言葉だけで(二)

 藤田とネット上でトラブルを起こしていたのは「カーバンクル調教法」というブログを運営してるユーザー名「イダ熊」だった。ネット上でのトラブルであるから、その形は誹謗中傷。まとめてしまえば悪口の言い合いだ。もっともそこから殺人事件に発展するパターンも多々あるので、志藤としても軽く考えるつもりはない。その二人が言い争いを繰り広げていた場所が「カーバンクル調教法」だったわけだ。

 では「カーバンクル調教法」がどんな主旨のブログかというと、ソーシャルゲーム――通称ソシャゲについてのプレイ日記。運営しているイダ熊に言わせれば攻略日記も兼ねたような内容であるのだろう。そのソシャゲのタイトルが「気ままにカーバンクル」というタイトルなのだ。

 ゲームの内容はざっくりまとめてしまえば「クイズゲーム」で間違いない。そしてクイズの難易度はかなり高い……らしい。志藤も少しプレイしてみたのだが、その点はあまり実感出来なかった。しかも、ここにさらなる要素がある。

 「カーバンクル」だ。

 伝承によれば富と幸運をもたらす架空の生物――ということになるがゲーム内で戯画的に描かれるカーバンクルは、本当に気ままにプレイヤーに幸運を授ける動きを見せる。クイズの難易度変更も幸運の一種。その他、スタミナの回復、攻撃力アップなど「幸運」と思われるものをふりまいてゆく。どうもこのカーバンクルの動きがかなりトリッキーであるらしい。志藤はその幸運度合いを実感出来る前に、プレイを一段落させてしまったが高難易度のボスキャラの戦闘時に「幸運」が授けられたなら――というような想像は容易だった。

 そして「カーバンクル調教法」では出題されるクイズの一覧など、かなりそれっぽいコンテンツも充実しているが、メインは「カーバンクル」の動きを読み取ろうというもの――いや、すでに動き方については見切った、とイダ熊は主張している。もちろん、どのように見切っているのかは公開していない。公開していないがしかし「気ままにカーバンクル」の上位プレイヤーであることが、見切っていることの証明だ……と、イダ熊は主張する。常時とは言わないが、全国一位である事も珍しくないイダ熊の主張には一定以上の説得力がある事は間違いないだろう。

 だがそんなイダ熊に噛みついたのが藤田――ユーザー名「カチアン先生」というわけである。

 カチアン先生の主張はこうだ。まず「気ままにカーバンクル」にも当たり前に課金システムがある。課金によって有利になる点は、スタミナ、攻撃力上昇など様々な要素があるがカーバンクルの動きには影響を与える事が出来ないとされていた。カチアン先生の主張は「気ままにカーバンクル」がそういったシステムであると公表されている事が基準になっている。

 続いてイダ熊が課金を辞さないプレイヤーである事は自明の理だと繋ぐ。「気ままにカーバンクル」に限らず全国一位のプレイヤーともなれば間違いなく課金しているであろうし、イダ熊のログを探ればあからさまに接続時間が長すぎる。課金によってスタミナ回復しなければ、とてもこんな記録が残せるものでは無い。

 イダ熊は課金を認めながらもそういった記録を残すことが出来た大きな理由は「カーバンクル調教法」にあるのだと主張する。一方でカチアン先生は湯水のように金を使い課金して、そういった記録を残しているだけ。それを「カーバンクルの動きを見切った」と大仰にいうその態度が気に入らない、と。論争の内実を言うなら、そんな具合だ。

 志藤が判断するに理屈で言えばカチアン先生――藤田の方に理があるように思えた。ソシャゲの運営側にとっては課金ユーザーも大事だが、その課金ユーザーを優越感に浸らせるためにも無課金ユーザーもまた大事な存在だからだ。そこに課金ユーザーが、カーバンクルまで見切ってしまうとなれば、当たり前に新規ユーザーが現れない。敷居が高すぎるのである。だからイダ熊の主張は、どうにも絵空事のように志藤には思えるのである。

 だが言い争いの内容は、次第に変質していった――必然の流れによって。

 つまり「カーバンクル調教法」において行われていた言い争いは、課金ユーザー対無課金ユーザーの代理戦争状態になってしまっていたわけである。これもまたあるいは必然の成り行きであったかも知れないが、少しばかり志藤の思うネット上のトラブルと違った面がある。

 こうなってしまえばブログ運営者がサイトを閉鎖し全て無かったことにしてしまう可能性が高い。だがイダ熊は誹謗中傷合戦になっても、まったくめげなかった。一向に自分の主張を曲げず、逆にカチアン先生をはじめとして無課金ユーザーを煽る。どうやら自分のブログが論争の舞台となって、アクセス数が増えたことに喜びを見出していたようだ。他のまとめサイトにも「カーバンクル調教法」の論争は取り上げられていた。

 もちろん現在は藤田の死によって、それが中断された形だが、志藤がROMり続けた結果、イダ熊は変わらず誰かのマウントをとり、そのまま煽り続けていると判断せざるを得ない。

 そんなイダ熊が使う言葉をモニター上で見るだけで志藤は暗澹たる気分になる。だが「小説家」であるなら「取材」は当たり前に持っていなければならないスキルだ。もちろん志藤も何回か経験している。

 青田ならば――と志藤は逃げ出してしまいそうになるが、ブログに表記されているアドレスをクリックした。取材の申し込みをする。そして狙い通り新着通知がすぐさま表示された。

 やはり時間帯の選択は正しかったのだろう、と志藤は俯瞰する。

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