第24話 堕落

「…け…しん…っていうと、神様の生まれ変わりって意味の方か?」


 頭の中での整理が追い付かないまま、ルーファンは慎重に尋ねた。


「強いて訂正するなら、生まれ変わりというより代弁者ね。そして、〈幻神〉の力をあなたに分け与えるため、こうして傍にいてあげる様に命じられている」


 ルーファンは言葉の意味を改めて確認しつつ彼女の方を見た。特に変わった様子は無い。発言に対して悪びれたり、変な動揺を見せてるわけでも無くこちらの出方を待っている。考えたい点や質問したい点が山ほど溢れ出し始めたせいで、ルーファンは頭痛がしそうな気分に陥っていた。


「仮にだ…それが真実だとして、なぜそうなった?」


 証言の真偽を疑い始めたら埒が明かないと、ルーファンは彼女の情報を前提にして話を進めていく。てっきりもう少し問答を続けるものとばかり考えていたサラザールにとっては、少々意外な反応でもあった。


「厳密に言えば私の…いや、〈バハムート〉も望んでいたわけじゃない」


 サラザールは話を続ける。


「言い方は悪くなるかもしれないけど、あなたが原因よ」

「…祠に、俺の血がかかったのがマズかったか?」

「ええ。でもそれ自体は決して珍しい事じゃない。〈依代〉を誕生させるためには必要な贄だもの…魔法が使えるようになる仕組みは分かるかしら ? <幻神>を祀る祠に、<依代>として人柱になる者の血を捧げる。そして<依代>になった者と契約を結ぶ事で<依代>を仲介して契約者に魔力が供給されるようになり、魔法が使えるようになる。だけど、今回に関しては想定外の事態が起きた。一つは襲撃、そしてもう一つはあなたの体が持つ素質。私が召喚されたのはそのせい」


 サラザールがそこまで言い切って黙ると、ルーファンは頭の中で話を整理していく。ひとまず彼女がこの国に眠っていた幻神の使いである事、自分にまつわる秘密と今回の襲撃が原因となって彼女が呼び出された事。少しずつまとめていく事で、自然と次にすべき質問が分かって行った。食事によって脳に栄養が回ったのか、冷静さもだいぶ取り戻せて来ている。


「襲撃に関しては…言わなくても分かってる。俺の体について教えてくれ」


 忘れたくても忘れられる様な物ではない。ルーファンは惨劇が脳裏をよぎる度に心臓が大きく鼓動するのを感じた。そのまま彼女が挙げていたもう一つの原因について尋ね始めると、サラザールも意図を汲み取ったのか静かに頷いた。


「人間が体内に蓄えられる魔力には限度がある。勿論、精神や肉体の成長によってある程度は増幅する要素…だけど、あなたの体は一般的な人間と明らかに違う」


 サラザールが言い淀んだ。躊躇いが垣間見えた彼女の言葉にルーファンは当然引っ掛かりを感じる。


「何が違うんだ?」


 変に急かす事なくルーファンは尋ねた。


「肉体に宿せる魔力の量が桁違いなの。常人どころか、〈依代〉になった者達でさえ制御できずに暴走させてしまいかねない量。あなたの体はそれだけの量を平気で吸収し、抑制出来ている…まだ今のあなたじゃ全てを使いこなすには未熟でしょうけど、基礎という部分に関しては確実に化け物の領域に達している。おとぎ話や神話に出てくるような連中みたいにね」


 サラザールはルーファンの肉体について知っている事を一通り喋ったが、どうも受け入れきれない様子でルーファンは彼女を訝しそうに見ている。神様の使い走りさえ驚愕する様な力が秘められているなど、そんな話を簡単に信用してしまう程単純な思考は持ち合わせていなかった。


「必ず心当たりがある筈」


 サラザールは続けた。


「魔法を使っている上で違和感や、他の人間達と嚙み合わない部分が無かった?」

「そんな…」


 そんな事がある訳ないだろう。そう言いかけたが、記憶から探り出していく内に思い当たる節はいくつかあった。というよりも都合が良い形で脳が勝手に結びつけてしまう。さながら胡散臭い占い師に言われた言葉に対し、「心当たりがある」などとほざく間抜けな客のような気分だった。


「飲み込みが早いとは…昔からよく言われてた」


 これに関しては脚色無しの事実だった。訓練所にいた頃でさえ、数回ほど試せば初歩的な魔法は習得できた。召喚した魔方陣を足場として使う空中での移動に関しても、いちいち詠唱をしては出現させていた魔方陣に飛び乗る仲間達を差し置いて、詠唱無しで空中を走り回れるようになったのは同期の誰よりも早かった。上達の速さに教官さえもが驚き、異例中の異例だとして飛び級を認めたほどである。


 勿論才能にかまけていたわけではない。真面目に呪文の発声練習を行い、体力が必要だと分かれば訓練とは別に一人で鍛錬を続けた。そんな彼の姿を見た仲間達が、「努力に勝る天才はいないが、努力をする天才に勝る努力家はいない」などと揶揄い始める始末だった事は、小恥ずかしさのせいで今も覚えている。


 しかし、その天才という言葉にはある種の皮肉も込められていたのだろう。ルーファンの致命的な弱点として、教育係にはまるで向いていないという部分が同期の間では笑いの種にされていた。彼の話を聞きつけた後輩や他の訓練兵達が指導をして欲しいと頼み込む事が時折あったが、そのうちの誰もが二度と頼みに来なくなったほどである。威力や発動しやすい魔法の種類は、持ち前の魔力に依存するという事を知らなかったのもあるが、基本的に肉体の感覚に頼っていたルーファンと常人との間に齟齬が生じていた。


 魔方陣による移動について、詠唱も無しにどうしてそんな短時間に魔法を生み出せるのかと尋ねられた事がルーファンにはある。基礎的なものであろうと魔法を発動するには膨大な集中力が不可欠である。そのため碌に訓練して無いにも拘らず、魔方陣を次々と生み出して空中を自在に走り回るルーファンからコツを聞き出そうとした者は多かった。


 しかし、それに対して彼が言ったのは「魔方陣の召喚を、足を踏み出すタイミングに合わせて頭の中でイメージすればできる」というものだった。それが出来れば苦労しないし、その短時間にどうやって、頭の中で思い浮かべるだけで魔法が発動できるのかという部分を訓練兵達は知りたかったのである。これ以降、新人に対しては「自分が思っている程優れた人間ではない」という現実を突きつけられて心が折れてしまわないよう、ルーファンへ指導を頼むのは禁止という暗黙の了解まで出来ていた。一方で生意気な者に対しては、わざとルーファンに関わらせて初心に帰ってもらうという嫌がらせまで横行していた始末である。


「…じゃあ、魔法の威力が上がっていたのは?」


 心当たりについては触れずに、ルーファンがサラザールへ質問を投げかけた。あの祠で目覚めた際、自分が日頃発揮していた以上の力が出ていた事が特に気掛かりだったのである。


「体が慣れていなかったせいでしょうね。今のあなたが持つ魔力は、これまでとは比較にならない程膨大な量になっている。〈依代〉やその恩恵を受ける魔法使い達が本来得る筈だった魔力の全てをあなたが享受してるんだもの…自分じゃ気が付かないでしょうけど、一度の魔法に使える魔力の上限もきっと変わっているわよ」


 サラザールに告げられたルーファンは、一瞬だけ腑に落ちたような心持になったものの別の疑問によってその昂揚感は掻き消されてしまう。


「お前が本当に〈幻神〉の使い…化身とやらだっていうなら教えてくれ。なぜ助けを寄越してくれなかった?ほんの少しの間〈依代〉が不在だった…それだけの理由で見殺しにしたのか?自分に尽くし、信仰し続けてくれた人々を」


 比較的温和な姿勢で対話を続けたかったが、これに関してはどうしても無理だった。ルーファンは少し俯き、神だろうが何だろうがすぐにでも罵ってやりたいという気持ちで一杯だったが、精神を必死に落ち着かせながら問いただす。サラザールも答え方に迷っていたのか、目を合わせることなくパチパチと音を立てる焚き火を見つめ、やがて意を決した様に鋭い真剣な眼差しを向ける。


「厳しい事だけど、人間を助けるのは〈幻神〉の役目ではない。ただ試練を乗り越えられるための力を与えるだけ。だから魔法という力をあなた達の先祖は手にした」


 サラザールの言葉をルーファンは黙って聞き続ける。いちいち話を中断させていてはじれったさが募るばかりだと分かっていた。


「それ以上の介入は許されない…私達が出張る様になったら、幻神に縋れば全てが解決すると思い上がり、人は自らの意思で動こうとしなくなる。過剰な安心感は精神を堕落に導き、成長を停滞させる。それだけは避けたかった」

「その『力』とやらが使えなくなったせいで、島は滅びたんだぞ。こんな事態すら予測していなかったのか ?」


 〈幻神〉が持つ役割について語っていたサラザールに対して、ルーファンは若干の怒りを込めて文句を口走った。この様な簡単に封じられてしまう様な力しか与えてくれなかった癖に、よくもまあ御大層な事を言えるものだ。恩人である彼女に対して、いつの間にか腹立たしさで一杯になっていた。


 やり場のない鬱憤のみが溜まっていくせいで、ルーファンは眉間を指で押さえたり、頭を抱えて項垂れるしかなかった。誰のせいにしたところで元には戻らない。分かり切っている事だが認めたくなかったのだろう。受け入れてしまったが最後、自分がこれまで築き上げてきた実績や評判がいかに脆弱なものであり、何の役にも立たないものだったと受け入れざるを得なくなってしまう。こんなに面倒な性質のプライドを自分が抱えているとは夢にも思っていなかった。


「すまない…分かってるさ、誰のせいにした所で無意味だっていうのは」


 ルーファンは呟いた。


「結局、よりにもよって俺一人が生き残ってしまった…」

「そのせいであなたは諦める事が出来なかった。でしょ?抱え続けた人々の怒りと、悲しみを弔いたくて最後まで食らいつこうとした。そんなあなたの強さを見たから〈バハムート〉も選んだの…器として」


 体を強張らせて溢れ出そうになる感情を押し殺すルーファンに対し、サラザールは必死に戦いを続けようとしていた事は分かっていると彼を励ます。彼女が最期の言った一言は、ルーファンを我に返らせて思わず顔を上げさせた。


「器?」

「ええ…あのまま<聖地>が荒らされていたら、きっと〈バハムート〉も姿を現さないといけなくなっていた。リミグロンはそこに狙いを付けて倒すつもりだったんでしょうね。もしかすれば殺されるかもしれない…それを阻止するために最後の賭けに出た。自身の体や魂、その全てを魔力へと変質させてあなたの体内に吸収させた。わざわざ命まで与えてね…因みに言っておくけど、次は無いわよ」

「つまり、今の俺の体は…」

「ええ、宿っているの。〈バハムート〉が」


 ただでさえ激しくなる頭痛がさらに悪化しそうな程、ルーファンの中には混乱が渦巻いていた。考える事をやめてしまえば楽になるだろうが、仇討ちを果たせなかった後悔がそれを許そうとしなかった。リミグロンを倒さなければならない。そのためには今置かれている状況を把握せねば。


「俺は<聖地>に祀られていた祠へ血を捧げて、〈依代〉になったんじゃないのか?〈幻神〉が…俺の中にいる?」


 膝に肘を立て、頭を顔に手をついていたルーファンが聞き返す。今こうしている間にも自分の体の中に自分とは異なる存在が蠢き、とぐろを巻いていると知らされてはたまったものではない。体への害に対する心配は勿論だが、それによってどうして力を得る事が出来ているのかが分からない。


「〈依代〉以上に強大な存在になったの。当然よね…本来なら〈聖地〉から発せられ、〈依代〉を媒介した後に人々へ分け与えられる筈の魔力。その全てがあなたの体に蓄積されているんだもの。その代わり、〈依代〉がいないせいで、他の人間に魔力を分け与える事は出来なくなっている」


 サラザールは出来る限り分かりやすく説明するが、どこまで行こうが彼が人ならざる者になりつつあるという一点だけは誤魔化せなかった。


「〈依代〉にしなかったのには理由があるのか?」


 ルーファンが口を開いた。


「得体のしれない俺なんかに賭けるよりも、魔法の使い手を増やすのが先決だったろうに。一人では出来る事に限りがある」

「あの時点で戦える人間はもう島に残っていなかったの。そんな状態で〈依代〉を作り出しても、〈聖地〉が破壊されてしまえば何の意味もない。〈幻神〉の力を絶やすわけにはいかなかった。生き延びて、この力を受け継いでくれる存在が必要だった」


 サラザールのその言葉は、ルーファンが自分にとって誇りとしていた物がどれほど貧弱な存在だったのかを再度思い知らせた。もう何も残っていない。帰る場所も、頼れる仲間も、地位も全てが灰になった。あるのはこの人外と化したらしい体と、静かに湧き上がる凶暴な殺意だった。元凶となる者達に落とし前を付けさせる必要がある。戦いは終わってない。このままで終わらせるわけにはいかない。


 ルーファンは遠くに置かれている剣を見つめる。兵士となった日、義父が託してくれた贈り物が遺品になるとは思わなかった。武器もある。力も…ひとまずはある。後はこの内に秘めた殺人への欲望に際限がない事を祈るしかない。


「…君には使命があると言っていたな」


 ルーファンが言った。


「俺に協力をする事が使命だと…記憶が正しければ言っていただろう?なぜだ?」

「頭の中に残っているたった一つの命令。『神々の器となりし戦士を導き、守護せよ』…逆らおうにも逆らえない化身としての役割って感じ」

「なら、手を貸してくれないか。奴らを倒すには力だけじゃない…それを使いこなせるだけの技術を身に付けないといけない。情報収集も、鍛錬も…とにかく色んなものが必要だ」


 ルーファンは意を決して彼女へ言う。すぐにでもリミグロンについて情報を集め、誰一人として逃がすつもりはないという確固たる意志はあるが、今の自分では無策に突っ込んで行っても犬死するだけだと分かっていた。今の自分が持っている力がどれほどの物かを彼は確かめたかった。


「あなたが望むのであれば止める理由なんてないわ。でも一つだけ忘れないで。分かっているとは思うけど、動き出した先に待っているのは終わりのない戦いよ。一度入り込めば二度と抜け出せない怨嗟の螺旋…そこで一生戦い続ける覚悟はある?あなたが生きている事は恐らく今なら知られていない。まだ間に合うわ。諦める事だって出来る」

「そしてあの世で皆に何と言えば良い?全てを忘れてのうのうと暮らしていましたとでも言うか?」


 サラザールがこれから進もうとしている道の危険性と辛さを示唆するが、ルーファンには選択肢などありはしなかった。この戦いの記憶と、それによって生じた後悔を抱えたまま生きる事は死ぬ以上の苦痛を心に与えてしまう。罪悪感や死んでいった者達が自分の事をどう思うだろうかという不安から来る息苦しさ、それが一生続いてしまうなど耐えられない。生き残ったうえに力を与えられた。もしかすれば彼らのために戦えというお告げかもしれないと、ルーファンは運命とやらを信じ始めていた。


「全てを失ったって良い。奴らの息の根をこの手で止めて、必ず報いを受けさせてやる。連中が自分の行いを悔いて、泥水を啜って足元に縋り付き、許しを請おうが止めるつもりはない」


 ルーファンは決意を語り、風に煽られて勢いを増した焚き火を見ていた。蠢く火はさながら苦しみに悶えているかのようにうねっている。サラザールはその人としての温かみを感じない彼の気迫を前に、特に大した反応も示さず眺め続ける。しかし自らの本体である〈バハムート〉は、どうやらとんでもない人間を引き当ててしまったのかもしれないと密やかに不安を感じていた。

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