第3話 異変
夜に差し掛かった頃、小刻みに震える手を抑えつけながら、ルドルマンが馬車を走らせた先にあったのは墓地だった。御者に報酬を投げつけ、逃げるようにして墓地へ入り込むと中央に設置されている彫像の裏手に回る。街の英雄が眠っている事を記している石板に顔を近づけ、その上にあった窪みへ何かをはめ込む。そして付近にあった地下墓地への入り口へ駆け寄っていった。
鉄格子を鍵で開けて中に入り、階段を慌てながら駆け下りた彼は迷宮の様なその場所を駆け抜け、いつもなら行き止まりである筈の地点へと向かう。いつもは壁で塞がれているその行き止まりだったが、その時だけは楕円状の光が出現していた。その両隣に立っているのはリミグロンの兵士である。
やはり、何度見ても不気味な見た目をしている。ルドルマンは彼らに会うたびにその様な事を考えていた。なぜなら彼らが見に纏う武装は、自分達が普段目撃し、使用している物よりも遥かに頑強そうな上に、どのような素材を使っているのかすら分からない妖しい光沢を放っている。量産されたかのような無機質さを兼ね備えているシンプルなデザインだが、頭部全体を覆う兜によって表情が見えない。それ故に不気味さが増していた。
何より目を引くのは彼らが携える武器。銃だという事は分かるのだが、これまで見たどの様な代物にも該当しない奇妙な見た目をしている。動物の骨を思わせる白濁とした外装と、貝や甲殻類に近い有機的な装飾が目立つ。そして所々から青白い光を放つラインが刻まれていた。
いずれにせよ一般的に出回っている技術で作られている品物では無い事が良く分かる。一体どこの誰が生み出したのか、そもそも彼らがどうやって入手しているのか。こちらからの踏み込んだ質問が許されてないせいか、ルドルマンは只でさえ足りてないオツムを使って考える他なかった。武器を使用している所は見た事ないが、これを向けられる時には死を覚悟した方が良いかもしれない。
「再確認のためだ。用件を言え」
一人が威圧するような態度で尋ねる。
「オ二マ殿に報告が…以前仰っていた不安について、恐らく的中している可能性があるかもしれない」
ルドルマンがへりくだった姿勢で事情を伝える。彼の話す内容について知っていたらしい二人の兵士は訝し気な様子ではあったが、引っ張る様にルドルマンの手を取って光の中へ突き飛ばした。ずっこけながら飛び込んだ先で、ルドルマンが見たのはどこか別の場所にあると思われる会議室の様な場所だった。少なくとも先程までいた地下墓地ではない。あの独特な陰気臭さが無く、非常に清潔感の漂う場所だったが豪勢とまではいかない質素な部屋である。
「…よく来た。まあ座るが良い」
「オニマ殿…!で、では失礼」
奥にある扉が開き、狭そうにしながら大男が入って来る。彼はルドルマンを見ると疲れた様子で迎え入れた。周囲を兵士達に囲まれ、ルドルマンは生きた心地がしないまま心地の悪い軋み方をする椅子へと腰を掛ける。
「経緯を話せ」
オニマが頼むと、ルドルマンはその日闘技場で見た物について徹底的に語る。主題はもっぱら自身が接触したルーファン・ディルクロという剣士についてだった。あっという間に闘技場の精鋭たちを斬り殺した謎多き青年だったが、どうも彼の戦い方にルドルマンは心当たりがあり、それを報せるためにこうして連絡を取ってわざわざ出向いたのである。
「あの男が使った怪しげな魔法は…その、報告にあった〈闇の流派〉だと思いまして…念のために伝えるべきかと」
「…話を聞く限りではな。手掛かりは無いのか。貴様が奴と遭遇したという証拠は?」
ルーファンが見せた奇妙な戦い方について解説したルドルマンは、オニマ達の話にあった〈闇の流派〉と呼ばれる種類の魔法ではないかと述べる。顔こそ険しいままだったオニマだが、納得をしたように相槌を打って有力な情報は無いかと追及してくる。
「…あ、そうだ!これが証明になるかも…」
ルドルマンは大事そうに抱えていた鞄の中からある物を取り出す。ルーファンによって殺された女戦士の双剣だった。無論、彼によって折られてしまった残骸だったが。
「あの男の剣が叩きつけられたその瞬間、音も無く折られてしまったと私は考えていたのですが…これを見てください。この断面を」
ルドルマンは折られた箇所を強調しながらオニマへ渡す。その武器の残骸を見たオニマは徐々に血相を変えていった。その残骸の断面はどこかが欠けている様子もなく、滑らかな触り心地であった。少なくとも衝撃に耐えられず折れたというのはあり得ない程に。
「如何にこの武器がナマクラといえどこんな折れ方はしない。かといって鋼をこれほど滑らかに断ち切れるような剣など、世界にいくつ存在すると言えるのか…それにあの男が剣に纏わせていた奇妙な物体についても気掛かりです…」
ルドルマンは素人に毛が生えた程度の知識から見解を絞り出し、確かな信憑性を持つ情報であると強調した。あの男が自分の元へ近づきつつある。その事実にオニマの心臓は口から飛び出そうな勢いで脈打ち始めた。
――――三年前
灰色の空の下、靄が立ち込める浜辺には死屍累々が築き上げられていた。東洋の海域に位置する島国、パージット王国の領土であるこの地は、ある日を境に戦場へと変わり果ててしまう。国に仕える兵士たちは成す術なく蹂躙され、そこに住まう民は老若男女問わず辱めを受けた後に殺された。
「…ぐっ…」
うつ伏せに倒れていた一人の兵士が呻き、そして藻掻いた。負傷した肩や背中が疼き、野晒しで泥まみれになっていたせいか体が冷える。失血による影響もあったかもしれない。いずれにせよ危機に陥っている事は確かだった。どうにかして周囲の状況を確かめなければと、体を動かそうとした矢先に誰かが首を鷲掴みにして来る。慈悲を感じない乱暴さであった。
そのまま引き摺り上げられた兵士が見たのは、周囲を警戒しながら転がっている死体の処分を行うリミグロンの兵士の姿であった。
「おい」
呆然とし、絶望に打ちひしがれそうになっていた時だった。兵士はいきなり野太い声で呼びかけられる。自分を捕まえていた大柄な人物が発したらしい。威厳もさることながら他の者達とは違う色と装飾を持つ兵装を纏っている事から、中々の階級であると想像できた。
「一度だけ聞くぞ。〈聖地〉がどこにあるかを言え」
兜の隙間から見える眼光は、橙色の煌めきを放っていた。首を掴む握力も強まり、大男の心境が窺える。返答次第では自分を殺すつもりなのだろう。兵士は自分に待ち受ける仕打ちを想像し、ひどく寒気が走る。戦闘に突入した際には確かにあった生存への希望や根拠のない安心感が確かに打ち砕かれた。
戦っている最中に吹き飛ばされた仲間の四肢や頭、無慈悲にとどめを刺していく未知の敵に対する底知れない不安。恐らく素直に答えた所で見逃してはくれないだろう。それほどまでに圧倒的な暴力によって蹂躙された恐怖が忘れられなかった。
「くっ…」
兵士は唸った。怪我の深刻さに喘いでいるわけではない。死への恐れによって迷いが生じていた。望み通りにしたとしても助かるわけではない。しかし、答えなかった場合の末路など容易に想像がついた。
言ってしまおう。どの道こんなザマでは戦況を覆せる筈など無い。それならばせめて己の命だけでも守りたいと考えるのが当然である。幸い、〈聖地〉についてはある程度の情報を持っている。身柄の安全を約束して貰った後、全て吐いてやる。黙ったまま殺されるよりは幾らか希望があるだろう。生き残っているかは知った事ではないが、お上に恨まれる道理はない。仲間達よ、どうか許してくれ。恨むのなら現場で戦う事になる者達の気も知らずに、真っ向から迎撃しろなどとほざいた温室育ちの王族や議会を恨んでくれ。兵士の懺悔は次第に周りへの責任転嫁へと変貌していった。
「し…知ってる…知ってるぞ…」
言ってしまった。あれだけの言い訳を頭の中で並べていたにもかかわらず、兵士はすぐに後悔をしてしまう。厳しい訓練に耐え抜いてこの仕事に就いた以上、国家に対しての忠誠や愛着が無いわけではない。その僅かに残っていた愛国心が突如として増幅し、「恥知らずめ」と自身の選択を罵ってくる。良心が痛むのか、心臓がキュッと締め付けられた様な気さえした。だがもう後には引けない。
「嘘ではないな?」
「ああ…案内も出来る。しかし頼みが――」
「オニマ隊長。〈聖地〉と思われる地点を発見したという報告があります」
興味深そうにこちらを窺う大男に対して、兵士が命乞いを始めようとした時だった。大男の側近と思わしき敵兵が近寄って来るや否や、探し物が見つかったかもしれないという報告をし始める。
「…確かか?」
「あくまで推定です。逃走している残党を発見した後に追跡した所、魔力の反応が強くなっていくのをレーダーが探知したと。標的の始末をするために数名を先行させていますが、万が一に備えて工作員と戦闘員の増援が要請されています」
オニマという名前らしい大男の興味は完全に側近による報告へと移ってしまった。側近が凛々しい立ち姿をしたまま、淡々と状況を述べ終えている間も声一つ上げることなく静かに話を聞いていた。やがて一段落ついたところで再び捉えていた兵士の方へ目を向ける。
「案内が出来ると言っていたな」
その声を聴くや否や、兵士は顔を上げた。
「え、ええ…!勿論!」
「どうせ貴様の頼みなど分かっている。命だけは助けてやろう。無事に辿り着くことが出来たらの話だがな」
オニマは静かに言い聞かせながら、乱暴に兵士を立ち上がらせる。お世辞にも丁寧とは言えない扱いだったが、そんな事はどうでも良かった。少なくとも延命は行えたという現状が何よりも重要である。隙を見て倒そうにも自分一人では心許ない。かといって逃げるにしても隠れ萎えに出来そうな場所がある訳ではない。そのため、今は大人しく従っておいた方が身のためだと判断をしつつあった。
同胞達を裏切りたいわけではない。しかしこの状況で死ぬことを選ぶ者がいるだろうか。そんな愛国者という名の気狂いと化し、名誉などという下らん妄言のために死ぬくらいならば石を投げつけられようが、泥を食わされようが生き抜いてやる。どう足掻こうが結果として生きていれば自分の勝ちなのだ。燃やされる遺体や、串刺しにされて見世物の様に晒されている仲間達の生首を前に、兵士は心の底で懺悔と嘲笑を繰り返していた。
罪悪感が押し寄せる度、自分の中にある人間として下卑た自己本位な性根が顔を出してくる。そして間髪入れることなく良心が自分を窘める。出来れば信じていたい綺麗事とドス黒い本性の間で押し潰されまいと必死になっていた。
「…何だ⁉」
一瞬、大地が揺れた。ようやく歩き出した矢先であるというのに、兵士は再び尻もちをついてしまう。異変を察知したのは周囲も同様らしく、携えていた銃を慌てて構えだす。大男は腕に装着している小型の円盤らしきものが取り付けられている装置へと目をやる。赤い光が点滅していた。
「何が起きた⁉」
「生存者の抹殺及び〈聖地〉の発見に成功!しかし、周囲に異常あり…うわあああああああ‼」
装置を使用して誰かと会話しているらしいオニマは、声を荒げながら装置に話しかける。しかし装置から発せられた声は、激しい断末魔を最後に途絶えてしまった。付近にいた敵兵の内の何人かは同じ物を身に着けており、全ての端末にその連絡が届いていたらしい。先程までの和気藹々とした残党処理の雰囲気は消え失せ、誰もが困惑していた。
「…言え!何が起きている⁉」
オニマは掴みかかりながら兵士に怒鳴った。
「わ、分からない…いや、まさか…」
必死に心当たりを探ろうとした直後、先程よりも大きな震動が一同を襲った。まるで巨大な何かが下からぶつかってきたかの様だった。
「隊長!アレは一体…?」
側近が指をさして叫び、島の中央にそびえ立つ山脈を不思議そうに見つめた。山の地上と思わしき場所から一筋の黒い線が伸びている。煙の様に風で揺れるわけでも無く、目の錯覚というわけでも無さそうだった。まごうとなき黒い直線が山の頂上から伸びている。直後、再び山の中に引っ込んだかと思えば山頂が音を立てて崩れ始める。
「まさかとはどういう意味だ?…言え!あそこには何がある⁉」
只ならぬ事態だと悟ったのか、オニマは切羽詰まった様に問いかけて来る。揺さぶられながらも、兵士はこちらにも聞こえるほどの崩落音と共に崩れていく山脈を見つめていた。
「…〈聖地〉だ」
兵士は慄いた。古から佇むその山脈の麓にはあったのは、〈聖地〉と称される祠が存在していたのである。世界の均衡を保つ〈幻神〉と呼ばれる精霊を祀っているらしいその場所に異変が生じたとしか思えなかった。
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