ある奴隷の憂鬱 -Symmetry Violation-

もーち

1:

これは、わたしとごしゅじんさまの愛のきろくです。




第一部

1 

――23ページ


 冷たい椅子の上に私は縛り付けられていた。

 左右の手首を締め上げる枷だけでなく、胸と、お腹と、足首と太腿をそれぞれ縛るように張り巡らされた縄が、体躯をきつく圧迫してきて、もちろん立つことはできない。動くことすら苦痛を伴う。その部屋の中で、私は何の衣服も着せられていなかった。一糸まとわぬ姿――裸で捨て置かれて。そのためにいっそう部屋は冷たく、室内には、私以外の誰も居ない。そのためにいっそう寂しく、ただ遠くからザアザアと雨の降る音だけする中で、じっと部屋の扉を見ていた。怖かった……と思う。石壁で作られた密室は雨漏りしているようで、小さな水溜りがどこかしらにできていた。


ザアザア ザアザア ポツン…


 待っていた。ただ何もできないまま、押し込められた姿勢のままで、暗くて、ひどくて、痛いことの到来を、ひたすら待っていた。溢れ出る雨音。それがポツリと落ちるたび、こらえても堪えても、まるで水の底から水面へとあぶくが湧き上がってくるように、「どうして?」――という疑問が頭のなかに浮んでくる。不意に。いたずらに。でもすぐそれを振り払う。


(私は奴隷だ……だからこんな扱いをされても文句なんて言えない)


 当然だ。奴隷は逆らうことが出来ない。それが決まり。おきて。世の中はルールに従って動いているのだ。

 たとえば、お金。ご主人様はお金が無くなってしまったから、家計を建て直さないといけない。そこでご主人様の奴隷である私が、こうして協力することになった。

 どんな人でもお金が無いと困ってしまう。ご主人様だってそれは同じで、それは世の中のルール、お金が無いと幸せもやって来なくなり、ひどい生活や悲しみや不幸ばかりが訪れるようになる。そのいちばん良い見本が、かつての私。私の生まれた家はお金が無くなったから、村にきた人買いに子供わたしを売った――その先で見たのは地獄だった。

 けれど、けっきょく私は今のご主人様に助けられた――金貨で買ってもらって。だから私はお金を稼がないといけない。私のことを助けてくださった、今度はご主人様のために。いえ、私自身の為にだって頑張らなくちゃ。そうしたらご主人様は褒めてくださる。ご主人様がまた笑顔を見せてくれて、これからもずっと幸せに暮らせる――一生私のことを愛してくれると言った、あの人の手が私の頭を撫でる……


『お前のことを信頼しているよ。きっと、健闘してくれると信じている』


 あの人は泣いて、私を抱いて、まさか君がこんなことまで引き受けてくれるとは思わなかったと、驚いた。でも多分、その時の私には、ゲームの意味なんてちっとも分かっていなかったのだ。だからあんなにも、呆れるほど喜んでいた。ひどく後悔することになるとも知らずに。


 ――いま、この日記を書いているのは、くだらない感傷のためでも、報われない祈祷いのりのためでもない。何が悪かったのか、どれが嘘だったのか、冷静に判断してくれる私があらわれるまで、あのときの記憶を鮮やかにとどめているいまの私は、それを記録してとどめておくのだ。ただそれだけ。むかしの詩人みたいに。記憶の糸が紡がれるままに。嗚呼、どうかこの日記がミシェルに見つかりませんように……けれど、もし誰か他のひとがこの日記を読むとするなら、どうかそのひと、何を信じたらいいのか、教えて。



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