終わりの世界に祝福を
かみはら
序・目覚め
目覚めたとき、そいつは彼女の前にいた。
ふわふわと浮かぶそれは人間を何十分の一程度に縮めたものだ。虫のように翅を生やし、薄っぺらい生地の一枚布を纏い、夕焼けに揺れる稲穂の様な瞳で彼女を見つめる。頭の錯乱を疑ったけれど、これは現実だと訴えたのはそいつが喋ったからだ。
「うわ、こいつ起きたぞ!」
なんてことだ。こいつは生きている。
ファンタジーが目の前にある。きっと自分は映画の世界に迷い込んだに違いない。それとも御伽噺だろうか。
非現実的すぎで笑いたくなったが、胃からせり上がってくる異物感にそれどころではなくなった。ヒキガエルが潰れたような声をあげながら吐いたものは、四角い金属片だ。喉が傷ついたらしく、血の味が口に広がる。
「ご、が…………お…………」
ああ、なんだったかな、と記憶を辿る。
彼女はたしか、なんだ、なんだったか。
…………なんだろう、か。
頭が霞がかって記憶の探検どころではないが、自分が変な場所にいるのはわかる。耳の奥がざあざあと鳴り響いている最中、外野がさらにうるさくなった。
「どうした、騒がしい」
「じいちゃん、見ろよこれ。鉄の遺跡からヒトが生まれたんだ」
「その水からか?」
「水ぅ? 水なのかこれ。変な臭いがするんだぜ、魚だって住めやしない!」
……そういえば、全身濡れて気色悪い。というかどうして裸なのだろう。頭の片隅で疑問が首をもたげるけれど、それもこみ上げる吐き気に上書きされた。
吐くものもないのに何度も嘔吐いて胃は空っぽだ。苦しげな嘔吐だけが繰り返される。小さいものは繰り返し彼女の周りを浮遊した。
「よくわかんねえけど、あんた大丈夫か?」
これが大丈夫に見えるのか。
悪態を吐いてやりたかったが、口は塞がっている。唾液と混じった鮮血が、鉄で作られた地面に飛び散った。
「おうおう、苦しそうだな。どれ孫や、ちょっくら行って菩提樹様を呼んできてくれや」
「おれがぁ?」
「お前しかおらんだろうが。みたところ、ヒトのようだが……ううむ。なんにせよ詳しくないお前がいたところで役に立たん。鉄の遺跡が動いたこともある、早くいってこんかい」
一瞬の光を放って、騒がしかった小さなそれが姿を消した。手品を見ているような気分でもあり、驚きに目を見張る彼女に「じいちゃん」と呼ばれたそれは首を傾げる。やはりそれは顔ほどの羽を生やした物体だったけれど、「孫」よりは幾分落ち着き払っている。
「どれどれ、ちと爺の加護をわけてやろうか。お前さん、どうもヒトのようでヒトの気配がしない。鉄の匂いがぷんぷんするのに、血が通っている。なのに魔力がちいとも感じられん。……鉄の遺跡がヒトを吐いたのもそうだ、まったくわけがわからん」
ぶつぶつ呟きながら手をかざすと、いくらか気分が楽になってくる。言葉というのを思い出したのもそのときだ。
「じいさん、でいいの? ねえ、ここ、いったい……」
「あん?」
不可解な顔をされた。話しかけただけなのにこの態度、思わず気が引けたけれど、どうやら彼女が予想だにしなかったことで眉を顰められたらしい。
「お前さん、いまなんて喋った。もう一回話してみ」
「え、あ? ここどこって聞いただけなんだけど――」
そうするとますます不可解な表情で、うなり声まで上げ始めた。カゴとやらは意味不明だったが、この時には随分身体が楽になって座るだけの余裕はある。
やたら伸び放題の髪が身体に纏わり付いて気持ち悪いし、真っ裸だったからお尻は冷たかったが、このファンタジー生物相手に恥ずかしがるのも妙な気分だ。それになにより、照れるよりももっと嫌な予感がして、真面目な顔で黙っていたのである。
「お前さん、わしがなんと喋ってるかわかるかい」
「わかる。それがなに?」
「……なるほど、伝わってはいるんだな」
「あの?」
「わしにはあんたが何と言ってるかさっぱりわからん」
そんなこと言われても、彼女は相手の言っていることがわかるのだ、開いた口がふさがらないとはこのこと。戸惑いを隠せなかったが、ああいや、とそれは片手を振った。
「わしらはヒトの発声を知らんのだ。声とは別に意思で想いを伝えるから、それが声が聞こえるんじゃないか」
「は、あ……?」
「そう心配しなくともいい。鉄の遺跡から生まれたというのなら多分……わしより菩提樹様の方が良かろうよ」
それは周囲をぐるりと見渡して、それにしても、と呟いた。
「……はて、此処は未だ毒の霧の中だったかと思うが、お前さんはどうして息ができるのかね」
そんなことを言われても、と――。
質問をしたいのは彼女の方だ。
謎の生物、毒の霧、靄が掛かった記憶。なにもかもがわからないし、あやふやだ。
それでも菩提樹様とやらが来たらどうにかなると、ぼんやりながら希望を見出していたらどうだ。
まさか文明が滅びていたなんて、誰が想像できたのか。
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