20
次の日。
昨日の雨がまだ、しとしとと降り続いていた。
灰色の空が、さらに私の気持ちを落とし込ませる。
今朝のニュースで、知らぬ間に梅雨入りして数日が経っていたことを知った。
この前ハローワークに行った帰り道、次の職を確定まではいかなくとも、ある程度目星をつけておく必要があると思った。というのも、やはり金銭面を考えてのことだ。余裕があるといっても、やはり使い続ければ底はつく。通帳の残高をヒヤヒヤしながら見るのは御免だ。仕事を休職していた頃に比べれば、気持ちも随分と前向きにはなってきているとは思うし…。
仕事をしていない私にとっての世間との繋がりであるテレビも、今日はいつもより早めに消して机に向かう。
パソコンで求人サイトを開いて、早速職探しを始めた。
雨脚が強くなった。
求人サイトで検索をはじめてから、気がつくと1時間と少しが経過していた。
キリがない。
半ば投げやりな気分だ。
そもそも、今更やりたいことなど特に、ない。
希望条件の
チャレンジしよう!夢が叶う!…とか。そういうキャッチーな用語も私の中で響くわけもなく。
見ている求人サイトが年齢的に自分に向いていないのかと思い、いくつか変えてみりしたが、どこも変わらなかった。
私は何も持っていない。
何も出来ない。
何もしたくない。
それが本音だ。
いつしか呪文のように定型文が浮かぶようになった。
バリバリ働いて稼いで頑張ろう!などと思っていたのは、働き出して一年目くらいまでだった。
職場と家の往復に、始めのうちは新鮮味も感じられていたし、それなりに楽しんではいた。
やっと社会人になって、自分の力だけでお金を稼いで、自分の力で生きていける。そんな悦びみたいなものだってあった。
子供の頃は周りの大人たちに「夢や希望をもて」「人には優しく」「自分がされて嫌なことはするな」口を揃えて、繰り返し教えられてきた。
ひねくれていた割に、すんなりと何の疑念もなかった。それが唯一の平和的解決だとさえ思っていた。
中にはその枠からはみ出ている者もいたが、ごく一部の者で、さほど気にせずに生きてきた。
大人になると、周りの大人たちは「夢や希望なんて持つのはやめろ」「現実を見据えることが出来る者が賢い」「人には厳しく、自分にも厳しく」「経済と世の中のために惜しみない努力をしろ」「たとえそれが時にいくら理不尽でも耐える人こそが強い人間だ」口を揃えて、繰り返し教えられた。
疑念はもちろんあった。けれど、太刀打ちする術を私は知らなかった。
ただ、愚痴という形で吐き出す。それだけは覚えた。
私の話に首を縦に振る者。時には目を見開いて同調の言葉を並べる者。同情の言葉をかける者。そして最後に誰もが口を揃えて、言うのだ。「そういうもん」だ、と。
私はいつからか愚痴を吐き出すことをやめた。
「そういうもん」を最初から教えてくれよ。
夢や希望は本当はなくて、
人は優しい人よりも厳しい人の方が多くて、
人は自分には甘い人が結構いて、
惜しみない努力は誰からも評価はされなくて、
過程よりも結果が全てで、
理不尽は日常の一部なんだって、
長く生きてるだけで、大人なんかいないんだって、
「そういうもん」だって、
誰か教えてくれ。
子供の頃に枠からはみ出た、ごく一部の者の方がよっぽど正常だったんじゃないかと思う。
枠からはみ出た者は、もしかしたら「そういうもん」を既に知っていたのかもしれない。
枠からはみ出た者と思っていた人たちからすれば、
私は、異常者だったのかもしれない。
私は「そういうもん」に気づいても尚、枠からはみ出し切れずにいる。
雨の音が嫌に煩かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます