第34話 洗礼と観察

「…あれは ?」


 群れで迫ってくる魔物たちを遠目に見たサラザールがジョナサンに尋ねる。慌てて望遠鏡を取り出し、目を凝らして観察をしたジョナサンは焦りを感じながら下唇を噛み締めた。


「ホソブの群れだ…まさか…」


 ジョナサンにとってその光景は嫌な予感をさせるには十分であった。その群れを構成しているのは、ホソブと呼ばれる二本のひん曲がった角を持つウシ科の魔物だが、その図体故に砂漠で体力を奪われないように極力動こうとしない事で有名である。彼らが動くのは、より良い環境を求めて縄張りを移動する時…または、やむを得ない事態に見舞われている時だけである。


 どんどんこちらに近づいているホソブの群れを眺めている時、ジョナサンは彼らが必死になって走り続ける理由を目の当たりにした。群れの後方で岩が動いているのだ。無骨な岩山が列を成し、砂を裂きながらホソブの後を追いかけていた。それがただの岩山では無い事をジョナサンは知っており、急いで望遠鏡を仕舞う。


「一応聞くが、ガヨレルは足が速いのか ?」


 こちらへ向かって来る岩山にルーファンも気づき、逃げ切れそうかどうかをジョナサンに聞く。


「呆れるほどのノロマだよ。何もしないよりマシだけどね… !」


 ジョナサンはガヨレルの欠点について嘆きつつも、すぐに手綱を持ってガヨレルを走らせる。ルーファンとサラザールも後を追うが、ジョナサンが絶望するだけあってガヨレルは非常に緩やかな足取りと共に動き出した。徐々に速度こそ上がったものの、たちまちホソブの群れに追い付かれ、砂埃に顔をしかめながら彼らの間を走る羽目になってしまう。


「狙いはこの群れだ ! 速い内に抜けて別の方向へ避難するべきじゃないか!?」


 ルーファンは叫んだ。


「いや、孤立なんかしてしまえば格好の餌食だ ! この鈍足じゃ逃げ切れる保証だってない !」

「だがこのままじゃどの道追い抜かれる ! 俺達の存在に気づいていない事に賭けるしかない…そうだ、サラザール !」


 ホソブの群れからはみ出てしまう事がいかに危険かジョナサンは伝えようとするが、後を追いかけ続ける事に対してルーファンはあまり楽観的では無かった。そんな中でも着々と距離を詰められていく中、ルーファンはサラザールに慌てて呼びかけた。彼が何を言うつもりか分かっていたのか、サラザールは自分が乗っているガヨレルの頭をそっと撫でる。


「悪く思わないで」


 サラザールはそう言ってから漆黒の翼を生やした。そしてルーファンとジョナサンの方へ向かうと、彼らを抱きかかえてなるべく高く飛翔する。挟み撃ちにされたホソブの群れと、取り残されたガヨレル達は慌てふためき、散り散りになってその場からの逃走を図るが、直後に砂の中から巨大な口を持つ怪物が姿を現す。どこに目があるかも分からない程にデカく、頑強な岩肌に覆われたその怪物は裂けていると思えてしまう程に大きな口を開け、獲物たちを砂ごと口に入れてしまった。


 そのまま獲物を咀嚼する怪物の口からは血と、それによって汚された砂が零れていく。近くの砂丘の頂上へと避難させてもらったルーファン達はその光景を呆然と見つめていた。


「ラクァンガだ…初めて見た」


 恐怖で竦む一方、少し興奮しつつもジョナサンは言った。だが、ラクァンガが体を動かして自分達の方を睨むと、再び押し黙って様子を窺う。このまま次の標的にされてしまうのだと覚悟を決めかけていたが、なぜかラクァンガは静かに砂の中へ潜ってからどこかへと去ってしまった。


「襲ってこなかったな…」


 何の役に立つか自分でも分からなかったが、剣を抜こうとしていたルーファンは柄から手を離して砂の上に座り込む。ラクァンガが捕食を行った跡地は幾らか血で染まり、所々に取りこぼしたらしい死体や四肢が転がっている。


「ここから戻って新しいガヨレルを借りるか ?」

「ダメだ、距離が遠すぎる。徒歩か…今度こそ死ぬかもな」


 ルーファンは提案をしてみるが、距離や時間を考えると余裕が無いと判断されて却下される。そこからジョナサンは遺言を書き始めた方が良いかもしれないと思いつつ、死体の転がる跡地へと向かった。肉や血を利用できないかと考えたのである。ルーファン達と共に暫く物色をすると、砂に埋まっている形でガヨレルの死体を見つけた。体の半分から下が無くなっている。


「死体の血で喉を潤しておこう…ガヨレルに毒は無い筈だからな。水を節約できる」


 ジョナサンが言った。ルーファンも頷き、短刀で体を裂いてからまずは残っている内臓を取り出す。そして体の内側に残っている血溜まりなどからガヨレルの血液を飲んだ。


「毛皮も持って行こう。寒さを凌げそうだ」

「ああ、それがいい」


 肉から切り離したガヨレルの毛皮を見たルーファンは言った。頷きながらもジョナサンは肉を切り分け、小腹を満たしている。その一方でサラザールは血で汚れた手や服を不愉快そうに眺めていた。


「しかし、どうしてラクァンガは俺達を襲わなかったんだ ? 明らかにこっちを見ていたが…」


 不意にジョナサンが疑問を呈した。


「リゴトの守護者が差し向けたのかもな…そもそもラクァンガはこんな辺鄙な場所に現れるような魔物じゃない。もっと奥地の方だ。守護者達は操るとまではいかないが、ああいった魔物達を利用する術を身に着けているらしい」

「つまりあんな怪物を差し向けて、こちらの出方を窺っているのか ? …手荒い歓迎だな」

「歓迎だと良いんだがね…最悪、始末するつもりだったりして。砂漠で野垂れ死んでくれれば、自分達の手で殺さずに済むだろ ?」


 ラクァンガの奇妙な行動について、ジョナサンは先住民達による妨害かもしれないと疑いを持っていた。スアリウスの話に応じるつもりは無いものの、断って争いになるという事態は避けたいであろう彼らにとって、砂漠の環境はうってつけである。大自然の脅威によって自分達が死んだのであれば、少なくとも彼らは疑われずに済む。そしてスアリウスからの要求についても話を聞かなくて済む…スアリウスと関係を持たない様にするにはそれが一番だろう。


「手遅れになる前に立ち去れって事か。だが今更――」


 止まるつもりは無い。ルーファンは言いかけたが、突然殺気立った表情で振り返る。そのまま辺りを慎重に見まわしたが、特に異変は無そうだった。


「どうかしたか ?」

「誰かに見られてる気がするんだ…さっきから」

「気のせいじゃないか ? こんな状況じゃ、油断できない気持ちも分かるけど…行こう。日が暮れるまでになるべく進まなきゃ」


 不思議そうにするジョナサンにルーファンは答えるが、やはり相手にはして貰えない。そのままサラザールとジョナサンは歩き出すが、ルーファンは遥か遠くのラクァンガが来た方角に目を凝らす。そしてその方角から少しズレた地点に存在する岩場を一度だけ睨み、その後で二人に続いて行った。やがて彼らの姿が小さくなった頃、睨まれていた岩場のいくつかの岩石が砂の様に瓦解して消え失せ、中から獣人達が三人程現れた。平均的な人間のサイズとは比べ物にならない体躯ではあるが、体毛に覆われた肉体はしなやかさも併せ持っている。全員が女性であり、動物の皮で作られているらしい腰巻や上着を身に着けていた。


「ふぅ、少しヒヤリとした」


 茶色い毛に覆われている獣人が深く息をしてから言った。


「同感だ。あの男…こちらに気づいていたと思うか ?」


 同意しつつも栗毛の獣人が問いかける。ルーファンがこちらを睨んでいた事は、どこで手に入れたかも知らない双眼鏡を使ってお見通しであった。


「だとするなら尋常じゃない程の察知能力だな。伊達に修羅場はくぐってないというわけだ。このまま追跡するぞ…奴らの言動次第では直接始末する」


 そんな二人を率いているらしい黒毛の獣人はルーファンを少しだけ褒める。そして彼らに対する敵対心を抱きつつ歩き出した。

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