第9話 斜陽

 その頃、海岸やその周囲を取り囲む丘陵と崖には、大砲や弓兵によって編成された部隊が待ち構えていたが、こちらへ着実に押し寄せている大軍に言葉を失った。それと同時に、突然現れたという報告が抱えていた不可解な点に対する答えを、漏れなくその場にいた全員が理解する。


「あれは…一体?」


 弓兵が設置された大盾の裏に隠れながら様子を窺い、思わず声を漏らす。荒れ狂った白波が行き交う海の向こうでは、光の壁がまばらに出現していた。その光の中から次々と軍艦と思わしき鋼色の箱舟が現れた。どれも流動的な装飾やレリーフが刻まれ、大砲と思わしき巨大な砲塔が船体と甲板に備えられている。


 恐らく確認できるだけでも大小合わせて二十隻以上の船舶が荒波をものともせずに近づいている。これでは魔法を使えたとして太刀打ちできるか分からない。次第にそう思い始める者さえ現れた。


「動きが止まりました!」


 丘陵で待機していた戦闘部隊の見張りは、望遠鏡を覗きながら叫ぶ。傍らで聞いていた戦闘部隊総隊長、ギルバス・エンハートは何を企んでいるのかと静かに様子を窺う。海岸まで目と鼻の先だというのに、敵艦たちは微動だにしない。


 その時、軍艦の内の一隻が砲塔の向きを変える。そして砲口から眩い閃光が発せられた。直後に三日月状になっている海岸の遥か右端、断崖絶壁となっている岩場が爆発した。大砲が発する爆発音や放たれた砲弾が飛来する音さえせず、まさにあっという間の出来事であった。


「くっ、攻撃か!」

「だが、次が来ないぞ?」

「時間が掛かるのかもしれん!今のうちに反撃を――」

「待て!何かがこちらへ向かって来る!小型の船だ!」


 突然響いた轟音と辺りに迸る衝撃や爆風を味わい、慄いた兵士達は口々に叫ぶ。ギルバスも交渉の余地はないのかと覚悟を決めていたが、偵察を行っていた兵士が敵影の接近を報せた。攻撃を行った軍艦よりも明らかに小さく、少々角ばった長方形の見た目をしている船である。そのまま浅瀬へと近づき、蒸気のような物を撒き散らしながらハッチが開いた。パージット王国の兵士達は誰一人気付かなかったが、船内では装備をガチャガチャと言わせながらリミグロン兵が待機している。


 一人の巨漢が現れた。続いて彼の付き人と思われる二人のリミグロン兵も開いたハッチから海へと降り立つ。膝下を濡らしながら浜辺まで歩き、やがて丘陵の様子を確認していた。


「戦闘をする意志はないのか?…兵士を確認に向かわせろ」


 ギルバスが命じると、副隊長である壮年の男が頷いた。そのまま数名程引き連れて馬を使って浜辺へと下っていく。その後ろ姿を見送る一方で、いつでも大砲を撃てるようにしておけとギルバスは耳打ちをし始めていた。


 副隊長とその部下達は浜辺で待つ大男の前に着くと、馬から降りて胸を張りながら目の前に立つ。見上げてしまいそうな大男だったが、ここで退いては嘗められてしまうと意気地になっていた。


「こちらの意図を汲み取ってくれた事に感謝する。私の名はオニマ・コーネル」


 オニマは手を出して握手を求めるが、当然の如く無視されてしまう。


「ザイモン・リカードだ。先程の爆発はそちらの仕業か?釈明があれば聞こう」


 副隊長が名乗った。


「何てことはない。ただのデモンストレーションにすぎん。その気になればいつでも始められるという意味だがな。集中砲火を食らえばひとたまりもあるまい」


 オニマの発言にザイモンを始めとした兵士達は生唾を飲み込む。あれだけの威力を持つ攻撃を幾らでも繰り出せるというのだろうか。もはや魔法がどうとかいう問題ではない。そうして彼らが気圧され始めているのオニマは察したのか、鼻で笑って話題を変えた。


「しかし、我々とて不必要な殺戮を行いたくはない。いつの世も戦わずして勝つというのが理想だ。違うか?」

「何を欲している?土地か、支配権か?」

「〈聖地〉と〈依代〉だ。我々の目的は〈聖地〉に眠る〈幻神〉と、そこから力を享受している〈依代〉の抹殺。差し出すのであれば目的を果たし次第、一刻も早く去ろう。領土に興味はない、支配もしない。貴殿らは何事も無く今まで通りに暮らせば良い…それとも、この場で最後の一人になるまで殺し合うか?殺し合いになるかどうかさえ分からんが」


 オニマの要求が口から出た瞬間、ザイモン達は背筋が凍るような緊張感に駆られた。〈聖地〉から〈依代〉が享受している魔力は、島に住む兵士達へと分け与えられている。魔法の源として防衛や秩序の安寧に不可欠な要素であり、それを失ってしまえば今まで通りの日常など易々と淘汰されることが分かっていた。実情は違うのかもしれないが、民が軍や王族に逆らわないのも、魔法とそれを扱う事の出来る兵士の存在が大きい筈である。他国もきっとこの国の領海や土地を放っておかないだろう。内外の双方から押し潰され、瓦解するのが目に見えている。


「オニマ殿、暫し待たれよ…一言一句間違えずにギルバスへ伝えるのだ。急げ」

「はっ!」


 ザイモンが重々しく命じると、部下はすぐに応じてギルバスのもとへ向かった。慌ただしく馬で駆け戻って来るザイモンの部下を、兵士達は脂汗を滲ませながらひたすら見守っていた。しかし、オニマから発せられた要求が伝えられるや否や、抱いていた不安が掻き消された後に怒りへと変わった。


「何だと⁉」

「俺達をコケにしやがって!」

「だがどうする…?」

「隊長!指示を!」


 口々に叫ぶ兵士達だったが、ギルバスは沈黙を貫いたまま海を睨んでいた。勿論彼らの要求は許しがたいものであるが、この場で憤りのままに突っ込んで行った所で望みは薄い。防衛隊によって〈継承〉さえ行われれば魔法が使えるようになり、自軍にも勝機が見えてくるがいかんせん博打である。魔法が使えるようになるのを待つべきか、それとも最初の指示にあった通り徹底抗戦を行うか。ギルバスが悩んでいた時、周囲に渦巻いていた怒号が消えて再び戦慄の叫びが聞こえ始める。


「…あれは…⁉」


 ギルバスは呆然とした。空には楕円状になった光の扉が無数に浮かび、戦艦たちと同じようにその中から得体のしれない物体が出現する。まるで翼の付いた巨大な船であった。


「ようやくか。これで全部だ」


 空を飛行する戦艦に目をやったオニマは呟く。


「飛行船に指示を出して空爆の準備をしろ。なるべく被害のデカい場所を探せ」


 そしてザイモン達に聞こえないように側近へ耳打ちをした。軽く頷いた側近はその場を立ち去り、自身が搭乗していた揚陸艇へと乗り込んでいく。ザイモン達に見られない位置から腕に付いていた通信装置を起動した。


「航空部隊、周囲の旋回及び攻撃の準備を開始せよ。ワイバーン部隊は待機、攻撃が始まった際はそれに乗じて侵攻を行え」


 大型の飛行船が音を立て、金属質で強固そうな翼やプロペラが動き出す。船体の背後に備えられていた噴射口からは炎と黒煙が入り混じった凄まじい爆炎が放たれ、推進剤となった事で一気に加速した。その飛行船を取り巻く様にワイバーンに跨って空を飛ぶ兵士達もいる。その軍勢が内陸へと向かっている事に気づいたザイモンは青ざめた。


「何の真似だ⁉」

「貴様らが我々に降り、協力するというなら手を引かせる。早くしろ。気が長い方ではないからな」


 憤るザイモンを相手に、オニマは冷たく言い放った。間もなく背後からギルバスの伝言を受けた部下が戻って来る。そして静かに耳打ちをした。


「当初の命令通り…徹底抗戦です」


 躊躇いがあるのか、兵士は少し言い淀んだ。今の状況ではどう足掻こうが犬死するしかないだろう。彼はそれを既に分かっていたのである。


「要求は呑めない…この地へ足を踏み入れた事を後悔させてやる」


 ザイモンは意を決してオニマへ顔を向け、睨みつけながら吐き捨てる様に言った。現状を鑑みようともせず、こうも強気でいられる楽観さにオニマは少し驚いたように首を動かす。馬に乗って戻って行くザイモン達を見つめ、やがて背後から再び現れた側近へ顔を向ける。


「戦艦による砲撃を開始しろ。兵士達にも上陸の準備をするよう言うんだ。つけあがった田舎の猿どもに地獄を見せてやれ」


 オニマの命を受けた側近によって、間もなく攻撃開始の指令が下された。岩場が破壊された時の様に、次々と砲塔から光が放たれ、間髪入れずに各地で爆発が起きる。弓兵たちはリミグロン兵が上陸するのを見計らって弓を放つが、鎧に阻まれるせいで思う様に倒す事が出来ない。そうして困惑する間にも、戦艦による攻撃の餌食となった。


 飛び散る土と小石、そして血肉が混ざり合い鉄と泥の臭いが蔓延る。吐き気を催しながらも大砲で攻撃を行うが、倒せるのはせいぜい歩兵であった。海に浮かぶ船舶には届かず終わるか、せいぜい傷を付ける事が出来るのみである。そうして必死に装填をする間に、何倍もの威力を持つ爆撃によって報復された。


「突撃ー‼」


 ギルバスや他の上官による合図がなされ、パージット王国の戦士達は馬に乗って丘陵を下る。剣を片手に迫って来る彼らをリミグロン兵は容赦なく銃の餌食にした。銃から放たれる光弾が砂浜や土手を破壊し、爆炎を巻き上げる。人体に当たれば例外なく風穴を開けるか、肉を四散させた。それでも尚必死に食らいつき、白兵戦に持ち込みながらパージットの戦士達は剣を振るうが、その頭数は着実に減っていった。




 ――――遠方から聞こえる爆発音にレンテウスは動揺した。その彼の後ろを歩く十代半ばの少女は、赤い髪をなびかせて走るが、不安を隠せずに窓の外を何度か見てしまう。次代の〈依代〉として選ばれた先代王の娘、ソリス・マティアである。


「ソリス様、時間がありません。お急ぎください」


 戦いが始まった事を危惧する彼女へ振り向き、レンテウスは固い口調で急かした。


「師匠…ルーファンは無事なのかな?」


 不意にソリスが尋ねる。レンテウスに剣術と魔術を師事していた彼女は、ルーファンの事を良く慕っていた。自分が父の跡を継いだ暁には、軍部の最高指揮官に就任させてやるなどと冗談を言って笑わせていた兄弟子であり友でもある彼の事を、彼女は国や民と同じように案じていた。


「きっと〈聖地〉であなた様が来るのを今か今かと待っていますよ」

「でも、もし先に敵が彼のいる場所を襲撃していたら…」

「だからこそ一刻も早くこの場を離れなければいけないのです。それに、奴は簡単に殺されるような弱卒ではありません。必ずや〈聖地〉を守り通してくれているでしょう」


 レンテウスも当たり障りのない答えを返し、静まり返った無意味に豪勢な宮殿の大広間を通っていく。ソリスは何も言わずについて行くが、レンテウスの言っている事は気休めでしかないだろうと見抜いていた。


「馬をご用意しています。ああ、フードを深く被って…城下町や街道は敵の目に晒される恐れがあるので避けてください。〈聖地〉へ続く抜け道は覚えていますね?宮殿の裏から続くトンネル…そこから雑木林を横断し、小川に沿って進めば〈聖地〉の入り口に続く麓へと着きます。私の部下も共に同行させますが、万が一の際にはご自身だけでもお逃げください」


 外に出たレンテウスはローブに備えられているフードを被る様にソリスへ言いながら、持っていた地図で彼女に説明をする。聞き漏らさないように集中していたソリスだったが、ざわついている周囲の状況が気になって仕方ない。幸い、幼いころから使っていた道であったため行き方だけは良く覚えていた。


「師匠は?一緒に来てくれないの?」


 少し手こずりながらも馬に跨ってからソリスは聞いた。


「宮殿と城下町を守らねばなりません。あなた様や、ルーファンのためにも…どうかお気を付けて」

「…師匠も気を付けて」

「当然ですとも。さあ、急いで!」


 レンテウスは互いの無事を祈りながら言葉を交わし、ソリスや彼女の付き添いである兵士達を見送った。残されたレンテウスは門の前で待機している防衛部隊の兵士達から状況を聞き出し、街に多くの民間人が取り残されている事や避難に手間取っている事を告げられた。


「避難に使える船舶は…島に住む人々全員を運ぶにはあまりに少なすぎます」

「やむをえまい…避難をさせるのは城下町と王室の関係者を優先しろ」


 兵士に報告に頭を抱えながらレンテウスは非情な指示を下す、残酷ではあるが距離も含めて考慮すれば、全員を助けることなど不可能である。


「出航させるにしても当てはあるのか?」

「ご心配なく。既に文書を持たせて護衛のために兵士達を配備しています。行き先はここからですと恐らくゲールベステ諸島が最も近い。迎え入れてくるかは分かりませんが、とにかく兵士達には事情を説明するように伝えてあります。万が一、近隣諸国も同じような状況になっているとしたら――」


 避難船の行先についてレンテウスと兵士が言葉を交わしていた時だった。門から先に広がる城下町の一画で爆発が起きた。見れば空には数機の飛行船が飛び交っており、側面に備えられた砲塔を操作して攻撃を行っていた。やがてワイバーンに乗ったリミグロン兵達も城下町に降り立ち、次々に虐殺を始めていく。爆発や、リミグロンのワイバーン部隊による襲撃の最中を逃げ惑う人々、そして業火に焼かれていく風景。それはあまりに耐えがたい物だった。


「現場にいる兵士は !」


 レンテウスが怒鳴った。


「防衛部隊の半数と…訓練兵がいた筈です!」

「船の護衛に就く者は、生存している民間人が乗り込めるように準備をしておけ!我らも町へ向かうぞ!ただでは済まさん…!」


 情報を聞いたレンテウスはすぐに自分達がやらねばならない事を判断し、周りの兵士達へそれを伝える。即座に兵士達も雄たけびを上げ、門が開いた後に出動していった。

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