第25話 螺旋の入り口
――――現在
真夜中に勃発した戦いから一夜が明け、巻き込まれていた街は妙な賑わいを各地で見せる。戦いによって生まれた残骸の片づけをする人々の話声、応急処置じみた修繕を行うために金槌が叩かれる音など、陰険な雰囲気が嫌でも晴れてしまうような騒音にまみれてしまっていた。昼下がりになれば、酒場にも休憩がてらに集まった住民で人だかりが出来ており、昨晩に目撃した一部始終をそれぞれの観点に基づいて夢物語のように語っている。
「そういえば見たか?地下にあった闘技場のオーナー、広場で見世物にされてたぜ」
「全裸で柱に括り付けられてるんだろ。『石を投げても良い』なんて立札付きでさ…何でだ?」
「自警団によればリミグロンとグルだっていうタレコミがあったんだと。そんで問い詰めた結果、あっさり白状しちまったってワケ…新しい見世物どっかでやらねーかな」
「とりあえずは公開処刑が先じゃねーか?」
テーブルを囲んでいる者達は街で起きている出来事について情報を共有し、ひとしきり話が終わると作業を続けるために店を出て行く。そうすれば入れ替わるように他の誰かが席に着いて似たような話を続けていた。
「あの剣士がいなきゃどうなってたか…ブルっちまうね」
「でもよお、リミグロンの連中を見るに狙いはあの剣士だったんだろ?じゃあ奴がここに来なければそもそも巻き込まれなかったんじゃねーか?」
「闘技場がグルだったんだ。遅かれ早かれやって来ただろうよ。今度は殺されたリミグロンの武器を自警団が利用するってのはどうだ?」
「それがな…奴らの死体を漁ろうとしたら急に溶けて無くなっちまったらしい」
「はあ?」
「ホントだぜ。ジュワ~って音を立てながら武器も鎧も、体も全部」
カウンターでも同じように議論が交わされていた。もう何回聞いただろうかとサニーは呆れたように笑い、片付け終わった食器を厨房に持って行った後にカウンターで新しく注文の入った酒の準備をする。店主の方はというと、酔っぱらった客を追い出そうと悪戦苦闘しながら怒鳴り声を上げていた。
「なあなあ。サニーちゃんはどう思う?」
何やら激しく捲し立てていた二人組の内、一人が突然彼女へ問いかけた。相当な量を飲んだのか、陽気そうな顔が真っ赤になっている。
「どうって?」
「あの剣士だよ。命の恩人だって俺は言ってるのに、この馬鹿がすーぐケチつけてきやがる」
「アイツの顔見てねえのかよ?俺には分かる。ありゃ殺しを楽しんでいた」
すかさずもう一人が知った様な口で反論をすると、再び火が付いたように怒鳴り合いが始まる。今な昼間から呑気なものだとサニーは首を横に振った。
「どうせリミグロンが来たのもアイツのせいだぜ!現に見ろ!お礼を貰うどころか、倒し終わってからそそくさといなくなっちまった。よっぽど後ろめたい事があるに違いない」
「馬鹿、お前分かってねえなあ。多くを語らず、見返りも求めない。まさに古典に出てくる英雄そのものだろ。世の中は広い。そういう自己犠牲さえ省みない奴の一人や二人、不思議じゃないさ。な、サニーちゃん?」
議論に乗じて再び話を振られたサニーは、どう答えようかと一瞬考え込む。確かに無慈悲に斬殺していく姿に恐怖を覚えたのは事実だが、助けてくれたのもまた事実である。何より酒場で会った際のやり取りからして、悪人では無いと彼女は信じたかった。。
「実際どうかは分からないけど…良い人であって欲しいなって思ってる」
無邪気に笑顔を見せた彼女の答えに、二人の客は思わず見とれた後に憎き話し相手へ視線を戻す。
「ほら見ろ!やっぱりそうなんだよ」
「間抜けかお前?今のはただの願望じゃねえか…サニーちゃん、接客で飯を食ってる以上はもっと相手を分析する力を身に着けた方が良い。こんな奴にはなるなよ。この節穴すぎる目と騙されやすい頭のせいで三回も女に金を騙し取られてんだぜ」
「それ今関係ねえだろ昼行燈が!」
「うるせえ!やんのか!」
サニーの返答をキッカケに火がついたのか、二人は再びぎゃあぎゃあと喚き立てながら互いの考えをぶちまける。あわや取っ組み合いになるかという寸前で店主が現れると、二人を無理やり引き離しながら頭に拳骨を食らわせて説教を始めた。耳が痛くなりそうなくらいにやかましい光景だったが、間違いなく平和だった。
――――そんな街からすっかり離れ、沼地の中央に出来上がっているぬかるみだらけの街道をルーファンとサラザールは歩いていた。一雨来るのだろうか、空はどんよりと灰色の雲で覆いつくされている。霧で埋め尽くされた沼の彼方から、人や一般的な動物とは違う低い呻き声が聞こえると、腹に響いてくるその心地悪さに顔をしかめながらルーファンが辺りを警戒するように見回す。
「…少し、休むか」
やがて疲労がたまったのか、顔に巻いている包帯を撫でつつルーファンは提案をした。そして近くに佇んでいた枯れ木の下へと座り込む。小さく生い茂っていた雑草と、それ越しに伝わって来る地面の湿り気がズボンを少し濡らす。サラザールはその向かいにある切り株に腰を掛け、ルーファンが座っている樹木の枝へと目を向ける。長い事放置された事で白骨化したのであろう吊られた死体が、風の吹く方向へ枝を軋ませながら揺れていた。
「死体、あるわよ」
「知ってる」
気付いて無いかもしれないとサラザールが忠告してみるが、ルーファンは特に気にしていなかった。ルーファンにとってはさんざん見て来た物であるからか変な感情を抱く事も無い。しかし、やはり気になってしまうせいか一度だけ死体を確認する。どこから見ても何の変哲もないただの白骨死体であった。
「…生き残った昔の仲間がリミグロンにいた」
ルーファンがいきなり喋り出した事や、その内容に興味を持ったサラザールはコインを使った手遊びを止めて彼を見た。
「どうだったの?」
サラザールも尋ね返す。
「裏切ったあいつが情報を漏らしていたんだ…全て。だから連中は容易に襲撃が出来た」
ルーファンは顔を下に向け、落ち込んだ様子で自分が手にした真実を伝える。腑に落ちたという達成感と、失望や悲しみが入り混じった複雑な心境が言葉を詰まらせていた。
「故郷に失望したんだと言っていた。何の価値も無い場所であり…あいつは、自分が信じていた物が間違っていたんだと思い知らされたらしい」
ルーファンの言葉にサラザールは同情心が搔き立てられる。信じていた故郷の同胞が裏切り者であると知らされ、さらには育った土地や国を侮辱された。それに対して誇りを感じ、愛していたルーファンを落ち込ませるには十分すぎたのだろう。
「何に価値を見出し、何を無意味だと思うかは本人次第。他人の言葉に惑わされてはいけない…少なくともそいつが死んで、あなたが生き残ったという時点で結論は出てる。人を裏切り、驕る奴って大概は報いを受けるものよ」
サラザールの言葉にルーファンは少し頷き、ゆっくりと顔を上げるが目を合わせるという事はしなかった。首を動かしてぼんやりと来た道を眺めている。もうやり直しなんて出来ない。人気の無い寂しさからひしひしと感じ取っていた。
オニマの最後の言葉が頭をよぎる。恐らく彼は氷山の一角に過ぎなかったのだろう。だからあれほど強気でいられた。必ず自分の無念を晴らしてくれると信頼している仲間…ルーファンからしてみれば本当に倒すべき者達の存在。それがあるからこそ、あのような言葉を自分に向けたのかもしれない。
「引き返したくなった?」
サラザールがルーファンへ語り掛ける。
「いや、思い出に浸ってただけだ…先に進もう」
ルーファンは立ち上がりながら言った。殺した所で何も変わらない?果てしない戦い ? 上等だ。リミグロン共が自分達の選択が間違いだったと認めるまで殺し続けてやる。ルーファンは感傷に浸っていた気持ちをすぐに消す。どんな事情があろうと関係ない。怨嗟によって築き上げた誓約を果たすまで歩き続けてやると心に決めていた。
「情報収集か。これから向かう場所が首都らしいけど…入る方法はあるの?監視が厳しくなってる筈よ」
「まあ…行きながら考える。何が何でも、奴らを後ろで動かしてる黒幕を引き摺り出してやるさ」
サラザールとルーファンが今後の方針について決めあぐねている時だった。どこかから人の声がする。小心者そうな気の抜けた男性の声、確かに聞き覚えがあった。二人が背後にある街道を眺めていると、霧の中から誰かが駆け寄って来る。何度かぬかるみに足を滑らせて転びながら手を振っていたのはジョナサンであった。
「酷いじゃないか、黙って出て行くなんて…ふぶ!」
叫びながら足を速めるジョナサンだったが、再び盛大にずっこけた挙句に顔を泥で汚す。ルーファンはサラザールと顔を見合わせ、面倒くさそうに溜息をついてから彼に近づいて立ち上がるのを助けた。
「何の用だ ?」
大事そうに眼鏡を拭いているジョナサンへルーファンが尋ねると、彼は泥を拭ってから一度だけ咳払いをした。
「言っただろう?巷で噂となっている謎の剣士を追い、うちの会社における特大の記事…それも長期連載にする。君たちの活躍のれっきとした目撃者になるため、僕は旅路に同行したいんだ。前にも言った気がしたんだが」
「悪いけど無理。ホントに死ぬわよ?」
ジョナサンは自分の野望が尽き果てていない事をアピールするが、ルーファンより先にサラザールが申し出を断った。やはり彼女も同じことを考えていたらしい。
「それはどうかな?この大陸に存在する国の大半は、何度か行った事がある。少なくともこの大陸に関しては君たちにとって、道中の世話も出来る案内係は必要だろう?中には危険な場所へ赴く事もあったんだ…多少の苦労なんて屁でも無い」
ジョナサンは決して折れずに自分の有用さを説明し続ける。何がそこまでお前を突き動かすんだとルーファンは少し引き気味に彼を見ていたが、不意にいやらしい目つきでこちらを見てくるジョナサンに対して妙なムカつきを覚える。
「それと…お困りじゃないかと思って。監視がきつくなっている国境や、都市付近の関所を手形も無しにどうする気だ?多少の地域ならうちの会社と、僕自身のコネで安全に入れるように出来るんだがな~。互いにウィンウィンの関係…いや、こちらの負担を考えれば寧ろお得なんじゃないか?なあ」
どんどん早口で捲し立てるジョナサンは、得意げに横目でチラチラと二人を見た。しかし、通行手形や密入国の方法を探す手間が省けるというのは確かに魅力的な報酬である。たとえそれが口数が多く、お節介で面倒な新聞記者を、四六時中同行させるような状況になったとしても。
「…もう好きにしていいわよ」
疲れたのか、熱意に根負けしたのか分からないがサラザールは小声で言った。彼女の意見を聞いたルーファンが一度だけ視線を向けると、期待を募らせたジョナサンが少しだけ身構えながら様子を見ている。はしゃぎながらおねだりをし続ける子供の様だった。
「はぁ…まあ、邪魔しないなら」
嫌そうな顔と共にルーファンが溜息付きで答えを出すと、ジョナサンはガッツポーズをしながら喜んでいた。そのままはしゃぎ倒す彼を無視してルーファンとサラザールは歩き出し、ジョナサンも泥で足を滑らせながら後に続く。その旅の果てに待つ物が身を焦がすほどの破滅であっても構わない。そういった覚悟が確かにあった。
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