4、逃亡の最中

 道が整備されていない山の中は、一言で表すなら最悪だ

 大小不揃いの石があちこち転がっているし、飛び出した木の根っこに気をつけなければならない。目を配っていてもぼうぼうに生えた雑草が視界を遮るし、おまけに飛び出した枝が服に引っかかる。逃げることを優先したアサカは衣類に頓着せず進むものだから、引っぱられるばかりのミ・アンはたまったものではない。


「アサカさん、前に進むのならもう少し右に行って。足場がましになるから」

「ありがたいけど、追っ手が来ない方が優先だから」

「村に住んでるヒトなら知ってる道だけど、不安なら途中から別の道を教えてあげる」


 アサカは逡巡する素振りを見せたが、背中を押したのはミ・アンの肩に立った小さな妖精だ。

 

「従えよ、アサカ。無理に加護を与えたんだぞ。長く保たないし、お前ひとりじゃ逃げ切れないぞ」

「…………わかった。ミ・アン、誘導してもらえる?」

「ついてきて」

「坊主、アサカは驚くほどによわっちくて体力がないんだ。足腰の弱いじーさんばーさんを連れて行くくらいの気持ちで進んでくれ」

「あ、うん、それはなんとなくわかってた」


 まだ走り出して間もないというのに、既にアサカの息が上がりつつあることに少年は気付いていた。だというのに、このヒトは少年を気にかけるのである。


「ミ・アン、君はひとりで家に、帰れる?」

「この辺の山はよく知ってる。毒の空気があちこちあるけど、帰れないってことはないから安心して」

「わかった。……正直、助かるよ」


 ミ・アンを連れ去ったのはアサカのくせに妙な心配をするものだ。悪いヒトを自称するには妙だな、なんて思いながらアサカと小さな妖精の前に立つ。

 実を言えば、いままで遭遇したことのない出来事に、少しだけ胸が高鳴っているのだということは秘密である。

 さらにいえばこの場においての優位性は己にあるのだ。本能的にそれを嗅ぎ取っていたミ・アンはいささか強気である。


「ねえ、俺しか知らない安全な道を教えてあげるから、妖精のことを教えてよ」

「…………交換条件というわけだね。いいよ」


 そんなつもりはなかったけれど、アサカが納得してくれるならそれで良い。

 アサカを気遣って道を選んだミ・アンだが、彼女の体力のなさには改めて驚かされた。彼女の身体能力といったら、重病人か、或いはひどく体力の衰えた老人のものだろう。耳長でもここまでとろいヒトは滅多にいない。おかげで道を探すのに余裕が生まれたが……。


「うわあ、信じられない。毒の空気の中を歩けるなんて思ってもみなかった」

 

 毒の空気の中を歩くのは少し不思議な気分だった。小さな妖精はミ・アンの目の前にふわりと立ちはだかる。森の奥深くに隠れて住むといわれる妖精だが、目の前のそれは体躯こそ小さく、身長も獣人の手のひらほどしかない。短い髪とくりっとした大きな瞳は薄緑色だけれど、虹のように色を変えて星のようにきらきら輝いていた。蝶の羽からは絶え間なく光が零れ、宙に溶けて消えていく。


「坊主、すまないがそろそろ毒の空気を抜けてもらえるか。じゃないとお前の命の保証ができない」

「え」

「加護っていったろ? お前が毒の中でも平気なように、トクベツに力を使ってるんだよ。だけど、オレだって万能じゃないからな。もうすぐ効果も切れちまう。アサカとオレは平気だけどな?」


 慌てて進路を変えるミ・アンである。山を歩くのに必死なアサカが「そういえば」と苦しげな声を上げた。

 

「パック、あんたなんで普通に見えるようになってるの」

「知らねっ」


 くるんと宙返りする様はやんちゃな童そのものだ。パックと呼ばれる妖精は、耳長でいえば幼い子供くらいの外見だった。


「……そういえば妖精って、見えるヒトは限定されるんだよね」


 心の綺麗なヒトにしか見えなかったはずだと覚えている。まさか自分が、と目を見開く少年だが、アサカは少年の期待を容易く裏切った。


「確かに君のいった条件も当てはまるけど、それ以前にこいつらは気に入った者、興味があるものの前にも姿を見せる」

「え? なら……」

「要は遊べそうな玩具だね」


 玩具よばわりにミ・アンが肩を落とし、パックは頬を膨らませる。アサカの発言が納得できなかったらしい。


「しっつれいなこと言いやがるぜ。他の連中と一緒にするなよ、オレは純粋に子供が好きなの!」

「その話はまた今度。どうせ平行線だもの」

 

 アサカは体力を温存したのか、口数も少なめだ。危険な箇所を避け、ひたすら歩き通して向かったのは、ミ・アンの亡き父が狩り場としていた場所だ。父は動物の皮をなめすのが主な仕事だったが、狩りも時折行っていた。他の仲間には教えていない場所も、いくつかミ・アンは知っている。

 しかしアサカは山の麓側を目指したようだが、それで良いのだろうかという疑問はある。状況的に、アサカは追われる立場になるのだ。頂上側は逃げ場がなくなるのではないだろうか、という疑問があるのだが、これについてはパックが問題ないと肯定した。


「こいつの足じゃどう頑張ったって連中から逃げるなんて無理だからな。せいぜいこの毒を利用して引っかき回して、隙を見て逃げるしかないんだよ」

「妖精がいるのに?」

「坊主、妖精は万能じゃないんだぜ。せいぜいちょーっと遊ぶくらいが関の山なのさ」


 アサカが黙りこくっているからパックは暇なのだろう。お喋り好きな性格らしく、ミ・アンにせわしなくはなしかける。少年も物語でしか見聞きしたことのない妖精と会えたことが嬉しくて、つい話に乗っていた。


「でもさ、都の妖精は他のヒトと同じくらいの大きさで、もっとすごいことができるって本にあった。」

「都にいるのはもう妖精じゃなくて精霊だな。あそこまでいくとほとんど別物さ、殆どヒトに近い考え方を持つからな」

「精霊?」

「妖精よりずーっと力のある無節操なやつらって思っとけばいいさ」

「……でも、同郷なんじゃないの?」

「さてな。オレたちにも色々あるのさ」

 

 パックは精霊が好きではないのだろうか。鼻を鳴らす姿は少年を小馬鹿にしているようでもあるのだが、すかさず口を挟んだのはアサカだ。


「や、パックも詳しく知らないんだよ。こいつだって妖精郷じゃ子供の部類だからね、大人達ほど外の世界を見ているわけでも、教えてもらってるわけでもない」

「おまっ、アサカ!!」

「知ったかぶりするからだばーーか」


 そしてこの一人と一匹は、きっと、すごく仲がいいのだろう。疲れていても妖精を揶揄うことに余念がなかったが、彼女はまたすぐに黙り込んだ。パックも張り合いがなかったのか、すぐさまミ・アンに向き合うのである。


「余計な口ばっかり増えやがって。……それより、おい。抵抗せずにこいつに協力してくれてありがとうな」

「え?」

「あの状況だよ。アサカだけだと絶対抜けられなかったんだ。ホントは一旦捕まってもらって、そっから抜け出す算段してたくらいだからな。ほら、オレって見た目通り愛らしい妖精だからあいつらを出し抜くのはできないし」


 算段、というけれど、二人はそんな話をしていただろうか。内心首を傾げるミ・アンである。

 

「はぁ。ええと、俺は当たり前のことをしただけだけど……」

「都のやつを騙ったヒトに協力するのは当たり前のことじゃないぞぅ」

「……あ、それもそうだね。ねえパック……さん」

「パックでいい。さん付けなんてむず痒くて仕方ねぇや」


 足の重いアサカを完全に無視しながらパックは続ける。ミ・アンは多少なりとも彼女が気になるようだが、肝心の本人が気にするなといわんばかりに片手を振るから、躊躇いながらも疑問を口にした。


「二人とも、なんで都のヒトを騙ってまで遺跡に入ったのさ」


 疑問はたくさんあるけれど、何よりも聞きたいのはこれだ。


「気になるか?」

「そりゃ気になるよ。だって鉄の遺跡って毒の空気だらけじゃないか」


 皆、近寄ればたちどころに具合を悪くする。長期にわたって留まり続ければ死に至ることは、村の者だけでなく旅する商人や、果てはどんな子供だって教えられるのだ。それにあの遺跡が爆発したように、鉄の遺跡は危険に溢れている。なぜアサカは無事でいられるのか、あの弓をもっていた女のヒトが言っていたことが本当なら、アサカの被り物は鉄の遺跡に埋もれていた出土品である。

 パックはゆらゆらと上下移動を繰り返しながら、悩ましげな声をあげて唸り続けた。


「そうだなー。なーアサカ、坊主には巻き込んだ上に誘拐しちまって、挙げ句に道案内を頼んだ恩がある。対価を支払わなきゃならないが、どうする」


 マスクの奥でコーッと長い息が流れ、ざくざくと雑草を踏み抜く音だけがあたりに響いた。少年はアサカの出方を窺っていたが、やがて「少しならいい」と呟いた。


「全ては話せないから、詮索はしないで」

「世の中には知らん方がいいこともあるってさ。おお、こうして考えるとオレたちに恩を売れてよかったじゃないか坊主」


 訊いてはみたものの、無理強いしたいわけではない。パックの物言いに若干引っかかりを覚えながら少年は頷いた。


「妖精は人の心の機微に疎いし、基本自分勝手で上から目線だから無礼だ。気にしないことだね」

「だからぁ、アサカは失礼だな! オレは里じゃ変わり者っていわれるくらい、ヒトにシンセツなんだからな!」

「変わり者なのは嫌でもしってる。……少し、落ち着けるところで休もう」

「あ。この先、屋根はないけど、休めるところならあるよ」


 少年の胸のわだかまりを見抜いたのは、アサカも覚えがあるからなのだろうか。

 ミ・アンが案内したのは、亡き父に教えてもらった小さな休憩所だ。とはいってもあたりは野ざらしで、休憩所と言われても首を傾げたくなるだろう。ミ・アンが下方を指さすと、パックがなるほどなあ、と顎を撫でた。

 

「落ちたら怪我は必須だが、見晴らしがいい。おまけに草木が邪魔で、向こう側からは見えにくい」

「そう。ここはね、獲物を見つけやすい位置なんだって父さんが言ってた」

 

 ミ・アンが枯れ草に腕を突っ込むと、大量の枯れ草の束が持ち上がるのだが、その中にはこんもりと盛り上がった岩がある。さらにその上には大きな葉っぱと獣の皮にくるまれた包みが隠されていた。


「父さんの簡易寝泊まり道具。まだ残ってるって事は、村の大人も、ここのことは知らないんだと思う」


 獣の毛が残ったなめし皮を地面に敷き、アサカと並ぶように座る。彼女の荷物はずっしり重く、いったい何が入っているのか不思議でならない。


「急いで逃げなきゃいけないのに、荷物は捨てないんだね」

「これがないと、私は旅すらできないから」

 

 声音だけでも疲れているのが見て取れる。水袋から水を分けてもらったミ・アンだが、アサカの水の飲み方には驚かされた。彼女はこんなときでも顔を覆う被り物を外そうとしない。水袋に細長い鉄の棒を差し込むと、口元の締め付けを緩め、隙間に鉄の棒を入れ込んだ。中が空洞になっているのか、器用に水を吸い上げるのである。


「こんなときでも脱がないんだね」

「脱げねーからな」


 いつの間にか少年の肩に座っていたパックである。獣人の毛並みを楽しむように頬毛を引っぱり、撫ですさりながら、無邪気に足を動かしていた。


「坊主、なんでアサカが鉄の遺跡に入るかって質問だったよな」

「う、うん」

「ああ、でも聞くのはいいけど、これはあくまで協力への対価だ。他の奴に話されるのはすごーく困る」

「言わないよ、秘密にする」

「絶対か?」

「絶対だよ」

「じゃあ約束な。妖精との約束を破ったら、怖いことになるからな!」

「どんな風に?」


 ミ・アンが知る妖精の物語では、かつて妖精と約束を交わし、風のように素早い足を手に入れた獣人の話が有名だ。

 妖精の力で獣の王とまで名を馳せた獣人だが、いつしか驕った彼は、よりによって妖精の秘宝を盗んだことで妖精の怒りを買ってしまった。獣人は宴会の最中突如姿を消してしまうのだが、なんと彼を憎む者達のど真ん中に放り込まれ、四肢をもがれ死んでしまった、というのが物語の結末である。

 パックは一通り考え込んだ後、ぱっと表情を輝かせた。


「そうだなぁ。オレは優しいし、季節三つが移ろうまで黙ってたらで勘弁してやるよ。でもな、約束を破ったら坊主は鳥になっちまうから気をつけろよ」

「と、鳥!?」

「あー……ミ・アン、さっきはパックを子供と言ったけど妖精の約束は絶対だから、興味本位程度ならやめておいた方がいいと思うよ」

「い、いや、いいよ。喋らないもん」


 妖精が約束を持ちかけるとき、この手の内容に偽りはないことをアサカは知っている。三つの季節が過ぎるまでというなら、時期を過ぎてしまえば無効だが……。恐ろしいのは、パックは本気でこの取り決めを「優しい」と感じており、事実その通りだという点ではないだろうか。

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