僕たちのアンサンブル

黒瀬くらり

第1話

「……なぁーんで俺、こんなとこで練習してんだろ」


 外の見えない防音室の中、僕の前でクラリネットを肩に担ぐ浦野啓介うらの けいすけ先輩がぼやいた。


「先輩がアンサンブル部に入ったからでしょ。そんなこと言うならなんで部活入ったんですか?」

「……楽器出来たらモテるって聞いたから?」

「思春期男子かな?」

「思秋期男子なんだよなぁ。てか、三年間クラリネット続けてきたけど、なかなか披露する場所ないじゃん」

「まあ、それはわかりますけど」


 演奏する場なんて本番のホール内のみだ。

 そして、そこで吹くのは大抵つまんないクラシックだ。

 意中の子を万が一誘えたとしても、僕たちが彼女にプレゼントできるのは素敵な睡眠時間だけだろう。


「それにさ? クラリネットってケース入れて持っててもかっこよくないじゃん?」

「それも、わかりますけど」


 僕たちがやっている楽器がギターやベースだったらどんなによかっただろうか。

 ギターやベースは背負うだけでかっこいい。

 それに引き換え、管楽器のケース――なまじクラリネットなんていう小さく収まる楽器を持っていたところで、全くかっこよくはならない。

 ギターずるいよな。誰が見たってかっこいいじゃん。僕もケースだけ背負って歩こうかな。


「アンサンブルなら人気なJ-POPを学生の前で吹いてモテ期到来! 俺の時代来た! ……かと、思ってたんだけどな?」

「そこは同意しかねますけど」

「おいおい、お前はモテたいと思わないのか? ほんとにチンチンついてる? もしかして宦官?」

「誰が去勢した召使いだ。モテたいとは思うけど……楽器は手段にしたくないってだけっスよ」

「こだわり的なやつか? まー、ソロコン全国金賞様は言うことがちげぇな?」

「嫌味ですか?」


 確かに僕は、ソロコンテストで全国金賞を取った。それでも――僕は、僕の音色は、彼女を惹きつけることができなかった。それが答えだ。

 それから、僕は自分の音で女の子にアピールするのは諦めた。


「わりわり、そんなつもりはねぇよ。金賞も納得なぐらい上手いしな」

「まあ、僕もまだまだですけどね。……でも、先輩も上手じゃないですか。楽器も……それ、クランポンのfestivalですよね?」


 festivalフェスティバルと言えば、BUFFET CRAMPON(ビュッフェクランポン)という会社が出しているクラリネットで、プロでも愛用している人が多い、最高級と言っても差し支えない楽器だ。

 この楽器のいいところは、明るくて芯のある音色だろう。R13と呼ばれる内径の特徴でもあるのだが、この楽器はその良さを最大限に活かせていると言って良いのではないだろうか。

 同レベルと言われているprestige(プレステージ)と比べると多少抵抗が大きいが、その分芯の太さや、エネルギッシュな音色は非常に魅力的なものだ。


 中学生で、ここまで良い楽器を使っている人は少ない。

 親が金持ちか、本気で楽器に打ち込んでいるか、その二択だろう。

 先輩は楽器が上手い。指の回りもいいし、何より音がいい。

 だから、おそらく後者なのだろうと考えている。


「んー、まあな? でも、お前の楽器も……なんか、凄いよな?」

「こいつはまあ……一目惚れしたもので」


 僕が使ってるのはbackun musical services――バックーンと呼ばれる会社で作られたCGカーボン・クラリネットだ。

 これは管体がカーボンで覆われているという、変わり者の楽器だ。

 割れの心配が少なく(管割れを起こすような杜撰な管理はしないが)、環境の変化にも強く(日本以外の場所で吹く予定は無いが)、カーボンという素材のせいか、やけに値段が高いという逸品だ。

 とはいえ、この楽器の良いところはもちろんある。それは、非常にしっかりとした音であるところだ。また、カーボン素材故か、音がハーモニックに奏でることができる。


「それにしたって、高校入ったら彼女が出来てハッピーライフかと思ってたけど、そんなこと全然なかったなぁ……」

「まあ、そうですねぇ……」


 防音室で黄昏れる男二人。

 なんとも悲しい。

 そんな中、コンコンコン、と三回ほど。

 扉が弱々しくノックされた。


「……誰だろ。はーい! どーぞー!」

「し、失礼しまーす。ほら、由利香も!」

「……失礼します」


 ドアが開かれた時、僕は思わず息を止めてしまった。今、由利香と呼ばれてた娘。間違いない。

 僕が――田代公平たしろ こうへいがあの日、恋した少女が、僕の前に立っていた。

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