第39話 不穏
「よっと」
従者から話を聞いた後、フォルトは躊躇する事なく崖から飛び降りた。そのまま器用に爪を岩肌や凹凸に食い込ませつつ、崖から降りて地面に着地する。そして近くにあった建物の壁を凄まじい速さでよじ登って、屋上を飛び越えていきながら客人の元へと急ぐ。
そんなこちらへ向かってくる彼女の事など知る由もなく、ルーファン達は水辺の近くに存在している集落へと連れて行かれた。
「自己紹介が遅れたな。ガルフと呼んでくれ」
黒毛の獣人がそう言うと、ルーファンに握手を求める。ルーファンも改めて握手してから辺りを見回してみた。子供達が石で出来た少々粗末な小屋の陰からこちらを見ている。辺りの建物中から視線を感じ、警戒されているのだとすぐに分かった。
「ようこそ御出でくださいました。私の事はキアとお呼びください」
一人の杖を突いた老婆が出迎えに来た。ネコ科の獣人らしく、しおれた髭を時々直しつつニコニコとした表情でルーファンを見ている。糸目が良く似合う女性だった。
「寝床はこちらに用意していますよ。もしかすればお気に召さないかもしれませんが…」
「いや、感謝する。ところでここは ?」
「子供達の世話をするために設けられた場所でして。親や兄姉が働いている間、ここで面倒を見るのです。年寄り故、こういう事でしか皆を手伝えないもので…」
大小様々な小屋の陰から子供達が見え隠れしている中、歩きながら老婆の話にルーファンは耳を傾けていた。「お婆ちゃん大丈夫かな」というヒソヒソ声が漏れ聞こえており、老婆の心配を子供たちはしている様だった。信頼はされているのだろう。
「さあ、着きましたよ」
「案内に感謝する。老体に鞭打つような真似をして済まなかったな」
「いえいえ、何のこれしき。それに新しい案内役ももうすぐに来るそうなので――」
ルーファン達が使う小屋へ着いた老婆が話しかけた直後、建物の上を跳躍してこちらへと向かってきたフォルトが現れた。三階建ての家屋だろうが難なく飛び降りて着地すると、物音に驚いたジョナサンが振り返る。そっくりな顔つきのせいで一瞬だけ酋長と見間違えてしまった。
「え、酋長 ? …いや…」
「あー違う違う。それ私の姉さん。もしかして話に聞いてた客人って、おじさん達 ?」
フォルトは酋長と自分の関係についてジョナサンへ話しながら客人を観察してみた。あまり大柄ではない目の前の男は体つきからして戦士ではない。話に聞いていたスアリウスの使いは彼の事だろう。問題は他の二人である。自分より遥かに体格の大きい女は、瞳の柄が人間のそれではない。隠している顔の下半分も異形だと言っていたが、佇まいやこちらを睨む顔つきからして伊達に修羅場は潜ってなさそうに見える。
「案内人というのはもしかして君か ?」
そして二人の奥から尋ねてきたルーファンと目が合った瞬間、フォルトは少し驚いたように目を丸くする。自分より年上の青年であり、頬には何かで抉られたような傷跡が生々しく残っている。しかし目つきやこちらを窺う態度そのものは、決して恐ろしいものではない。寧ろ育ちの良ささえ感じられた。姉や従者がなぜ、「間違えても怒らせるな」と釘を刺してきたのか分からない程である。
「えっと、そうそう ! フォルトって言うんだ。よろしく」
「ルーファンだ。ルーファン・ディルクロ」
「ジョナサン・カロルス」
「…サラザール」
互いに自己紹介をしつつフォルトは握手を交わしていく。ルーファンの顔をまじまじと見つめ、よく見れば中々良い男じゃないかと少し嬉しそうに笑った彼女とは対照的に、ルーファンは少し不思議そうにしていた。
「よし、後は任せたぞフォルト」
「分かった。じゃあねガルフ」
そのままガルフが立ち去ると、フォルトは老婆の元へ駆け寄って熱い抱擁を交わし出した。少々差別的な表現になってしまうが、犬と同じように尻尾が激しく動いており、喜びのあまり昂ってしまっているのだろう。
「あらあら。十六歳だっていうのに相変わらずねえ」
「ええ~、良いでしょ。忙しくて来れなかったんだからこれぐらいさぁ !」
体格の差がありすぎるのか、老婆は思わず体を仰け反らせながらフォルトを抱きしめて彼女の背中を擦っている。フォルトは駄々をこねながら老婆を離そうとしなかった。
「じ、十六… ?」
既にルーファンに並ぶのではないかという身長を持つ彼女の年齢を聞き、ジョナサンは思わず復唱してしまった。
「もうすぐ十七。おじさんは ?」
「おじさんおじさんって失礼だな…三十四だよ」
「うん、立派なおじさんだよ。誇り持って」
「ですよね…」
ジョナサンは渋々答えるが、真正面から切り捨てられてしまった事でしょぼくれてしまった。
「そうだ。せっかくまだ日が出てるし、ちょっと案内してあげよっか ? スアリウスから派遣された兵士の駐屯地にも顔を出したいでしょ ?」
「…それは有り難い ! 丁度見て回りたかったところなんだ !」
「よーし、じゃあ早速出発しよっか。キアお婆ちゃん、また後でね !」
しかしフォルトが提案をするや否や、すぐに気を取り直して彼女に感謝をし出す。そして老婆に挨拶をしてからルーファン達を連れて歩き出す。
「さあさあ、急いで急いで !」
じれったくなったのか、フォルトは後ろに回ってからルーファン達の体をぐいぐいと押す。中々お転婆な子だとルーファンが驚いていた矢先、フォルトは小声で彼らに話しかける。
「姉さんから話があるってさ。今日の深夜、迎えが来るから起きててね」
彼女の声が聞こえたルーファン達は思わず問いただそうとするが、それよりも前にフォルトは更に彼らを押して立ち止まらせようとしない。キアはそんな彼女達を見送っていたが、不意に子供達とは違う別の誰かの視線を感じた。振り返ってみれば、いつも通りの生活を送っている他の獣人たちがいるだけである。しかし、その内の数人がルーファン達の後ろ姿を睨んでいた事を、この時の彼女は気づいていなかった。
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