はパック以外の妖精を知っているが、妖精郷でしばらく暮らしたことのあるアサカだって身の危険を感じたことは数え切れないくらいある。無事だったのは運がよかったことと、なによりパックとパックの「じっちゃん」の庇護下にあったからだ。


「ほんと、こいつらってろくでもないんだよなあ」


 内心でひとりごちながら、苦々しい気持ちで約束を破らされた親子を思いだした。

 アサカの滞在中、ほんの偶然からとある親子が妖精郷に迷い込んだ。親子は争いで故郷を亡くした、いわゆる戦争難民だ。妖精郷は物珍しさから親子等の一時滞在を許した。酷く痩せた彼らを放逐するほど鬼ではないのである。

 ここまではいい。だが問題はここからだ。

 妖精郷の妖精達は子を良き遊び相手とした。逆も然りだ。両親達も妖精等の機嫌を損ねるわけにはいかないと彼らの手助けをしたのだけれど、それがいけなかった。


『彼らが出て行ってしまうのは悲しいわ』

『あの子達もここに住めたらって言ってたもの。妖精郷には飢えがない、食べ物もたくさんある。争いとは無縁の素晴らしい世界だって』

『でも長様が駄目だって』

『悲しいわ』

『悲しいわ、悲しいわ』

『ねえそうだ、いいことを思いついた。ヒトの形をしているからだめなの、ヒトじゃなくなればいいのだわ!』

『わあ! それってとっても素敵な案だわ!』

『そうしましょう、そうしましょう。それならみんな喜ぶわ』

『石にする? 木にする? それともお花? ああ、水に溶かして一緒に揺蕩うのもいいわね』

 

 結局彼らは木に変えられて、いまもそのままの状態で妖精や鳥たちの宿り木として残っている。聞く限り意識も残っているようだが、それがヒトとしての自我なのかは定かではない。なにが言いたいのかというと、妖精郷はそんなのばかりという話である。

 止めなかったのかと問われたら、イエスだ。口出しして『じゃあ貴女が代わりに遊んでちょうだい』と言われるのは目に見えているし、その時までは本当に草木に代えるなんて思ってもいなかった。

 ――まあ、ここは妖精郷ではないしパック一匹だけだからさほど害はない。

 基本的に、パックの姿はアサカにしか見えない。それはパックという妖精が幼く弱いゆえに、妖精郷でしか姿を維持できないためだ。

 それがなぜか、あの場面で突然力を取り戻した。ミ・アンが毒の空気の中で呼吸できるよう加護を与えたのである。おかげで助かったとはいえ、原因が不明というのはどうにも気持ちが悪い。

 反面パックは大変ご機嫌である。

 こいつ浮かれているな、と人さし指で小さな妖精を弾いたが、パックは気持ち悪い笑い声を上げながら飛ぶばかり。ヒトによっては「美しい」と感じるかも知れないが、アサカにとっては虫のようで若干目障りだ。


「そういえばアサカ、お前逃げるときに矢が当たってたろ」

「え!? あ、アサカさん大丈夫なの」

「すぐに直るから平気。……こっちはいいから気にしないで。あとパック、あんまり上の方を飛ばないで、光って目立つ」

「へーい」

 

 パックが地面に座ると、離脱時に痛めた左腕の感触を確かめるように、拳を開いたり握ったりと繰り返す。矢は腕に当たっていたが、服を破っただけで彼女自身に傷はない。破れた箇所から鈍い銀色が露出していたが、幸いミ・アンからは死角になっていて気付かなかったようだ。左太腿に作られた小さなポケットから包帯を取り出し、服の上から丁寧に巻いていく。その間にもパックは話し出していた。

 

「アサカはな、ちょっとおかしな体質で、毒の空気以外の場所じゃまともに息ができねえんだ」


 ミ・アンが息をのんだことがわかる。少年には到底信じがたい話だ。

 いや、少年どころか、この世界に住む人々の大半にとって、あり得ない話だろうか。


「えと、それはどうして……」

「そこは流石に言えねえ。というか聞くな、知ったら坊主の母ちゃんもまともな生活ができなくなる」

「え、あ、うん」

「ともあれそういうわけなんだ。鉄の遺跡にはアサカが身につけてる被り物が転がってる、そいつから部品を頂戴して、身につける。そうして毒の空気を吸えるようにするのさ」

「え、え、え? で、でもさ、鉄の遺跡ってすごく昔の建物じゃん。そんな昔のものが使えるの?」

「だよなあ、坊主の意見ももっともだ」


 パックはしたり顔で鼻を膨らませているが、対してアサカの視線は冷ややかだ。ミ・アンが協力的であること、そして妖精の「対価」だから口出ししていないだけで、自分のことをぺらぺら話されて気分がいいわけない。まあ、このお調子者にしては、話す内容をかなり選別しているのだけれど。

 

「鉄の遺跡があった時代は、いまよりずっと文明が進んでいたのさ。あの遺跡が放棄されてからどのくらい経ってるかはしらねえけど、それでも、今でも生き続けてるのが確かにいるんだよ」

「生き続けてるって、ただの鉄なのに……」

「はは。不思議なことに、鉄にも意志があるのさ。オレは鉄の遺跡と話をしたことがあるから間違いねえ」


 自慢げに胸を反らすパックに対し、アサカはひっそりため息を吐く。生きているのではなく稼働だと言い直すのは野暮だろうか、話をしたと言ってならない相手は施設の人工知能。いわゆるAIである。


「ああ、でもこの世界基準なら間違ってはいないか」

 

 そもそも、彼女とてあの遺跡に詳しいわけではない。

 左腕に巻いた包帯。その下にあるはずの皮膚は硬く冷たいのだが、これがどういう金属でできているのか、そして鉄の遺跡と呼称されている施設を作った人々が、なんの意図を持って彼女にこれを取り付け、姿形を弄り、長い間眠らせたのか、アサカという人間はなにも知らないのである。

 パックが饒舌になる一方で過去を思い出した。

 大体、だ。彼女は元々ただの一般人なのだ。 

 名前も「アサカ」なんて名前ではない。

 目覚めた当初、名前がないことに困ったパックが「朝方に見つけたらアサガタ」と名付けかけたところ、あんまりなネーミングセンスに「アサカ」と決めたのである。

 アサカの記憶に間違いがないのなら、彼女が生きていた時代は多少不穏であったが、平和を享受するには問題ない時代である。西暦もまだ二千年代前半、人口AIも研究途中であったとニュースで言っていたし、優れた化学文明を名乗るには時間を必要としていただろう。アサカという人間は平々凡々な「日本人女性」であり、争いとはほど遠い生活を送っていた。

 ただ、世界では第三次世界大戦が勃発したあたりだっただろうか。日本は多少不景気でもましなほうで、ともかく世界は滅茶苦茶。ネットでは戦争の悲惨な話で溢れていた。所詮遠い国の話だったから「怖いね」なんて話で終わっていた記憶ではあるのだが。

 それがある日、突然鳴り響いた警報で終わりを告げた。

 家族と暮らしていた彼女は、ある日の深夜に何がなんだかわからないまま、自衛隊の誘導に従って近所の公民館に移動した。台風でも地震でもなかった、非難してきた人たちは皆が不安に顔を曇らせていたと記憶している。

 公民館の中に自衛隊の人がいないと誰かが言ったときだ。

 突然眠たくなった。

 周りの人がバタバタと倒れていく。彼女や彼女の家族も例外ではなく、家族の上に倒れるように意識を失った。

 目を覚ましたら、目の前にこの、映画やデームでよく見かけるファンタジー生物だ。

 よくある物語的にはコボルト族と妖精が一緒になって話しているわけだが、一度パックにコボルト族を知ってるかと問うたところ「コボ……それなんだ?」と首を傾げられたのである。絶妙にショックだったのをいまでも覚えている。


「……やっぱ非現実だよなぁ」

「んあ、なんかいったか、アサカ」

「なんでもない」


 いつの間にか妖精郷の話に移っている非現実の塊達と眺めながら、ほう、と息を吐く。

 先ほど姿形を弄られたと述べたが、そのままである。

 彼女は顔立ちも随分変わっていた。

 左腕は肩から先が鈍い銀に輝く金属製、純日本人だった面影は半分程度しか残っていない。西洋人とのハーフのような顔立ちに変じていたし、体力及び運動神経も格段に向上している。

 随分、困った。

 目覚めたのは妖精郷にあった旧い「鉄の遺跡」のとある一角だ。どういうわけか「妖精」と名乗る彼らとの認識の共有は図れたものの、それ以外の共用語がまったくわからない。日本語・英語とも違う未知の言語を学びながらどうにか理解できたのは、どうやら彼女の知っていた文明は滅んだらしいということだけだ。

 アサカが目覚める直前まではAIも生きていたらしいが、目覚め以降は電源が落ちたらしく回復不可能。遺跡は完全に沈黙したのである。

 アサカと同じように、たくさんのカプセル型の意図不明な装置と、その中で枯れ果てた「人間」はいくつも見た。カプセルに貼り付けられていたネームを読み取るに、人種は様々だったと考えられる。日本人はアサカのみだったようで、遺跡には彼女の家族はいなかった。

 結局、収穫らしい収穫は得られなかったのである。 


 だからわかることといえば、彼女の知る戦争とは違う、もっと大きな戦争があったのだろうということだけ。

 

 少なくともアサカの記憶では、まったくの手入れなしで拒否反応も発生せず、ある程度の傷なら自動修復してしまうような流動金属の腕が実現されたニュースなど見たことがない。

 次に、鉄の遺跡では必ずと言っていいほど戦いの痕跡が残っている。先の村付近にたくさんの遺骸が残っていたが、あれは元々施設に詰めていた人々だけではなく「何か」から施設を守るか、或いは戦っていた軍人がいたのだ。アサカが鉄の遺跡に入るのは、彼らが身につけていたマスクの呼吸器具が欲しいためである。

 どういうわけか、大半の軍人がマスクを身につけているのだ。部品を交換するだけで大分保ってくれるから助かるけれど、外で亡くなった遺骸のものは劣化が酷すぎて使い物にならない。

 理屈はわからないが、この世界で、彼らが「毒の空気」と呼んでならない中でしかアサカはまともに呼吸ができない。多少は活動できるけれど、たちまち意識が朦朧として血を吐き出すから、ここは非常に生き辛い。


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