2、鉄の遺跡

「壮観」


 山道を登ったせいで息切れが激しい。マスクの中が汗で蒸れていく様をじわじわ体感しながら、アサカと名乗った女は言った。村に来たときと同じの装備に荷物である。彼女の眼下には、先日ミ・アンに案内された遺跡がぽっかりと大穴を開けている。

 不思議なことに、一つの光の球がアサカの回りを飛び回っている。落ちたかと思えば上昇し、ぐるぐる廻って動くのだ。アサカはそれを一瞥すると「わかってる」と頷いたのである。

 

「わかってるよ、彼らは人がよすぎる。騙すのは忍びないけど、ここらで酸素を補充しとかなきゃ私が死ぬんだから仕方ない」


 光は高速で飛び回る。その動きは何か意志を持っているようだが、一帯に声は聞こえない。アサカは首を横に振った。


「そうだね、ここら辺ぐらいなら少しはマスクなしでも活動できる。でも少しでも逸れたら…………わかるでしょ、ここらは空気が綺麗すぎる。私みたいな生態ピラミッド最下層の人間なんて、数時間であの世行きなんだから……え? 生態ピラミッドとはなにか?」


 あたかも目に見えない誰かと会話しているようだ。

 重苦しいため息と共に点を見上げる。空は、昨日の天気が嘘のように晴れ上がっており、憎らしいまでに快晴だ。


「……それは説明したら長くなるし、大体私もまだこの世界のピラミッド型はわかんないから今度。…………ずるくないし誤魔化してない! ほら行くよ」

 

 重量の関係から荷物は一旦その場に置いていくしかなかった。縄を木に括り付けると、穴の裂け目で縄がちぎれないように工夫しながら降りていく。穴は三メートル程の深さだろう。中に灯りはなく、また視界も利かないが、彼女のまわりを飛んでいた光球が強く発光したから困ることはない。


「パック、この辺の空気はどう」


 光球に話しかけると一拍おいて、ふむ、と腕を組む。フードをとり、顔を覆っていたマスクを外すと、そこにあったのは当然だが女性の顔だ。肌はやや白め、黒髪に幼い顔立ちで、アーモンド型の瞳が特徴的だ。さほど悪くない顔立ちだとアサカは思うが、なにぶん、自身にとっては馴染みの薄い顔なので感慨深くなることはない。村の住民が「毒の空気」と言ってならない場所だが、アサカに害をもたらすことはないようだ。それどころか、マスクを外せた喜びに頬を緩ませている。ポーチから小さめのタオルを取り出すと、腰にぶら下げていた水筒でタオルを濡らすのだ。顔や首元を念入りに拭き上げ、ほう、気の抜けたため息を吐く。


「……さっぱりした」


 光球が数回発光し、アサカは軽く肩をすくめる。


「いくら灯りがあっても、目が慣れないと探索しようがないの。こんなところで転んで怪我したら、破傷風待ったなしなんだから」


 瞼の開閉を繰り返し、暗闇に目が慣れたところで歩を進める。所々足場は悪いが、歩けないほどではない。爆発でできたという裂け目に突進でもしない限り、大怪我を負うことはなさそうだ。アサカが降りた場所は通路になっており、途中途中には個室に繋がっているとおぼしき、横開きの扉もある。だがどれも取っ手はついておらず、試しに蹴ってみてもびくともしない。


「電気は通ってない。……残念」


 落胆気味の独り言を呟きながら探索を続けが、光球に向かって説明をはじめる。


「いや、状態がいいなと思って。ここさ、これまで出土してなかったんでしょ。ガスに引火したんだとしたら、つい最近まで稼働してたんじゃない?」


 手の甲で壁を叩けば、無機質な音が反響する。獣人達は鉄の遺跡と呼んでいるが、厳密には鉄とは違う物質であることを彼女は知っていた。

 

「探索する時間はないよ、連中に見つかったら厄介なことになるし、取るもの取っておいとましよ」

 

 いくらか道を進んでみたところ、地下へ続いていると思しき階段を発見したが、階下は水が浸透しており、とてもではないが行けそうにないと舌打ちをした。途中でひときわ大きな扉を発見すると、胡散臭げに扉を見上げ、開かないことを確認すると別室に移動するのである。

 遺跡としては驚くべき保存状態を保っているのだろう。崩れもせず、何百年もその場にあり続けた机の上には埃が積もっているが、ぽつんと置かれたマグカップは持ち主を失って久しく、様々な金属の塊や、かつて本の体裁を保っていたであろう紙の塊が置かれている。アサカの足音だけが一帯に響く以外は、どこかに通じているのであろう空気の音だけが微かに響き、奇妙な寂しさを醸し出している。

 ある一角では所々に机と寝台が設置されていた。寝台の上には、かつて人の形を保っていたであろう骸が所々に転がっている。アサカはそれら一つ一つを丁寧に調べ上げ、やがてある遺体の手首に身につけていた、平たい腕輪を取り外した。右の手袋を外すと自身が装着したのだが、途端にそれが青白く発光する。


「この人の識別タグは生きてる。さっきの大きな扉が試せるかもしれないし、戻ろう」


 道を引き返し、大扉の前に戻ると扉の脇にある壁を調べはじめた。手のひら程度の穴にレンズが埋まった箇所に腕をかざすと、そこから緑色の光が飛び出し、腕輪と反応して電子機械音を鳴らしていく。

 彼女の様子を窺っていた光球がピカピカ光ると、アサカはなんでもないように答える。


「いや、わかってたわけじゃなくて、大きな施設だから電気系統も別なんじゃないかって思っただけ」


 知っていたらこんな苦労しないとぼやく間に、プシュ、と空気の抜ける音がする。人が歩くぐらいの速度で扉が開くと、奥の光景がアサカの瞳に映りだした。光球に頼らなくて済んだのは、大扉の中は様々な光に溢れていたからだ。入ってすぐ横にカウンターと思しき机、中央には噴水と思しき建造物があったが、それらに埋め込まれた電子の光が一帯を照らしていたのである。

 中央付近では倒された机や土嚢が積まれており、すぐ傍には人型の黒い塊が転がっている。どれもこれもが全身を黒光りした固いスーツに覆われているが、中にはヘルメットが外れているものもある。皮や肉がすっかり腐り落ちた骸骨が黒い穴から虚空を見つめているようで、いまにも動き出しそうだったけれど、彼女は意にも介さない。

 亡骸は五体満足の者の方が少ないだろう、頸部や足がないものもざらだった。アサカは彼らには目もくれずに辺りを見回すと、端の方で壁に背を預け、丸まるようになっている残骸に目をつけた。それは彼女が身につけていたのと同じようなマスクを被っていたのだが、遺体の頭部からマスクを取り外すと、口元に当たる部分を回転させ、一つの部品を取り出しだ。


「まだ残量があるはず」


 それを腰ポケットに放り込み、同じようにマスクを身につけている残骸の片っ端から強奪していく。一通り作業を終えると、全体に向かって両手を合わせ頭を下げた。

 退散しようとしたところで、光球がある亡骸から離れないことに気付いた。


「なに、どうしたの」


 近寄ると、両手を握りしめ、祈るような形で亡くなっている遺骸に目を向けた。それは周囲の遺体とは違って一切武装をしていない、布の残骸からして白衣であろうと憶測した。


「……さっきの部屋にあったのとは違うな、研究員とか?」


 懐に手を突っ込むと、死体という事実にも臆さず所持品を漁りだす。掴みだしたのは手のひら程度の長方形の箱だが、継ぎ目一つ見当たらなかった。

 首を傾げて考え込んだアサカだが、答えは早かった。遺体の右手を持ち上げると、手首に身につけていた腕輪をかざしたのである。すると真っ平らだった箱に継ぎ目が浮き出し、瞬く間に箱が開いた。


「なにこれ」


 中には人さし指くらいの大きさの、赤い塊が収まっていた。一見宝石のようだが、材質としてはつるりとしており、色も鮮血を溶いたような発色である。光球もそれのまえで動きを止めたが、アサカがそれをつまむと光球に向かって投げた。

 するとどうだろう。落下すると思われた赤い塊は光の中に溶け込むように消失したのである。


「あー……うるさいうるさい。どうせ長居できないんだからいいでしょ。これが何か、だなんてわからないんだから。気になったのなら、責任もって所持してなさい」


 白衣の男からも腕輪をもぎ取り、自身が所持していた分と合わせてしまい込む。目的は果たしたと言わんばかりにもと来た廊下へと引き返したのである。

 手袋やマスクを装着し、降りてきた時に使った縄を掴んだ。ほとんど両手だけの力で三メートルも上の穴へと戻るのは重労働である。登り終えた頃には息は荒く、マスク越しでも相当汗をかいているのが丸わかりだ。


「パック、隠れて」


 光球は懐の革袋の中に飛び込むことで姿を消した。縄を回収しようとしたところで「おおい」と、どこからともかく聞こえる声に周囲を見渡す。

 するとどうだろう。遠く離れた位置からミ・アンがアサカに向かって手を振っている。回収を急ぐか一瞬迷ったようだが……思うところがあったようで、すぐに荷物を背負い、ミ・アンの元へ歩き出すのだった。


「ミ・アン。どうしたんですか、近寄ってはいけないとお母さんに言われていたでしょう」


 アサカはなるべく流暢に彼らの言葉を喋っているつもりだが、発音の差はいかんともし難い。これも、彼らにはなんとも形容しがたい音に聞こえているのだろう。

 ミ・アンはやや興奮しているようだ。尻尾をぶんぶんと振り回しているのだが、獣人の感情を読み取るのが得意ではないアサカでも喜んでいるのが見て取れた。

 ふさふさの毛に、狼が二本脚で立ち上がり、服を纏っている外観。彼らが笑えばギザついた歯と鋭い犬歯がむき出しになり、その牙の鋭さに目を剥くけれど……。目の前にいる獣人はまるで犬のようだ、と胸中で感想を抱く。


「アサカさん、あんなところに入れるなんてすごいね。どうやって毒の空気の中でいられるのさ。やっぱり都の人は不思議なことをたくさん知ってるんだね」

「ミ・アン」

「あ、ごめん。ええと、村の人がさ、遠くからヒトがやってくるのが見えたって。身なりが綺麗だし、アサカさんの言ってた後続のヒトたちなのかなって」


 興奮する少年は、マスクの奥で瞳を細めるアサカの感情に気付けない。そう、と単調に呟くと、そのまま質問した。


「五、六人くらいでしたか?」

「ううん。十人はいたって」

「……なるほど」


 アサカは腕を組み、しばらく考える素振りをみせた。このヒトが何を悩んでいるのか、当然ミ・アンにはわからない。

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