第21話 戦慄

 今の内と見たのか、サラザールは力づくで自身を拘束していた鎖を引きちぎり、近くにいた兵士達を始末すると唐突な出来事を前にうずくまっているジョナサンを抱きかかえる。そしてどこからともなく生やした翼で飛び上がった。空へと飛びあがっていく内に闇を突き抜けて、月の輝いている夜空が再び現れる。


「な、何だ…おわああああ!」


 自分がどういう状況か分かっていなかったジョナサンは、眼下に広がっている街の姿を見て情けなく叫ぶ。先程までいた場所は闇によって作られた巨大なドーム状の瘴気が佇んでおり、その表面は漆黒の靄が蠢いていた。


「うるさい。落とすわよ」


 サラザールが言った。背後から自分に腕を回すようにして抱きかかえてくれているせいか、自分の足は宙へダラリと下がっており、自分の背中に彼女の胸部が当たってしまうせいか言いようのない複雑な心境に苛まれた。そんな事を知る由もないサラザールは闇の瘴気が届いていない高台へ彼を降ろし、目を凝らしながら状況を見る。


「アレは何だ⁉」


 ジョナサンが叫んだ。


「真っ暗で何も見えなかった…それに、君はどうやって僕を見つけた?」

「アレは見ての通り魔法よ。話が複雑になるから省くけど、簡単に言えば彼の発動する魔法は私に効力を成さない」


 サラザールは要点だけを述べて暫く状況を見ていたが、間もなく激しい閃光と共に闇の瘴気が吹き飛ばされる。怒り心頭といった風に大槌の石突を地面に叩きつけていたオニマだったが、彼の目の前に広がっていたのは縄から解放された人々と、全滅した配下の兵士達だった。サニーを始めたとした民衆は、暫く視界が塞がれた後に見せつけられた惨劇に対して、それを引き起こしたのだと思われるルーファンの後姿へ畏怖の念を抱く。


「あなたは…一体…?」


 サニーは震えながら呟き、その言葉に反応したルーファンが振り返える。彼の悲し気な顔の意味がサニーには分からず、ただひたすらに困惑するばかりだった。


「ルーファン!」


 空から声が聞こえたかと思いきや、再びサラザールに抱えられたジョナサンがルーファンの前に降り立つ。そして虎の威を借る狐と化した彼は、ざまあ見ろと言わんばかりにオニマへ笑顔を見せつけた。


「下がっててくれ」


 ルーファンが邪魔そうに言った。


「もう終わらせる」

「勿論だとも!…やいデカブツ、見たか!どうせハッタリだと思ったんだろバーカ!」


 ここぞとばかりに小物臭く煽り倒すジョナサンを見かねて、サラザールが外套の襟を掴んで乱暴に彼を引き摺って行く。雨はさらに強まり、前髪からしずくが滴ってしまうがルーファンは気にも留めなかった。


「数年間行方をくらましていたかと思いきや、まさかこんな形で貴様に会えようとはな」


 オニマは大槌を握る力を更に強くしながら言った。先程の魔法や、再び自分と相まみえたルーファンの風貌、そしてその顔付きは嫌でも彼に予感させた。間違いなくあの時よりも強くなっている。


 一切語ろうともせずにルーファンが剣を構える。サラザールは周りにいる人間達に避難をするように叫んで、必死に騒ぎながら酒場や他の頑強そうな建物へ駈け込む民衆を見送った。そのまま周囲を見張る様に扉の前で佇む一方で、ルーファンとオニマの様子を観察する。


「勝機はあるのかい?」


 彼女の隣から恐る恐るジョナサンが言った。


「きっと出来るか出来ないの問題じゃないわよ、彼にとっては」


 サラザールは目を合わせることなく返事をする。


「まあ…ここで負けるようなら今までだって生きてこられる筈がない」


 ジョナサンの不安を宥めようとサラザールはいくらか言葉を付け足し、背後にある扉へともたれ掛かって背中を預ける。一方でオニマも大槌を軽く振った後に構えを取った。強まった雨の音さえも遠くなっている。そう思える程に長く沈黙が続き、誰もが目の前で起ころうとしている決闘に息を呑んでいた。


 体力や気力の消耗で激しくなっていたルーファンの呼吸が落ち着いた頃、オニマが俊敏な動きで距離を詰めてきた。横薙ぎに迫る大槌から距離を取って躱すルーファンだったが、鼻の先を僅かに掠めそうになる。尋常ではない熱を感じ取り、ヒリヒリとする鼻の先の痛みを誤魔化すためにルーファンも負けじと応戦する。


 オニマの得物が大きい分、どのように動くか予想はしやすいものの破壊力は凄まじかった。大槌が何かに当たる度に、叩かれた全ての物が音を立てて閃光や衝撃波と共に砕け散る。そして破片は纏っている白い光の熱で音を立てて溶けてしまった。絶対に攻撃を当てられてはならないと、ルーファンは攻撃を躱して間合いを詰めるが、蹴り飛ばされて民家へと転がり込んだ。


 立ち上がる彼に向かってオニマは大槌を振り下ろすが、空を切って床へと叩きつけてしまう。その瞬間にルーファンはすかさず引き寄せの呪文を唱え、近くにあったテーブルや家具を叩きつける。そして怯んだオニマの死角から彼へ掴みかかり、首筋に剣を突き刺そうとする。


迸れフ・ラボ!」


 危険を察知したオニマがすぐに呪文を唱えると、辺りが眩い閃光が煌めく。瞼を閉じようとするが間に合わなかったルーファンは、馬鹿正直に閃光を見てしまい視界がチカチカと点滅した。しかし自身へ迫る気配から、止まっては危険だと後ろへ必死に下がる。間もなくボンヤリと視界が晴れ、へたり込んでいた自分の頭上に大槌が振り下ろされようとしていた。


放てリパス!」


 ならばお返しだとルーファンは呪文を叫ぶ。手が闇に覆われると、そこから無数の光弾が発射された。先程戦っている最中に防御呪文で吸収した攻撃の一部である。その突然の不意打ちは致命傷にこそならなかったが、攻撃を止めるには十分だった。光弾の数々が直撃し、衝撃のあまりオニマは民家の壁を突き破って外へ放り出される。鎧に付いた焦げや激しく損傷した兜を腹立たし気に外し、それを投げ捨てながらオニマが立ち上がっていると、少し時間を置いてルーファンも建物から現れ、オニマに向かって再び剣を構えた。


(手、貸そうか?)


 サラザールはテレパシーで伝言を送る。


(いや、大丈夫。皆を頼む)


 ルーファンからは問題無いと返事が来る。この男だけは自分自身の手で始末しなければ気が収まらないと、彼は確かに興奮をしていた。ようやく義父や、ソリス、失意の中で散って行った同志達の仇が討てるのだと。


「うおおおおおお!」


 しばらく円を描く様に動き、互いに牽制し合っていたが、オニマが民家を背にするとルーファンは叫んでから駆け出した。オニマもまた走り出してどの方向から来るかと必死に予測を立てる。しかし真正面からこちらへ向かって来るルーファンに対して、土壇場であるにもかかわらずオニマには違和感が芽生えた。先程の戦いからしてリーチの差や力比べでは不利だと分かっている筈だというのに、なぜ正面から立ち向かおうとするのだろうか。


 しかし目前へ迫るルーファンの殺気に耐えきれず、オニマは大槌を振るってルーファンへ叩きつける。結果だけで言えば命中した。しかし、手ごたえは一切ない。体の側面へ大槌を叩きつけられたルーファンの体は、黒い靄となって風に舞う様にして消滅する。呆気にとられたオニマだったが、どこからか突き刺さる様な寒気を感じた事でようやく悟る。今のは囮だ。


宿れドウェマ・ネト


 聞こえた呪文に戦慄し、上を見上げた頃には剣を逆手に持ったルーファンが頭上から飛び降りて来ていた。空中を移動し、真上から奇襲を仕掛けるために彼は闇の魔法を使って分身を生み出してた。本体が潜んでいた民家の屋根へ意識が向かないようにするため、「影よ踊れシャウラ・ダラル」という詠唱によって行われる呪文で分身を作り出し、それを利用してオニマに背を向けさせたのである。


 辛うじて頭を逸らして即死を避けようとするが、憑依呪文で闇を纏っている剣は鎧と鎖骨を貫通し、深々と突き刺さった。噴き出て来る血を顔に浴びながらルーファンは着地し、そのままオニマを押し倒す。抵抗しようとしていた巨体から力が抜けていき、やがて震え出した。


「俺を…殺した所で…何も…変わらぬ…」


 オニマが囁き出した。


「せいぜい…藻掻き、苦しむがいい…これから…始まる……果てしない…戦いに…」


 声を聞いたルーファンだが、何も言わずに立ち上がって乱雑に剣を引き抜いた。遠くからまばらに足音が響く。振り返ると、関所へと繋がる路地から残りのリミグロン兵が現れていた。


「そんな…隊長が…」


 一人の兵士が気づいたのか、震えながら言った。


「嘘だろ⁉」

「馬鹿な…」


 口々に声が漏れ始め、彼らから戦意が失われつつあるのをルーファンは狼狽え方からすぐに察する。いつでも防御呪文を発動できるようにと左腕に魔力を込め、腕全体を闇で覆いながら彼らの方を向く。そして静かに、しかし明確な殺意を剥き出しにした瞳で睨みつけながら歩き出した。


「ク、クソ! ミノタウロスを出せ !」


 指揮を執っていたオニマの側近が叫び、リミグロン兵は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。彼らを追おうとするルーファンだったが、想像以上に体力を使っていたせいか少しよろけてしまった。その間に兵士達の姿が消え、やがて上空にあった飛空艇から大きな影が二つほど飛び降りる。


 牛の顔に毛むくじゃらの上半身、そして蹄が特徴的な足が生えている。彼らの両手にはわざわざ特注で作ったらしい斧が握られていた。付着している血痕を見る限り、これが初陣というわけではないらしい。


「ブォオオオオオオオオオオ‼」


 二体のミノタウロスが咆哮を響かせる中、肩で息をしていたルーファンの背後にサラザールは立った。


「”あれ”をやる気でしょ ?」


 サラザールが首を鳴らしながら言った。


「頼む」


 ルーファンが即答するや否や、サラザールは彼の両肩に手を置く。そして口を大きく開けて夥しい数の牙が生えた口でルーファンの首筋に噛みついた。

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