あかねさす(一)
新松戸駅を降りて南東に進む。そして「けやき通り」を辿りさらに南東へと。色々、試してみたが結局大通りを辿るこの道筋が一番楽だ、と志藤は結論づけていた。何より、あまり考えずに歩くことが出来るのが良い。午前中に降り続いていた驟雨が緑の匂いをより強く志藤に感じさせた。その雨は確かに止んでいたが空模様は未だ曇天のまま。かと言って気持ちがふさぎ込むわけでは無い。
夏は過ぎ、湿気は単純に鬱陶しさをもたらす役割から脱却し、世界に潤いをもたらす役目を担おうとしていた。志藤も訪ねる先が見知った青田の元である事も手伝ってまったく気取らない出で立ちだ。ライトブルーのネルシャツにベージュのチノパン。まず普段着のレベルだ。この上にベストまで視野に入れれば、かなり長い間、志藤はこう言い出で立ちで過ごすことになる。
左肩から下げたトートバッグには奈知子に持たされた「お土産」が入っていたが、志藤の本音を言えば「別に必要無い」と言うことになる。その奈知子も付いてくるのかと志藤は思っていたが、半分仕事になると言うことで遠慮してくれたようだ。
その代わりに特別手当として「お小遣い」を持たせて貰っている。
(取材費、ということにならないだろうか?)
と、志藤がそんな事を考えながら首をふりふり「けやき通り」を進む。青田と飲みに行く姿を想像するが……どうにも上手く像を結ばない。飲むとしても青田の家で、ということになるだろう。ところであの家の名義はどっちが持っているんだ? と、今更ながらの疑問が志藤の内から湧き上がってきた。もちろん答えは出てこない。やがて志藤の足が「けやき通り」を離れ住宅街へとつま先を向ける。目的地はもう間もなく。
さて、永瀬がリクエストし今まさに志藤が訪ねようとしている「青田」という男はどういった人物であるのか? 来歴から言うと、志藤と同じ高校の出身で一年後輩にあたる。志藤との付き合いもその時期から始まっているのだから、数えてみれば付き合いも、もう十年以上。その間に志藤もなかなか個性的な人生を送ってきたと自負しているが、青田のそれには及ばない。
何しろ司法試験に合格し弁護士としての研修を収め、何処かの事務所に勤め始めたと思った瞬間に辞めてしまったのだから。現在、弁護士としての活動はしておらず、その部分だけを抽出してしまうと気短な難物という印象になってしまうだろう。しかし青田はそれほど「簡単」な男では無い。弁護士事務所を辞めてしまう所まで青田が標榜する「人生設計」に従った結果なのであるから。
青田は理路整然とその事務所を批判して――あるいは批判するためにその事務所を就職先として選んだ可能性すらある――悠々と退職してしまった。青田という男はそういう「計り知れない」人物である。
それでもある程度の物差しを用意するなら「劉泊温」という人物が参考になるだろう。青田はこの人物を大変尊敬しており、
「自分も劉泊温みたいになる!」
と、決意したままに将来を設計してしまい、そのまま人生を歩んでいる真っ最中というわけだ。決意したタイミングが何時なのかは志藤も聞いていない――理由は単純に「恐ろしい」から。
青田はかねてから「人生の本番は五十歳から」と嘯いており、現在は悠々自適の毎日というわけである。では、そんな生活に張り合いが無いかと問われればそんな事も無く青田には究極の目標があった。即ち――
――「軍師になる」
そのための勉学、下地作り。それが青田の毎日であり、結局学生時代とあまり変わっていない。大ざっぱに言うなら「妙なモラトリアム」と言うことになるのであろう。しかしどうやっても「妙な」という形容がついて回ることになる。やはり青田を説明するのに適切な言葉はまだ開発されていないのかも知れない。
そんな青田と交流がある自分は果たして幸運なのか、はたまた不運なのか。志藤は何十回と数えることが出来る、そんな疑問を弄びながら庭木に鬱蒼と包まれた門扉を乗り越えた。そのまま玄関まで進み呼び鈴を鳴らす。しっかりと約束は取り付けてあるので青田が在宅していることは間違いない。実は永瀬との「打ち合わせ」の翌日なのだが、やはり青田は暇ではあるらしい。
それを青田流に表現するなら――
「――先輩ですか? 雨は大丈夫でしたか?」
「ああ。上手い具合に避けることが出来たよ」
まだ開かれていないガラス戸の向こうから青田の声が響いてきた。そのままガラス戸が開け放たれる。結果として志藤は、青田と向かい合ってしまった。細面、のように見えるのは恐らく襟足を伸ばしてくくっているせいだろう。基本的に青田はしっかりとした輪郭の持ち主である。爛々と見開かれた目がそれを証明しているかのようだ。ハンサムかどうか考える前に、果たしてどう表現すべきか迷ってしまう――青田はそんな容姿の持ち主だ。強引に容姿についての論評を行ってしまえば「整ってはいる」といった消極的肯定が一番しっくりくるだろう。
モスグリーンのシャツの裾は出したまま。黒のつや消しスラックス。住んでいる家屋の雰囲気も手伝って、悪く言えば「世捨て人」良く言えば「仙人」。どちらに転んでも、やはり評価は曖昧になる。
そして青田自身は、自分の身の上をこんな風に語っていた。
――日本の食客
と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます