第2話 予測不能

「…なんだと?」

「武器ありの三対一…それじゃダメか?」


 聞き間違いかもしれないとルドルマンはとぼけた様に再度尋ねるが、やはり間違っていなかった。当然ルール上出来ないというわけではなく、過去にそういった試合を行った事もある。しかし今回の場合は選ぶ相手に問題があった。上位三名といえば、この闘技場で何度も殺し合いを行っては勝ち続けている選りすぐりの精鋭である。そこらの軍人でさえ一筋縄ではいかない強者を三人も相手取るなど、自殺行為にも等しかった。


 闘技場で行われいてるのは確かに戦いだが、それ以前に興行でもある。勝敗の分かり切った退屈なものになりかねない試合を見せるという訳にもいかない。


「こういう立場にいる以上、人の事は言えないと分かっているが…正気か?」


 観客に聞こえない様にしながら、ルドルマンはこっそりと聞いた。


「断っても良いが、観客にとっては不運だろうな。闘技場に新しい伝説が生まれる瞬間を、見れなくなってしまうんだから」


 ルーファンもまた、彼に対して勿体ぶった様な囁きをする。ルドルマンはしばし考え込んだが、やがてニヤリと笑って彼を見返した。


「考え無しってわけでもないか…良いだろう。おい、準備をしろ!試合を始める!」


 ルドルマンが叫ぶや否や、彼の取り巻き達はこぞって仕度に取り掛かった。選手を呼びに行くだけでない。闘技場の周囲でブックメーカーとして賭け金を募るなど、浮浪者達の役割は様々である。騒然とする周囲の状況に目を光らせていたルーファンだったが、不意に視線を感じる。気配を感じた方角へ首を向けて見れば、周りに備えられている木造りの観覧席の一画に女性が座っていた。口元を服で覆い隠し、長い頭髪を軽く弄っている。何より長身なせいか、隣に座っている小太りの老婆と比較すると尚更目立った。


「…ちゃんと仕事をしてくれるといいが」


 こちらと目が合った彼女は、相変わらず何を考えているか分からない爬虫類の様な瞳を向け、静かに手を振ってみせる。揶揄っているのか好意によるものかは分からないが、ルーファンは彼女に一任した役割に対していささか不安を覚えていた。


「間もなく試合が始まるぞ!」


 そんなブックメーカーの大声によって再びルーファンは我に返る。気が付けば自分の対戦相手となるらしい三名が闘技場へ入っていた。反対側の柵に寄りかかってこちらを睨んでいる。油断をしていないという意思表示は勿論だが、嘗められていると思った事で無意味に高いプライドに火が付いたらしい。揃いも揃って酷く不機嫌な様子だった。


 やがてブックメーカーによる受付が終了したが、案の定ルーファンに賭けている者はほとんどいなかった。三人が信頼されている事が窺えるが、今日に限っては悪手だったといえよう。そう思っている間にルドルマンがそれぞれの選手を軽く紹介し、やがてルーファンの名を改めて紹介した。


「さあ、間もなく試合開始だ!…おっと、鎧は脱いでくれ。持ち込んで良いのは武器のみだ」


 ルドルマンが予告をしていた時、そのままの装備で闘技場の端にいたルーファンに気づく。急いで装備を外すように促すと、ルーファンは面倒くさがりながら応じた。


「…なんだよ、ありゃあ…⁉」


 観客席からは口々に畏怖に近い声が漏れ始めていた。鎧を置き、上着を脱ぎ捨てた後に現れたのは夥しくも痛々しい傷跡の数だった。切り傷、銃創、火傷といった負傷の痕跡が重なるように体のあちこちに刻まれている。決して老いているわけではないその青年の過去に何があったのか、興味を持たない者がいる筈も無かった。


「…なあ、見ない顔だね」


 観客席からルーファンの様子を見ていた長身の女性は、いきなり囁いて来た隣の老婆へ目を向ける。黙認されているとはいえ、下手に行政からの鼠を入れる訳にはいかないのだろう。新参には皆厳しいのかもしれないと女性は推理した。


「あら、娼婦がお忍びで見に来るのがそんなに悪い?」

「サボってるのかい?それは悪い事を聞いたねえ。安心しな、娼婦仲間にチクったりなんかしないよ。名前は?」

「…サラザール」


 女性がその場で適当に思いついた言い訳を聞かせると、老婆は思いのほか納得した様子だった。もしかすれば気付いて無いフリをしてるだけかもしれないが。女性が名前を答えた後は暫く闘技場の様子を見ていたが、どうやら退屈らしい老婆は再び彼女へ顔を向ける。


「しかしデカいねアンタ…そこらにいる野郎が軒並みチビに見える」

「どうも。よく言われる」

「そうかい…見てみなあの若造。戦を生き延びたのか何か知らないが、あんなに傷だらけになってもこんな所で日銭稼ぎ。可哀想だね…三対一だなんて無茶したもんだよ。どうなると思う?」


 老婆は剣を抜いてから鞘を鎧に立て掛けるルーファンの姿を見る。そして戦争帰りだと思っているのか、こんな場所で無茶をしなければ金を稼げない青年の現状を憐れんだ。サラザールは何を言うわけでも無く話を聞いていたが、一度だけ老婆の方を鋭く睨む。


「…五分持てば奇跡」

「三分持つかだって分かりゃしないよ。相手の三人はこの闘技場きっての人気者たちなんだから…どいつもこいつも敵の血を見る事しか考えてない。おかげで儲けさせてもらってるけどねえ」


 サラザールの発言に対し、老婆は三分も持たないだろうと見解を述べる。発言からしてどうやら三人側が勝つ方に賭けているらしかったが、彼女はただ無表情のままルーファンを眺める。そして、確かに三分持てば良い方かもしれないと思い始めていた。ただし、ルーファンを相手にそれだけ粘れれば大したものだという意味である。


「開始‼」


 ゴングが鳴った。ルーファンは剣を逆手に持ち替えて駆け出す。ルーファンが近づいてきた瞬間、三人は早い者勝ちで戦う事を決めたのか各々が勝手に動いた。先頭に立っていた巨漢が横薙ぎに斧を振るう。その斬撃を滑り込みながら躱し、ルーファンはその瞬間に脛へ一太刀を入れた。大男が痛みに怯んだ隙を見計らって体勢を整えると、そのまま背中へ飛び付いて首筋へ剣を突き刺す。


 すぐさま背後から他の二人が駆け寄って来るのをルーファンは感じ取る。勢いを付けて巨漢の背中から飛び降り、その際に首の部分に串刺しになったままの剣を自身の方へ引っ張った。首の後ろ半分が切断され、意識すら朦朧としている大男が跪く。


 そして大男の手から離れた斧を掴み、勢いよく二人の方へとぶん投げた。槍を持った男が慌てて躱した後にルーファンの様子を把握しようとしたが、その瞬間にみた光景はあまりにも奇妙なものであった。跳躍したルーファンの視線が向く先は、何も無い空中であった。そこに突如として黒い渦が現れ、その上に被さるようにして魔方陣も出現する。飛び上がったルーファンは強烈な勢いでその魔方陣の元へ引き寄せられると、その魔方陣の上に着地をした。


 垂直に近い角度であるにもかかわらずルーファンは直立しており、何食わぬ顔でそのまま駆け出す。そんな彼のために次から次へと同じように黒い渦と魔方陣が出現しては、さながら壁でも走っているかのようにルーファンは不可思議な足場を移動していた。物理法則さえも無視している彼の動きに対して、どうにかせねばと槍を突き出して来た男の攻撃に対しても同じようにして躱した。


 槍による突きが放たれた瞬間、別の方向に魔方陣が現れると今度はそちらに体が引っ張られていく。体の角度さえも変わりながら魔方陣に引き寄せられるその姿は、まるで彼に掛かっている重力の方向が目まぐるしい勢いで変わっているかの様だった。


 天井近くに出来た魔方陣へ引き寄せられることで、槍による突きを躱したルーファンは、そのまま魔方陣を消して一気に落下する。自分の頭上から落ちてくる彼の速度は、本来の重力に任せている時よりも明らかに速かった。槍を持っている男は自分の足元で魔方陣が作り出されている事に気づかず、そのまま剣によって脳天を串刺しにされた。


 着地をしたルーファンは、倒れた槍の男を尻目に最後の一人を始末しようと動き出す。双剣を構える女性だったが、彼女の服装の厚みからして、何かを仕込んでいるとルーファンは考えた。恐らくは皮の鎧か何かだろう。剣相手にはどう考えても心許ないが、無いよりはマシである。何より金属を仕込むよりはイカサマにも気づかれにくい。


宿れドウェマ・ネト


 ルーファンが息を潜める様にして聞き慣れない言葉を唱える。直後、彼の持っていた剣の刀身が闇に覆われ始めた。浸食していくように黒い靄の様なものが纏わりついたその剣を軽く振ってみる。黒い靄がうっすらと残像を描いて振られた剣を追い、只ならぬ瘴気を纏っていた。


 ルーファンは静かに構えを取り、相手の出方を窺う様にジリジリと距離を詰めていく。観客は目の前で起きている戦いに戸惑い、双剣を構える女戦士は表情が強張っていた。得物を持つ手にも汗が染みていく。先程の四方八方を飛び回るかのような移動方法や、剣を変貌させた黒い物体の正体など、把握できていない事象が多すぎるせいで今後の動向についてさえ纏まりが付かない。


 そんな彼女の気迷いは足取りや手の動きにも表れ始めていた。相手側から向かって来る気配が無いと悟るや否や、ルーファンは一気に駆け出して間合いを詰める。恐ろしい脚力であった。そのままルーファンが袈裟切りにしようと剣を振り下ろし、女戦士は受け止めようと双剣を頭上付近で構える、観客は金属同士が激しく打ち付けられる音が聞こえるかと期待を抱いたが、全てにおいて想像していなかった結末を目の当たりにする。


 確かにぶつかり合った筈だが、双剣は音も無くルーファンによって一太刀で切断された。「避けろ」と本能が囁きかけた頃には、女戦士の体にもルーファンの剣が到達し、完全に剣を振り抜いた直後に女戦士の肉体は肩から腰に掛けて真っ二つになった。血を噴き出しながらその場に崩れ、辺り一面の砂が赤く染まっていく。動かなくなった対戦相手達をルーファンは静かに見下ろして闘技場の端へと戻って行った。


 観客は誰一人として騒ぎたてようとはしなかった。罵声や歓声もなく、あっという間に目の前で繰り広げられた勝負の決着を前にして脳の整理が追い付かない。ルドルマンも同様であったが、大急ぎで試合が終わった事をゴングによって告げる。そして高らかにルーファンの勝利を宣言した。


「し、勝負ありだ!」


 ゴングが鳴った事で、人々はようやく理解し、静かに帰る仕度をし始めているルーファンへ歓喜の声を上げた。ルーファンが近寄って来るのを確認したルドルマンは、ブックメーカーに持ってこさせた報酬入りの袋を重そうに持って渡す。


「早く終わるとは思ってたが…結果だけは想定外だった。持ってけ」


 少し怯えている様に話す彼を横目に、ルーファンは袋の中身を確認する。大量の紙幣や硬貨が入っていたが、いくつかの札束を掴んで取り出した後はルドルマンへ袋を突き返した。


「どうした?…何か不満が?」

「いや、これだけあれば良い。お前の手下と観客にばら撒いてやれ。挨拶代わりだ」

「あ、おい…」


 心配するルドルマンに対して、ルーファンは理由を語ってから返事を待たずに立ち去った。様々な憶測が頭の中を駆け巡っていたルドルマンだったが、今は観客へのサービスが先だとして袋の中にある物を周囲に撒いていく。


「新たなる王者からのお恵みだ!受け取れ!」


 その声に反応した人々が群がり、辺りは殴るわ蹴るわの乱闘騒ぎと化していた。そんな様子を端から見ていたサラザールは、呆然とする老婆へ首を向ける。


「あなたの言う通り…三分も持たなかった」


 皮肉めいた口調でわざとらしく言い放ってから彼女は席から立ち上がり、しなやかな足取りでどこかへと歩いていく。一方で喧騒とした会場からようやく脱出できたジョナサンはルーファンを必死に探すが、既に彼の姿は無かった。


「間違いない。あの噂は本当だったんだ…!」


 自分の記憶にあった情報が真実であるという確信を手にし、ジョナサンは思わず顔を綻ばせた。そして自身が会った謎多き剣士の足跡を辿ろうと勇み足で街へ繰り出していく。闘技場への入り口につながる下水道付近に建てられている塔の上から、いつの間にか移動していたサラザールはその光景を物珍しそうに見送っていた。

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