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「ねえ、ねえ、おにいちゃん。」



 気がつかなかった。

 イヤホン越しでも響く高い声。

 突然話かけられたであろう声がする方向に目をやると、小さな女の子と小学生くらいの男の子が右側の席に座っていた。

 きっと兄弟なんだろう。

 お兄ちゃんであろう男の子は妹であろう女の子が尋ねる何とも単純明快すぎる疑問や確信を小学生とは思えぬほどはっきりと、優しく応対していた。


「ねえ、あれはなあに?」

「あれ?あれはアパートだよ。窓がたくさんあるだろう?あの窓ひとつひとつに色んな家族が住んでるんだよ。」

「へえー!たくさん人がいるんだねえ!、じゃあこれは?!」

「それは、、 カナブンだね。なんでこんな所にいるんだろう?」

「カナブンは電車に乗らないの?」

「うーん、そうだね。普通は乗らないかも。間違えて乗り込んじゃったのかもね。」

「間違えちゃったのかあー。早くお家に帰らないとだねえ?」

「そうだね。ここにいたらみんなに踏まれちゃうかもしれないから、窓のそばに移動させなきゃ。」

 男の子はそう言うと、自分の座席にリュックを置いて、妹の足元にいるカナブンをそっと掬いあげた。


 埃まみれだった。

 私の知っている一般的なその色ではなかった。


「ちょっと弱ってるな…」

 男の子は妹に聞こえるか聞こえないかくらいの声をそっとこぼした。

 それから何かの使命に駆られたような目に微かに変わったのが、私には見えた。

「お兄ちゃんやっぱりちょっと次の駅でこいつを外に逃してやるから、一瞬だけ電車降りるな?おまえは大人しくここで待っててな?」

 私も降りる!と駄々をこねる妹を、必死に、やんわりと説得していた。

 おそらく、電車内に紛れ込んでしまったそいつは、通気口やら人に踏まれない座席の下やらを潜り抜けて今に至るのだろう。この兄弟、男の子に助けられなければ、今頃どうなっていたかなんて想像は容易い。


 私は疲れていた。

 そいつを自分の境遇と重ねて羨んでしまうほど。

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