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 次の日。

 昨日の雨がまだ、しとしとと降り続いていた。

 灰色の空が、さらに私の気持ちを落とし込ませる。


 今朝のニュースで、知らぬ間に梅雨入りして数日が経っていたことを知った。

 この前ハローワークに行った帰り道、次の職を確定まではいかなくとも、ある程度目星をつけておく必要があると思った。というのも、やはり金銭面を考えてのことだ。余裕があるといっても、やはり使い続ければ底はつく。通帳の残高をヒヤヒヤしながら見るのは御免だ。仕事を休職していた頃に比べれば、気持ちも随分と前向きにはなってきているとは思うし…。

 仕事をしていない私にとっての世間との繋がりであるテレビも、今日はいつもより早めに消して机に向かう。

 パソコンで求人サイトを開いて、早速職探しを始めた。




 雨脚が強くなった。

 求人サイトで検索をはじめてから、気がつくと1時間と少しが経過していた。


 キリがない。

 半ば投げやりな気分だ。


 そもそも、今更やりたいことなど特に、ない。


 希望条件の⬜︎しかくいチェック項目にどれだけ印をつけようと、どんな職種を選ぼうと、どれもピンと来なかった。

 チャレンジしよう!夢が叶う!…とか。そういうキャッチーな用語も私の中で響くわけもなく。

 見ている求人サイトが年齢的に自分に向いていないのかと思い、いくつか変えてみりしたが、どこも変わらなかった。


 私は何も持っていない。


 何も出来ない。

 

 何もしたくない。


 それが本音だ。


 いつしか呪文のように定型文が浮かぶようになった。


 バリバリ働いて稼いで頑張ろう!などと思っていたのは、働き出して一年目くらいまでだった。

 職場と家の往復に、始めのうちは新鮮味も感じられていたし、それなりに楽しんではいた。

 やっと社会人になって、自分の力だけでお金を稼いで、自分の力で生きていける。そんな悦びみたいなものだってあった。


 子供の頃は周りの大人たちに「夢や希望をもて」「人には優しく」「自分がされて嫌なことはするな」口を揃えて、繰り返し教えられてきた。

 ひねくれていた割に、すんなりと何の疑念もなかった。それが唯一の平和的解決だとさえ思っていた。

 中にはその枠からはみ出ている者もいたが、ごく一部の者で、さほど気にせずに生きてきた。


 大人になると、周りの大人たちは「夢や希望なんて持つのはやめろ」「現実を見据えることが出来る者が賢い」「人には厳しく、自分にも厳しく」「経済と世の中のために惜しみない努力をしろ」「たとえそれが時にいくら理不尽でも耐える人こそが強い人間だ」口を揃えて、繰り返し教えられた。

 疑念はもちろんあった。けれど、太刀打ちする術を私は知らなかった。

 ただ、愚痴という形で吐き出す。それだけは覚えた。

 私の話に首を縦に振る者。時には目を見開いて同調の言葉を並べる者。同情の言葉をかける者。そして最後に誰もが口を揃えて、言うのだ。「そういうもん」だ、と。


 私はいつからか愚痴を吐き出すことをやめた。



 「そういうもん」を最初から教えてくれよ。


 夢や希望は本当はなくて、


 人は優しい人よりも厳しい人の方が多くて、


 人は自分には甘い人が結構いて、


 惜しみない努力は誰からも評価はされなくて、


 過程よりも結果が全てで、


 理不尽は日常の一部なんだって、


 長く生きてるだけで、大人なんかいないんだって、


 「そういうもん」だって、


 誰か教えてくれ。



 子供の頃に枠からはみ出た、ごく一部の者の方がよっぽど正常だったんじゃないかと思う。

 枠からはみ出た者は、もしかしたら「そういうもん」を既に知っていたのかもしれない。


 枠からはみ出た者と思っていた人たちからすれば、

 私は、異常者だったのかもしれない。




 私は「そういうもん」に気づいても尚、枠からはみ出し切れずにいる。





 雨の音が嫌に煩かった。



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