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今日の彼女は熱心に調べものをしていた。
いつも熱心だが、決まって背表紙が深緑色の本を持っている時は表情が違った。背表紙からみるに草花の本らしい。
私の人生の中で草花に触れたことくらいはもちろんあるが、それらについて調べてみようなどと思ったことなど、自慢じゃないが全くない。
最初に断っておくが、私は頭がおかしくなった訳ではない。
時折彼女は嗅いだことのないような香りをまとっていることがある。
もう一度言う。これはいたって真面目な話だ。電車や町で人とすれ違うとき、時々ものすごい香水の香りをまとっている人がいる。自分では気がつかないのだろうが、ものすごい刺激臭だ。少なくとも私にとっては。
学生の頃だったか、ものは試しだと一度百貨店の香水売り場に足を運んだこともある。
5分もその場に居られなかった。私は体質的に香水は不向きなんだろうと、香水を“いい香り”だと認識できないまま現在まで生きてきた。
だからとても不思議だった。
彼女から“いい香り”がすることが。
しつこいようだが私は変態ではないが、それがとても気になっていて、何度か尋ねようとしたことがあるがどうも上手く切り出せないでいた。コミュニケーション能力の低さからなのか、自分でも不確かな香りについてどう質問しても変な感じになる気がして。
だけど今日は違った。嗅いだことのある香りだった。ミントの香りだ。
私は小説を読みながら、今日は尋ねてみよう。と初めて強く思った。
図書館からの帰り道。
私は尋ねてみた。
「あの。」
「はい?」
「なんか、、香水とかって、つけてたりします?」
いざ!と意気込んだわりには歯切れの悪い尋ね方をしてしまった。
「香水ですか?つけてないですけど…?え、もしかして何か臭います?!」
彼女は慌てて自分の肩や腕を嗅いだ。
ああ、私は何てへたくそな尋ね方をしてしまったんだろう。
「いやいや!違くてっ!今日ずっとあなたからミントの香りがしてて…!何でかなって思っただけなんですけど…間違えてすみませんでした…‼︎」
どうやら彼女といると、私は動きが俊敏になるようだ。
自分でも驚くほど素早い直角な謝罪のポーズをしていた。
「え!ミント?!てか、そんな謝らないでください!やめてください!ほら!早く顔あげてっ!」
私は言う通り、そろりと顔をあげた。
「もう、急にやめてくださいよ、こっちがびっくりしちゃいましたよ。」
「…すみません。」
「もう!謝らないでください。…たぶん、おにいさんが嗅いだミントの香り、今日授業でやったセーユ…アロマの香りだと思います。」
「…アロマ?」
「はい。知ってます?アロマ。…これです。」
彼女は鞄の中から茶色い小さな小瓶を取り出して私に見せた。
小瓶に対する第一印象は、学校の理科室にありそうだな。だった。
「…知ってます。あの、あれですよね。なんか、加湿器とかに垂らして使うやつ…?」
「はい。これ、正しくは“セーユ”とか“エッセンシャルオイル”って言うんですけど、加湿器とかに使う時はちゃんとした専用の加湿器とか、ディフューザーじゃないと壊れちゃう原因になったりもするみたいですよ。」
「へ、へぇ〜、」
知らない横文字に一瞬戸惑いながら、彼女の瞳がなぜか輝いてみえた。
「…おにいさん。もしかして、前会った時もわたしから、香り、してました…?」
私は彼女の瞳から目を離せないまま、無言でうなずいた。
「も〜!早く教えてくださいよー!あー、ちゃんと拭き取ってたのになあ〜…。」
「その、アロマ、は香水みたいなものなんですか?」
「んー、別物です。んー、って言ってもわたしも最近知ったばかりなので、どう説明するのが正しいのか……香水のことは詳しくは分からないんですけど、“セーユ”は植物の命そのものの香り。って感じですかね。」
「植物の命そのもの…。」
私は妙にそのワードに惹かれた。
「そうなんです。アロマ、というか“セーユ”って、植物の花とか葉っぱとか、あと根っことか種とか。植物によって違うんですけど、いろんなところに存在する天然の液体なんです。それをいろんな方法で抽出されたものがこれです。」
彼女は手の中にある小瓶に目を落とした。
「何も、混ぜたり加えられたりしていない、天然純度100パーセントのものだけが“セーユ”って呼ばれるんです。」
彼女の頬がゆるんでいるのが分かる。
「へえー。はじめて知りました。よく勉強されてるんですね。」
「いえ、まだほんと最近覚えたばかりで…教科書とか、読めば読むほど深い世界で、よく迷子になります。今日もさっきまで迷子になってました。」
彼女は照れくさそうに笑った。
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