15


 私は今ハローワークに来ている。会社からの離職票がやっと届いたのだ。

 難しいことは必要ない。ただ、手続きをして帰ってくるだけだ。何の苦労もない。

 それなのに、私は今朝からずっと気分が良くない。頭が芋になりそうだ。頭が芋になるという表現をするのは、多分私くらいだろう。要するに頭が重い、詰まる、まあそんな感じの意味合いだ。脳味噌がぎゅうぎゅにパンクしてもう何も頭の中で処理できない。まあそんな感じの意味合いだ。

 忘れていた現実に急に引き戻されたからだろう。仕方がない。大丈夫だ、人間忘れたいけど忘れられない事のひとつやふたつ、誰にでもある。

 そう自分を宥めながら自分の番号が呼ばれるのを待った。


 今朝起きたら、昨日の柔らかな香りはすっかり消えていた。

 私は寝る直前、無くさないようにと机の上にルームスプレーの定位置を決めた。その場所からルームスプレーを手に取り、昨日と同様に空中にそれを振り撒いた。

 朝だからだろうか。昨日より、爽やかさを感じた。良い気分だった。

 つい数時間前のことを思い出して、それでも駄々を捏ねたくなるのは私の気分が良くないからだ。

 仕事を辞めたことを後悔はしていない。むしろ、よく決断したとさえ思う。あの頃の私は、私ではなかった。

 ただ、時々思い出してしまう。もしあの時、自分が辞めることを選択していなかったら。

 今頃あの職場で、私は何を思い何を見て、どんな自分でいたんだろうか。

 そんなどうでもいい、どうしようもないことに、思考を巡らせてしまう。この状況から早く抜け出したい。何でもないのにどうしても思い出す。何でかなんて分からない。分かりたくもない。

 いっそ全部の記憶ごと消えてしまえばいいのに。

 記憶だけじゃない、体にも刻み込まれているような感覚なんだ。実際に刻み込まれているわけじゃないけど。感覚だけだ。その感覚が、 酷い。



 呼吸が速くなっていた。

 私は大きく深呼吸を繰り返した。何度も、


 ポーンっと機械音が鳴り響いた。

 「大変お待たせいたしました。1065番の番号札をお持ちのお客様は19番席へお越しください。」


 私は出来るだけゆっくりと腰を持ち上げて、指示された席へゆっくりと向かった。

 視界は、良好。

 呼吸はもう、平気だ。

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