第32話 未知

「餌は一時間おきだ。その袋に入ってる乾燥させたモラロの実を一つか二つあげてやってくれ」


 砂漠への入り口でもある関所の近くで、移動手段に使うための生物が用意されていた。飼育をしているらしいその男は、ルーファンに食料となる木の実の入った袋を渡しながら餌をやるタイミングや細かい注意事項について説明する。因みにモラロの実とは、湿地帯に生える特殊な木になる果実であり、味を度外視すれば非常に栄養価が高いという事で有名である。


「感謝する…しかし、個性的な顔をした動物だな」


 一礼をしたルーファンは改めて納屋に繋がれていた見慣れない生物の観察を行う。全身が毛皮に包まれており、蹄を持つ足は非常に屈強そうだった。背中を擦ってみると非常に柔らかい。日光によって体が温まらない様に背中が脂肪に覆われているらしいのだが、座り心地は悪くないかもしれない。


 特に目を引いたのは顔の半分を覆っているのではないかと思ってしまう程に巨大な鼻である。その鼻の中には水分を蓄える器官が存在しており、息をする際には少しだけ鼻を震わせて鼻腔の中を少しだけ湿らす。そうする事で空気に湿気を持たせられるため、乾燥した空気よりは快適に呼吸が出来るらしい。砂漠を活動するために体の様々な機能が最適化されているという印象であった。


「もしかしてガヨレルを見たのは初めてか ? 砂漠を行くんならこいつは外せない…もっとも、砂漠の奥地に到達出来るかは運みたいなものだが。ここだけの話、こいつは肉が美味い。いざって時は…まあ、そういう事だ」


 飼育員はこれから向かう場所がいかに危険かを告げ、万が一の事態にはどんな手段を使ってでも生き延びて欲しいのか、少々残酷な豆知識を伝える。「成程」と相槌を打ったルーファンだが、ガヨレルの一頭がつぶらな瞳でこちらを見ている事に気づき申し訳なさを感じる。


「感謝するよ。これは小切手だ」

「おお、ありがてえ。これでまた一年は食いっぱぐれる心配をしなくて済む。あんた達も気を付けてな」


 ジョナサンが紙切れを渡すと、飼育員も有難がってそれを懐に仕舞う。小切手が何なのか、正直ルーファンは良く分かっていなかったが取引が無事に終わったという事だけは理解出来た。


「ジョナサン、”こぎって”とは何だ ?」

「ああ、あれか。パージットが鎖国をしている間、世の中は色々変わったんだ。後で詳しく教えよう」


 ガヨレルの背中に全員が跨った時際にルーファンが尋ねると、ジョナサンは得意げに言った。そのままガヨレルはのそのそと動き出し、地図を確認した上で暫くはまっすぐに進むだけだと分かったのか、ジョナサンは手綱から片手を離す。そして手帳を開いてからブツブツと何かを呟き始めた。


「え~っと、跪いてから右手の拳を地に付けて頭を垂れる…これが目上の者と接見を行う時の一礼で…」

「何してるの ?」

「え、ああ。先住民達と会うにあたってマナーやしきたりを一通りメモしておいたんだ。大事だろ ? そういうの」


 たまらずサラザールが聞くと、手帳に書いている図解や走り書きした文字をチラリと見せながらジョナサンが言った。


「別に気にしなくて良いんじゃない ? 」

「そうも行かない。こういう仕事をしてる以上、警戒されないように出来るだけの事はやっておかないといけなくてね。それに、自分に置き換えて考えてみなよ。いきなり自分の家にズケズケやって来てギャーギャー文句言ったり、俺に合わせろなんて言い出す馬鹿がいたらイラっとするだろ ? 郷に入っては郷に従えの精神だ。コミュニティに入れてもらう以上は、こちらも礼節を弁えてないといけない」

「それで殺される様な事になったら ? ルールだからって黙って従う ?」

「逃げる。それか、そもそもそんな危険な場所には近づかない。そこを嗅ぎ分けるには長年の経験が物を言うよ…ジャーナリズムを大事にはしたいが、生きる事が最優先だ」


 そんな物を覚えた所で意味があるというのか。サラザールはそんな風に懐疑的な態度を取っていたが、ジョナサンは相手や相手の住む地域に対するリスペクトの重要性を解きながらジャーナリストとしての自分の信条についても話す。暫くして涼めそうな大岩が見えて来たのもあってか、一行は休憩を取る事にした。


「しかし意外だな」


 岩陰に入ってガヨレルから降りつつ、ルーファンが口走った。


「何が ?」

「本で読んだ限りの歴史だと、力を付けた国は大概…他の国を見下げたり、蛮族扱いしているものだった。スアリウスの様に豊かな国なら、国民もさぞかし強い自負心を持っていると思っていたんだ。なのに――」

「僕がちゃんと相手の地域の文化を理解しようと努めてるのが不思議…ってとこだろ ?」

「ああ」


 先進的な技術や富を持つ者達は、自らの偏った思想さえも先進性故のものだと肯定してしまう。そんなルーファンの偏見をジョナサンは見抜いていたらしい。


「実を言うと、大陸でもそういった歴史が無いわけじゃない。というか、その点で言えばスアリウスは加害者側になる。そういう過程を経て人々の意識が変わりつつあるってのもそうだが、条約によって文化が保障されてる事で優劣を付けないようになったって部分も大きい」


 そこまで言ったジョナサンは少し喋り疲れたのか、水筒に口を付けて息を整える。そして周囲の天候に目を光らせながら話を続けた。


六霊の集いセス・コミグレに加盟している<聖地>の保有国は不可侵条約を結んでるが、武力による制圧だけじゃなくて他の面でも制限を掛けるようになったんだ。特に政治や社会基盤…地域における宗教や流行を始めとした文化への介入が原則禁止されている。そのおかげで色んな国や地域が独自の文化を維持し、今もそれらを変化させ続けている。昔は、色んな方法で敵対していた地域の植民地化や隷属化を行おうとしていた事例が絶えなかったから、それへの対処のためって所だよ。尤も、パージット王国が鎖国をした後の話だが」

「つまり、スアリウスが砂漠に住んでいる先住民と揉めているというのは…」

「そう。その当時の確執が原因」


 国同士における事情や約束事は遡ってみれば、スアリウスを始めとした国家が原因であるという解説をルーファンが聞いている間、サラザールは興味本位でモラロの実を齧る。非常に酸っぱい上に苦く、口の中に強烈なえぐみが残る果実であったためすぐに吐き出し、残っている部分をガヨレルにくれてやった。

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