第20話 狩り
両手を頭の後ろへ回したまま、人々は続々と酒場から引っ張り出された。そして荒らされてしまった市場の残骸にまみれている広場へ跪かされる。震えが抑えきれない者や、しきりに周囲を見回す様な物は見せしめも兼ねて銃床で顔を叩きのめされた。
「隊長、これで全てです」
側近はオニマへ敬礼をし、酒場に籠っていた者達を全員集める事が出来たと報告をする。遠目から彼らを見ていたオニマは次に、サラザールを拘束しようと集まっている兵士の方へ目を向ける。
「鎖か何かあれば、ついでにあの女の足も縛っておけ」
オニマが言った。
「暴れられると面倒だ」
兵士達はすぐさま返事をし、間もなく誰かが鎖と錠、それから重りまで持ってくる。本来はワイバーンの拘束に使うための道具らしかった。サラザールは変に抵抗するわけでも無く、不気味なほどに大人しくしている。自分はともかく、有象無象の兵士程度の相手ならばいくらでも出来るだろうに。オニマは怪訝そうにしていたが、やがて例の剣士が関係しているのだろうかと急に閃く。
いずれにせよ来てくれるのであれば好都合だと、オニマはほくそ笑んでから地面に組み伏せられているサラザールへ歩み寄る。そして彼女の頭を足で踏みつけた。
「さしずめ英雄様のご到着を待っていると行った所か、ん?」
オニマは尋ねるが、彼女は無言を貫いたまま睨み続けるだけだった。
「まあ良い。いずれにせよ殺すのみだ」
足に体重を掛けながらオニマが喋る。頭が少々締め付けられる様な痛みに苛まれ、サラザールは面倒くさそうに少し藻掻いた。人質さえいなければすぐにでも鼻柱を折ってやるのに。そう思っていた矢先、人質の群れの中から声が聞こえる。
「い、一応忠告しておきたいんだが…あまりそういう事はやるもんじゃないぜ、旦那」
サラザールが少し視線を変えてみると、ジョナサンが慎重な姿勢でオニマに向かって声を張り上げていた。すかさず近くにいたリミグロン兵が彼の顔面に蹴りを入れて黙らせようとする。
「おごっ…ああ、なんてこった…歯が折れた…」
ジョナサンは呻きながら何とか起き上がる。露骨に不機嫌そうな顔を浮かべて向かって来るオニマへ、苦笑いを浮かべていた矢先に頭痛が襲った。こめかみを金槌でぶたれたような鈍痛がジワリと広がる。
(その調子)
頭に響いたサラザールの声に驚いたジョナサンが周囲を見回した後に、彼女の方を少し見る。サラザールは特に目を合わせることなく、相変わらず地面に突っ伏していた。
(余所見しないで)
再びジョナサンの脳内で声が聞こえて来た。どういう事かと思っていた直後に、オニマが自分の外套の襟を掴んで高々と持ち上げてくる。
「忠告か。何様のつもりだ?」
自分に対して明確な敵意を抱き、そして不愉快だと思っている事が強めの語調から手に取る様に分かってしまう。ああ、余計な事を言わなきゃよかったと首を突っ込みたがる悪癖を呪いたくなった直後に、再びサラザールの声が頭に届いた。
(彼が来る。時間を稼いで。喋り続けて)
彼とはルーファン・ディルクロの事だろうか。ジョナサンは頭の中で問い返してみるが返答はない。随分とはた迷惑な頼みをしてくれる事に不愉快さを顔に出そうとしてしまう。
(顔。バレるからやめて)
しかし再び声が聞こえ、今度は叱られてしまった。すぐに我に返ったジョナサンは自分の生殺与奪権がオ二マに握られている事を思い出し、慌てて冷静さを取り戻そうとする。
(気を逸らして)
気を逸らすと言ったってなぜだ。ジョナサンは必死に考えていたが、殺される事なく全員が集められたという違和感に気づく。占領するつもりならさっさと殺せばいい物をなぜ?まさかこいつらは人質にでもして「解放して欲しかったら大人しくしろ」などと、三流の強盗じみた要求をするつもりだろうか。阿保らしい。噂の又聞きになってしまうが、それを彼に対してやった結果、人質ごと殺されたり、「じゃあやってみろ」と脅し返されたなんて話まである。どこまで本当か分からないが、少なくともそれらを想定をしない程ルーファンがマヌケじゃないのは確かだった。
さらに言うならば、彼の相棒であるサラザールが使っているこの不可思議な声の伝達についてもジョナサンには引っ掛かった。もしかすればこれを使って既に現状を伝えているのでは?つまり何かしらの対策を講じるまでの時間稼ぎが必要になっているという事か。いや、自分を助けてくれる可能性だってある。彼がどう思っているかは知らないが、闘技場で情報を渡したという点に関しては、彼に対して貸しがあると言っても良い。それを蔑ろにするような男ではない筈だ。よし、そうとなれば俄然やる気が湧いて来た。
「ぼ、僕を殺す気か?そんな事をすれば…か、”鴉”が黙って無いぞ!」
ジョナサンは体の震えが止まらないのを無視して、必死に声を出した。オニマは怖気を見せてはいるが突然威勢が良くなった彼の姿を興味深そうに見つめる。
「”鴉”…フン、奴の名を使えばこちらが怯むかもしれないという算段か。貴様を殺せば奴が来てくれると、そう言いたいのだな?」
不機嫌そうな様子でオニマが語った後に更に首を強く締められるのを、ジョナサンは呼吸のし辛さで感じ取った。苦しさのあまり、思わず涙で目が滲み始める。だが悪い事ばかりじゃない。この程度のハッタリに気を逸らしてしまうとは、図体ばかりに栄養が行ってしまったせいで肝心のおつむはクルミ程度の大きさにしか育たなかったのだろう。
「う、嘘じゃないぞ…!彼は僕に貸しがある…!それなりの仲ってわけだ…それに、もし僕が既に奴を呼び寄せているとしたら?」
ジョナサンは矛先が他の人々へ向かわないように苦し紛れの虚勢を続ける。ルーファンやサラザールがどう思おうが、自分が生き残る事が最優先というのは大前提である。しかし、見殺しに出来るほどの小賢しさや卑しさは持ち合わせる事が出来なかった。
「この場に来ていると?」
オニマが反応した。
「こうして大事なお友達が殺されそうになっているのを、黙って窺っている様な腰抜けというわけか」
「知らないのか ? 狩りに長けた獣ってのは…待つ事の重要性を知っているもんさ」
ジョナサンはすかさず言い返した。
「どこかの大っぴらに暴れるしか能のない駄犬の群れとは大違い…あんた達が勝利を確信し、死角をがら空きにして、ぬか喜びする間抜けな様を拝みたくて仕方ないんだ。そんな奴ら程つついただけで火が付いた様に大騒ぎし、無様に取り乱してくれるからな…!」
どんどん壮言が膨らみ、もしかすればルーファンより自分の発言に対して立腹するのではないだろうかと不安になってしまう程にジョナサンは挑発を続ける。ここまで来てしまったからには時間稼ぎという目的以上に、彼自身の他人を弄りたくて仕方がない困った性分の暴走に身を任せるしかない。
そんな彼の罵倒は、どうやら逆鱗を撫でる事ぐらいは出来たのかもしれない。オニマは勢いよく地面にたたきつけ、思わずむせてしまうジョナサンへ蹴りを入れて吹き飛ばした。服が泥にまみれ、地面を嫌という程転がされたジョナサンは脇腹に鈍い痛みを感じる。全てが終わった後に、最寄りの医者に行けるだけの体力が残っている事を祈るしかなかった。
「ならばお望み通り奴に来てもらおうか。変わり果てた貴様の姿と、悲鳴を狼煙にしてな」
そう言いながら歩き出した時、彼の外套から落ちたと思われる手帳が雨に濡れているのを見た。口から血の混じった唾を吐き出していたジョナサンは、泥に浸かっている手帳を見て舌打ちをする。反応からして他人には見られたくない物らしい。オニマは嫌がらせも兼ねてその不審な落とし物を拾い上げると、流し見する程度にパラパラとめくってみた。彼が訪れた場所で出会った人々や、そこから得た情報についてが箇条書きで細かく記されている。この地で囁かれ始めている”鴉”の伝説や、リミグロンについての内容が主であった。
栞代わりに使っているらしい名刺がページに挟まっていた。オニマは手に取ってからしげしげと眺め、やがてジョナサンの方へ視線を送ってから鼻で笑う。
「そういえば聞いたことがある。根も葉もない我らの噂をばら撒き、啓蒙者を気取って高値で新聞を売りつけている悪徳な商人がいるとな…そして奇遇な事に、この名刺に記されている紋章はその会社のものと良く似ている」
「似ているじゃなくて同じ会社なんだから当たり前さ…あんた、物覚えが悪いって周りに言われた事あるだろ?」
尚もしつこくジョナサンはオニマを揶揄う。本当ならば何も言うつもりは無かったのだが、オニマがレイヴンズ・アイ社について言及をしたことで心境が変わった。根も葉もない?高値?記者自らが足を運び、時にはそこらの冒険家も裸足で逃げ出す様な旅路を歩む。そうして大陸中から興味を抱かずにはいられないネタを発掘しようと懸命になっているウチの会社を馬鹿にしたのかと、ジョナサンの中では怒りが沸々と滾り始めていた。掲載しているのは厳選された特ダネばかり。そこらの落書き紛いの狂言で金を取ってる様な連中と一緒にしやがってという、自分が設立に携わった会社へのプライドが彼を憤らせた。
「貴様が必死に嗅ぎまわっている理由は知らんが、この手帳を燃やして今日見た事は忘れるというなら見逃してやろう。或いは…『リミグロンを非難したのは間違いだった』と、民衆の前で公表してもらってもいい。両方やってくれるというのが理想だがな」
寛大な処置をしてやるとでも言わんばかりにふんぞり返っているオニマだったが、随分とせせこましい事を気にするんだなとジョナサンは思った。正しい事をしているというならどっしり構えてればいい物をわざわざ訂正しろとは、プライドだけは一丁前に高いステレオタイプな小物といった言動である。
「噂通り、リミグロンってのはケツの穴が小さい奴しかいないらしい。自分達の信念とやらを誇りに思っていないのか?だから他人の目なんか気にしてしまう」
もう殺されてしまってもいい。ジョナサンがそう思いながら苦痛を堪えて馬鹿にしたような笑顔を向けると、オニマは無言でズカズカと歩き出した。そして彼の首を掴んで先程とは比べ物にならない力を手に込める。息が出来ない。
「聞こえんな。もう一度言ってみろ」
オニマが冷たく催促した。
「カッ…ハァッ…載せる情報に…嘘は…つかない。それが…僕の信念であり…誇りだ。あんたらがどう思うが…リミグロンの蛮行は…誰を問わず、知る権利がある」
言葉を聞こうとオニマは手を緩めたが、やはりジョナサンは屈することなく言い返して来た。一瞬、オニマから視線を逸らしていたジョナサンだが、すぐにまたオニマを睨みつけて言葉を続ける。
「あんたなんか、怖くないぞ…僕、いや僕達には……”鴉”がついてる」
ジョナサンが喋っていた頃、酒場の屋根の上から様子を窺っていたルーファンが弓矢を構える。そして弦を引き絞りながら、オニマの腕へ狙いを定めた。
「
口で呪文を唱え、矢じりに魔力によって黒い靄が纏わり付いた瞬間に矢を放つ。小さく風の音を立てて飛び出した矢は、ジョナサンの首を絞めていたオニマの鎧の腕部に突き刺さった。敵襲を悟ったオニマや彼を始めとしたリミグロンの兵士達が動き出そうとした次の瞬間、矢じりに宿っていた闇が強烈な勢いと共に溢れ拡散し、何が起きているのかを気づかせる前に地や空、そして人々の視界を塞いだ。一寸先どころか足元、体の動きさえ分からない程の濃厚な闇の瘴気は異常に生暖かく、口を開けている内に体の中にまで浸食してしまうのではないかという程の生気を持っていた。
「何だ⁉」
「前が見えない!」
「どこにいる…ぎゃあ!」
兵士達が叫び、状況を整理しようとしていた直後に悲鳴が聞こえた。それが仲間の物だと気づいたリミグロン兵達は、途端に怯えや狼狽えを隠さず声に出し始める。一人、また一人と物音無く殺されていく最中、サラザールにだけは先ほどと変わらない光景が見えていた。彼女の目に映っているのは、虚空に向かって銃や手を振り回して闇を振り払おうとする動作を見せる間抜けな雑兵と、彼らへ忍び寄って次々に始末していくルーファンの姿だった。
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